なぜ、虐待は減らないのか

NOTTI

第1話:虐待の背景 ①

現在、日本では数多くの児童虐待が報告されており、昨今のコロナ渦によって急増しているとも言われている。


 ただ、これをそのまま放置するのではなく、“社会問題の1つ”として捉えなくてはいけないほど深刻な時期に差し掛かっている。


 以前からこの問題は社会問題として取り上げられるなど全体で問題視して取り組んでいた事ではあるが、根本的な解決方法はまだ提示されていない。


 私はこれらの問題の背景として考えられるのは①テレワークの定着・②人と人との接触機会の減少によるストレスの滞留・③年功序列型思想による他者黙認心理など大人の社会的優越性が子供たちの意思表示を難しくし、大人たちが最も当たりやすく、反抗されにくい相手としてターゲットにされやすい部分がある。


 その他にも自分の価値観と子供の行動がミスマッチを起こしたことで自分の価値観を押しつける事も一種の虐待として認識するべきだと思うし、叱責や暴力としつけの境界線など判断基準の設定が難しい部分も多く存在している。


 これらの問題は以前から変わらない課題として定常化しているが、時代の経過と共に悪化しているように感じる。


 その理由として、問題の本質が大きくなりすぎたことや体罰と指導の境界線、本人たちの行為に対する判断も不明瞭な部分が多く、きちんと定めていかないと子供たちの精神発達や社会性などこれから必要になる部分がきちんと発達しない可能性や相互理解や他者尊重など人間関係における必要な技量が十分に習得出来ない可能性があるのだ。


 私がこれまで虐待に関する報道などを見てきて感じたのは“親の成長過程”や“親から受けた愛情”など人の人格形成に対して必要になる部分の不足もしくは未体験・未経験などにより自尊心を得られなかったケースや幼少期から親を含めた相手から自分の行動を否定されてきたケースなど自分の“正しい”に対する比重が過剰になってしまったときに起きやすいということだ。


 また、人というのは“行動反復”といって親など周囲から物事や知識・教養を習得する際にどのように教えられたかで自身の子供に対して物事や知識を教える際に虐待などに発展することになる。


 ここで難しいのは“親にやられたときは何もなかったのに、なぜ自分が同じ事をすると周囲から白い目で見られるのだろう?”という社会変化に対する疑問が強くなったときに正しい返答が出来ない可能性がある。


 例えば、“幼い頃にやってはいけないことをして、両親から暴力をされた”、“暗い場所に閉じ込められた”など、親が子供をしつけるためにやっていたことが“子供にして良いこと”という認識を芽生えさせ、その認識が正しいこととしてそのままやってしまうと現代では“虐待”などの犯罪として認識されてしまう。


 また、子供が黙っていたとしても今は不審な点があると第三者が通報することが可能になるため、親が子供の頃よりも異常発見が早期化していることや見て見ぬふりなどの“我関せず”状態になる事は減っている印象が強い。

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