第10話 忘れていた脅威

 まず拠点からどちらに行くかでシェリルは迷った。

 坂を上がって行けば、いつもの川につく。

 だが反対に、下って行った先に何があるのかが分からない。

 一度調べるために下ってみたのだが、一時間以上かけてもずっと同じ光景が続いたのでそれ以降、放置してしまっていた。


「行き止まりだとは思うけど……」


 シェリルがそう思うのは、この二十一日間で一度も魔物が現れなかったからにほかならない。

 どこかへ繋がっているのなら、一度も魔物を見ないなんて事にはならないはずだ。

 時間はかかるかもしれないが、念のために確認しておくことにした。



◆◆◆



「――っ、なに……!?」


 歩き出してから一時間半が経過したころ。

 突然、シェリルの第六感ともいえる感覚が警鐘を鳴らし始めた。

 先ほどから、冷たい向かい風が吹き、嫌な予感自体はしていた。

 だがここに来て、これまでとは段違いに明確な悪寒を覚える。


「たぶん、そろそろ終点。どうしよう……」


 行くか、行くまいか。

 迷った末に、結局向かってみることにした。

 そのまま更に五分ほど歩くと、前方から光が差し込んでいるのが見て取れる。

 悪寒がさらに強くなり冷や汗が滲む中、それを抑えながら光へと向かう。


 そして、シェリルは戦慄した。


「……なに、これ」


 高低差200メートル以上、長さ数キロにも及ぶ大空洞。

 そしてそれを埋め尽くすほどの、水深百メートルを優に超える超巨大な地底湖。

 壁はあちこちに穴が開いており、そこから滝のように水が流れ込んでいる。

 シェリルはそれを、水面から150メートルほど上方の壁に空いた、小さな横穴から覗いていたのだった。


 シェリルを何より驚かせたのは、地底湖に棲む魔物達だ。

 ほとんどの魔物がBランク以上。

 シェリルでも知っているような怪物の巣窟。

 中でもシェリルの目を引いたのは、水色の鱗と20メートルを超える巨体を有したアクアドラゴンだ。そのランクは驚異のAである。


 ドクン、と。

 一際強く、心臓が鼓動を打つ。


「――っ」


 忘れていた。

 安全な場所ばかりで狩りをしていたから。

 ここがCランクダンジョンであるという、最も重要なことを。


 ダンジョンランクというものはダンジョンに出現する魔物たちの平均であることが知られている。

 これまでシェリルが倒してきた魔物はFランクのブレードフィッシュとDランクのマイムニュートくらいだ。他に出会った魔物も高くてCランク。

 だからこそ、心のどこかでダンジョンランクを低く見積もっていた。

 だが違ったのだ。


 シェリルが見ていたのはほんの上層の一部に過ぎなかった。

 当初シェリルが予想したように、この場所は紛れもなくCランクダンジョンなのだ。


「……あ」


 気付けば、後退っていた。

 体が痺れたように、言うことを聞かない。

 ただ、なんとかこの場所から遠ざかろうと、全力で引き返そうとする本能に従って足を動かした。



「はあっ、はあっ……」


 息を切らしながら、拠点へと戻って来る。

 無我夢中で全力疾走したためか、半分ほどの時間でたどり着いた。


「また、忘れてた……」


 D級のマイムニュートを倒し、魔法や装備を手に入れて浮かれていたのだ。

 それは仕方ないことかもしれないが、だからと言ってダンジョンは容赦してくれない。その事実を、突き付けられた気がした。


「……でも、いつもの感覚に逆らったおかげでどこに向かえば良いのか分かった。出口は川の上流を進んだ先にきっとある」


 シェリルは確信したように言う。

 それは、初日にあった出来事と、その後何度か遭遇した光景に起因していた。


「ウォーベアは川の上流側で狩りをして、そのまま上流側にある横穴に消えて行った。逆に、下流へ向かったウォーベアは一体もいない。つまり、Cランクの魔物でも下流に行かない理由があるということ」


 それが、先ほどの地底湖の話へとつながる。


「あの川は地底湖に出る」


 地底湖は下層。

 それはつまり、出現する魔物が強くなるということ。

 そこは、ウォーベアでさえも避けるような世界なのだ。

 魔物の本能は、時に人間を凌駕する。

 危険だと本能が訴えれば、その場所には滅多に近付かない。


 ウォーベアだけじゃない。

 あの川の付近に近付くどの魔物も、下流へ向かうことは無かった。


「ただ問題もある」


 上流側がウォーベアらにとって生きやすい環境ならば、そちらへ向かうシェリルは彼らと交戦する可能性があるということだ。

 今の戦力でウォーベアやその他Cランクの魔物を倒すには奇襲を成功させるしかない。

 眠れず、油断できず、厳しい行軍になるだろう。


「それでも、もう気は抜かない」


 大きく深呼吸をして、決意の表情を浮かべた。



◆◆◆



(やっぱり今の時間は、魔物の数が多い)


 川に到着して真っ先に浮かんだ感想である。

 シェリルの言うように、川辺には様々な魔物が休憩していた。


(吸血コウモリだけは倒していこう)


 吸血コウモリは単体でFランク中位、群れればEランク上位の魔物だ。

 全長は約50センチと大きい。

 その特徴は、名前の通り相手の血を吸う点。

 厄介なのは血を吸う際に微弱な毒を与えてくるところだ。

 少量なら多少動きが鈍くなる程度であまり影響はないが、一斉に噛みつかれればそれは猛毒と化し、人間なら数分で死に至る。

 また目が悪い代わりに音に敏感で、わずかな物音でも獲物を察知し、特殊な技能で仲間を呼ぶ。


(だから見つけたらすぐに倒す)


 『ブリッツショット』は非常に早く威力も高い魔法。

 吸血コウモリなど瞬殺だ。

 他にも数種、気を張るべき魔物はいるが、最も注意すべき魔物が二種類いる。


 一つは言うまでもなくウォーベア。

 そしてもう一つは、タイラントスネーク。

 全長15メートルを超える巨大な蛇の魔物で、ランクはCランク中位だ。

 特徴は、その巨体による締め上げと、身長153センチのシェリルを丸呑みできてしまうほどの大口。

 速さもマイムニュートを凌駕する、純粋な強敵である。

 この二者との鉢合わせだけは絶対に避けなければならない。


 そんな風に整理を済ませつつ、魔物の視界から逸れながら移動を開始する。

 聴覚の妨げになるおそれがあるためフードは被らず、結んだ髪が隠れるようにしていた。


 移動を始めてから20分。

 シェリルの視線はあるものを捉えていた。


(……あれは、吸血コウモリ。それも11匹の群れ……回避は無理そうだしやるしかない)


 40メートルほど先の天井に張り付いた群れに掌を向けると、声を潜めて魔法を放つ。


「『ブリッツショット』」


 一切ズレることなく飛翔した稲妻は、天井の岩を削りながら轟音を上げて、吸血コウモリを殲滅せんめつした。

 その音に他の魔物が気を取られている隙に、シェリルは速やかに先へと進む。



 そのまま似たようなことを続けながら五時間ほど歩く。

 依然として景色は代り映えがない。

 右には川が流れ、左には所々横穴が空いている。シェリルはその間にある岩場の道を進んでいた。

 今更だが、シェリルは靴や靴下などは履いていない。

 なので、岩場を歩いていると足が痛くなるのが難点だった。


(……っ、また石を踏んだ。これは慣れていないと辛い)


 小さな小石が足に食い込み、出血を起こす。

 幸い、小さな怪我なら黒鎧の効果で治癒することができる。

 防具に魔力を流して魔力治癒を発動すると、みるみるうちに怪我が治っていった。


(初めて使うけど凄い効き目……でも消費魔力は多い。あれだけでウインドアローの二倍も使った)


 とはいえ、自己修復ができるのは心強い。

 黒鎧に頼もしさを感じつつ、歩を進めようとした、そのときだった。


(――っ!)


 ウォーベアの時に似た危機を感じ取り、岩陰に身を隠す。

 常に身を隠せそうな場所を確認しながら進んでいるため動きはスムーズだ。


 シェリルはその正体を岩陰から見やる。

 そこにいたのは、白と黒のまだら模様の鱗と、縦に割れた黄色い目が特徴の巨大蛇、タイラントスネークだった。

 どうやら左側の巣穴から出てきたようで、シェリルの方へと向かってきている。

 距離はまだ100メートルほどあるが、あの巨体の移動速度を考えれば数十秒後にはすれ違うだろう。

 そうなった場合、高い確率で見つかる。


(やるしかない)


 むしろ都合が良い。

 どうせこの先、何度も出会うことになるだろう。

 そして出会った場合、常に奇襲ができる状況だとは限らない。

 ならば有利なまま、相手の実力を確かめることのできるこの状況は、ある意味運が良いといえた。


(出し惜しみは無し、全力で一撃を打ち込む)


 シェリルの両腕に巻かれた布から青い燐光が発せられる。

 使用するのはマイムニュートの群れを屠った切り札だ。

 意識を集中させ、魔力が刻印全体に均等に行き渡るように制御を開始する。


 タイラントスネークとの距離は残り30メートル。


(ギリギリまで待つ)


 残り15メートルになったところで、タイラントスネークは違和感を受けたのか、辺りを見渡した。

 その瞬間、


「『ブリッツショット』! 二重発動ダブルアクティベート!」


 岩陰から飛び出したシェリルは、自身の持つ最強の切り札をタイラントスネーク向けて発射した。


『ジャアッ――!?』


 バリバリと雷鳴のような轟音を響かせて迫る稲妻に、タイラントスネークは慌てて回避を試みる。が、少し間に合わなかった。

 タイラントスネークに着弾するだけでは止まらず岩場の石を破壊し、それらがつぶてとなって四方へ飛び散る。

 凄まじい余波が、15メートル離れたシェリルにまで及んだ。


 やった、と。

 そう思った。








『ジャギャァァアアアアアアアアッ!』


 だが、タイラントスネークは驚異的な生命力で生き残っていたのだ。

 とはいえ万全とはほど遠い状態ではある。

 電撃と礫で深刻なダメージを負っており、満身創痍といった体だ。

 にもかかわらず、その体は動き、その瞳は怒りの狂気に燃えていた。


「――っ!」


 その瞳に睨まれたシェリルは、思わず息を吞む。

 タイラントスネークから放たれる憤怒の波動が、シェリルの肌を粟立たせた。


 そして事態はさらに、最悪な方向へと向かう。


『グルルゥウウウアッ!』


 聞き覚えのある咆哮。

 あの日シェリルに恐怖を植え付けた、その声の正体は――


「なんで、今なの……っ! ウォーベア――っ!」


 命を懸けた、本当の死闘が始まる。

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