第17話

 鷲島は捜査資料を見た時、雷に打たれたような感覚に襲われた。灯台もと暗しとはこのことかと思った。走りながら操作知りに書かれた事実が頭の中を巡る。


『鴻巣市母親殺人事件』『阿比留』『愛着障害』『依存性パーソナリティ障害』『食人事件』『虐待』


 尼崎は本当に三船千佳子に付きまとっていたのか。尼崎の存在が出てきてからどうにも出てくる証拠も行動も尼崎を犯人に仕立て上げ、尼崎に警察の目が向くように仕向けられた感じがしていた。そしてもう一つ、被害者達の接点は虐待を無くす会だけではない。それは全員佐東のカフェの常連だったことだ。尼崎が全員と接点が間接的だがある、という情報から尼崎が彼らと接点を持っていたと考えたが実際は全員が同じ場所に集まり、尼崎がそこに居ただけなのかもしれない。恐らく尼崎はイヌ男の共犯である事は間違いないだろうが殺人自体は実行していない。尼崎が彼らを殺害し、そしてその肉を食べる動機はない。犯人が三船千佳子に執拗に迫っていた、と他人から見られていたのを利用して尼崎を犯人に仕立て上げようとしたのだろう。そこまで考えて鷲島は現実を受け入れたくない思いと既に佐東を犯人だと考えている思いが同時に存在している事に気が付く。別に佐東に特別な感情を寄せていた訳では無い。ただ佐東の行動や言動から昔の自分を感じ取り、無意識に自分と同じ立場の人間だと仲間意識を持っていただけなのかもしれない。鷲島は佐東がこんな狂った事件を起こしたとは考えたくなかった。それでも事実はきっと残酷で鷲島の思いなど打ち砕くだろう。それでも鷲島は刑事だ。例え愛する人が犯人でもバンザイを犯しているのであれば捕まえて、法による処罰を受けさせなければならない。


「ちくしょう・・・!ふざけんなよ!」


 鷲島は必死に走る。佐東の店に着くと一時間前にはまだ店の明かりは点いていたのに今は消えている。店の開店を知らせる看板も『CLOSE』になっていた。時間的にもまだ店が閉まる時間ではない。駐車場には佐東の車なのかJeepが一台だけ停まっており他の客の車はなかった。鷲島はゆっくり店の扉を開ける。鍵は閉まっておらず、静かな店内にドアノブの音だけが響く。扉が閉まる音が後ろで鳴る。脆弱に包まれた店内を置くまで進む。テーブル席の奥に進むとコーヒーを淹れるカウンターがあり、その向かいにもう一つテーブル席がある。この先に座っていた妻の千聖と息子の姿はない。更に奥にあるテラス席に続く扉のノブに手を掛けたところでカウンターの奥の扉が開く音がする。鷲島は勢いよく体を振り向かせる。自然と腰の拳銃に手が伸びる。扉から出てきたのは驚いた様子の佐東だった。鷲島は安心したような感覚に襲われるが、拳銃に伸ばす手は緩めない。身体は既に彼女を拳銃を向ける対象として捉えていた。佐東はおずおずと話す。


「あれ、鷲島さん・・・?どうしたんですか?もう犯人捕まえたんですか?」


「・・・・・・妻と息子はどこに?」


 鷲島は静かに問いかける。鷲島の普通では無い声と気迫に圧されたのか、少し怯えながら話す。


「あ、いや、二人とも鷲島さんが出ていってから少しして眠ってしまって・・・疲れが溜まっていたんだと思います。今日は元々早く閉めようと思っていたので今は二階で寝てます」


「佐東さん、あなた改名してますよね。改名前の名前は阿比留菜摘。そう、十数年前に起きた鴻巣市母親殺人事件の犯人。父親は母親の所に婿に来たから苗字はそのままだった」


「え・・・?い、いきなり何を・・・」


「そして母親の父親、つまりあなたから見た祖父は阿比留岩雄。熊谷市で虐待を無くす会を開いていた人物。尼崎は三船千佳子に付きまとっていたのではなく、本当はあなたに付きまとっていた・・・いや面識は元々あったのでは?」


 佐東の戸惑う声にも構わず話し続ける。そうでもしないとどこかで彼女を信じたい気持ちが出てしまいそうだった。佐東は鷲島の話を静かに聞く。息も絶え絶えだが深く息を吸うのも忘れて独り言の様に話す。


「尼崎はあなたに好意を持っていた。それもストーカーをするほど。そんな尼崎を利用したんじゃないですか?」


 尼崎に嘘を吹聴してまわらせる理由は分からない。だがここでもし何らかの情報を聞ければ、いやそれ以上に真実を確かめれば自ずと答えは出てくるかもしれない。鷲島は肩を上下させて呼吸をする。静かに聞いていた佐東は少しの沈黙の後、ふぅと息を吐いて鷲島を見る。


「少し熱くなってませんか?きっと疲れてるんですよ。連日の事件関係の暴動や虐待問題の解決に奔走していたそうですし・・・良かったらコーヒーでも飲んで落ち着いてください」


 佐東は淡々と話してカウンターに備え付いているキッチンの奥に入る。鷲島の追求を聞いていたのか、響いていないのか、それとも動揺しているのを隠しているのか分からないがどうにも表情から心の内が読み取れない。鷲島母親これ以上刺激しても得られるものは無いと判断し、一旦佐東の誘いに乗ることにする。テーブルに座り佐東を見る。なるべく佐東に背中を向けないように、そして気付かれない様に拳銃に手を伸ばしたまま警戒する。心の中ではまだ佐東を信じたい気持ちと疑う気持ちがぶつかり合っていた。同じ虐待という苦痛を味わったからこそこんな事件を起こすはずがない。しかし虐待被害者が誰しも鷲島の様に過去を乗り越えて生きている訳では無い。あの男性記者のように虐待加害者への憎しみを募らせ続け、爆発させてしまう人もいる。誰もが正しく真っ当に生きられている訳では無い。虐待というものはそれだけその人の人生を歪めるのだ。佐東が奥の扉に入るのを見て鷲島はキッチンに目をやる。やけに店内に甘い香りが広がっていると思っていたがどうやら複数の消臭剤とインテリアフレグランスが置かれていた。しかしその中に何か気持ち悪い匂いがした。キッチンの奥にある扉に鷲島も入る。扉の奥には物置なのか店の調理に必要な食材を保管しているのか倉庫のような場所に繋がっていた。奥にある業務用冷蔵庫に目をやる。その周りに多くの消臭剤が置かれていた。吸い込まれるように冷蔵庫の扉に手を伸ばす。扉を開けると体が震えるような冷気が鷲島を襲う。中と外の温度差のせいか冷蔵庫の中からドライアイスの煙のような蒸気が出てくる。しばらくして冷蔵庫の中身が明らかになる。鷲島は目を凝らして中を見る。


「これは・・・・・・まさか・・・・・・」


 冷蔵庫の中には多くのタッパーが積み重なっていた。タッパーの蓋に貼られていた中身を示すシールには『meat』と書かれていた。普通なら豚肉など動物の肉かと思うが透明のタッパーから見える中身は綺麗な赤で、そして明らかに臓器の様なものが入っていた。


「人の・・・・・・肉・・・・・・あっ」


 一瞬。

 鷲島の視界が大きく揺れる。頭に強い衝撃と激痛が走る。身体から力が抜け、地面に倒れ込む。遠のく意識の中で見えたのは、奥にある透明の大きなケース。中に二人の人影。そして、ハンマーを持った手が見えたのを最後に鷲島の意識は闇に落ちた。



「佐東菜摘の居場所を突き止めるぞ!やつが今回の事件の犯人・・・猟奇殺人鬼イヌ男だ!」


 イヌ女と言い変えようかとおもったがそんな事を気にしている余裕はなかった。鷲島の後を追って佐々川が佐東の店に来た時には既に鷲島の姿はなく、店内を探すと奥の倉庫のような場所に冷蔵庫がありその前に血痕が数滴落ちていた。佐々川は冷蔵庫の中を見てすぐに佐東が犯人だと確信した。すぐに警察署に戻り佐東の居場所を探るべく捜査員達に指示を出していた。佐々川が忙しなく動いていると、捜査員の一人が佐々川に話しかける。


「佐々川さん、あそこにいるのって・・・」


「どうした?・・・・・・あいつは・・・」


 捜査員が指差したのは警察署の正面玄関のロビー、今は暴動の影響で扉もボロボロに破壊され、見るかけも無くなったロビーに一人の人物がいた。佐々川はゆっくりと、まるで凶器を持っている犯人に近づくように距離を縮める。佐々川の存在に気付いた相手は相変わらず柔らかな笑みを浮かべていた。佐々川は静かにその名を呼びかける。


「お久しぶりですね、南藤さん」


「大変でしたね。お怪我は大丈夫ですか?」


 相手は阿比留岩雄の助手である南藤だった。相変わらず綺麗な服装をして清潔感のある男性だった。ボロボロになった警察署をバックにしてもその爽やかさは衰えていなかった。佐々川はそれを見ても険しい顔を崩さずに南藤に話しかける。


「実は佐東菜摘について色々わかりましてね」


「おや、それはてでも菜摘さんは関係ないのでは?」


「明界大学」


 その言葉に南藤の表情が少し引き攣る。佐々川はその一瞬の変化も見逃すことは無かった。顔色を伺うようにゆっくりと、言葉を選んで話す。


「佐東菜摘さんは明界大学の出身、尼崎も明界大学の獣医学部の出身。そして・・・南藤さん、あなたも」


「・・・・・・そりゃあ阿比留先生が明界大学の教授ですからね。その助手出ある僕も明界大学にいておかしくは・・・」


「その前からですよ。南藤さんと尼崎、そして佐東さんは実は顔見知り・・・いや、実際どちらも認識していたのは南藤さんだけでしょうか。尼崎は大学時代から佐東のことを知っていた。佐東さんは実は大学時代から尼崎のことを知っていた。そして南藤さんも」


 つまりこの事件の接点は被害者だけではなく、彼らを囲う人々にも接点は存在していた。阿比留岩雄にとっては衝撃的な再会だったのだろう。まさか自分が教授として勤める大学に娘を殺してその肉を食べた孫が来たのだから。そのとき阿比留岩雄は何を思ったのかは南藤に話から想像はできる。南藤はその話を聞いても尚柔らかい笑みは崩さなかった。


「それで?それが一体なにかの証拠になるんですか?僕が何かをしたとでも?」


「・・・・・・今は分かりません。ただこの事件は思った以上に複雑なようです。南藤さん、近いうちにあなたにもお話しますよ」


「それでは楽しみにしてます・・・早く犯人が逮捕される事を願っています」


 そう言うと南藤は警察署を出ていく。佐々川はそれを見て繋がりというものはどこで繋がるか分からないと心底思う。本人が意図していないところで自分との繋がりが存在していた。そんな事を知ったらどう思うだろうか。ましてやその繋がりが隠したい過去にも関係しているとすれば。答えのない数式を解いてるような感覚になり、佐々川はその考えを振り払う様に佐東の居場所を突き止めるべく捜査に没頭する。

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