第44話 日歴122年 露見 上
日歴122年秋月40日、ギオザ・ルイ・アサム26歳の誕生日である。
晴天の下、住民たちはそわそわしながら、大通りに集まっていた。これから毎年恒例の
ドンっ
太鼓の音が鳴り響いた。開始の合図である。
王城の扉が開かれ、朱色に金の装飾が施された御輿が姿を現す。10人以上の屈強な男たちが御輿を担ぎ、一糸乱れぬ動きで階段を降りていく。
国王が乗る朱色の御輿の後ろには、白の神輿が2台続き、それぞれ王の従兄弟リズガードと、王の義弟アザミが乗っていた。
その迫力たるや。
民衆達は心臓に直接響くような太鼓の音と、豪華絢爛な神輿に活気づいた。
ツァイリーは御輿に揺られながら笑顔を貼り付けていた。自分の誕生日の際も似たようなことをやったが、規模が違う。
あの時は馬車に乗って街を回るだけだったので、
やはり国王自らが街を回るとなると
「アザミ様! 手振って!」
それに応えるように手を振ると、声をかけた子ども達はきゃっきゃと楽しそうに笑う。よく街に降りるツァイリーは親しみやすい王族として密かに人気なのだ。
ツァイリーは大人も子どももいつもよりも改まった格好をしていることに気づいた。見物するだけとはいえ、王様の目に入るというのは民衆達にとって畏まるものなのだろう。
ちらりと前にいるギオザを見る。後ろ姿しか見えないが、いつも通り背はピンと張っていて、左右を見渡すように頭を動かしている。
ギオザは笑みを浮かべているのだろうか、とツァイリーは気になった。さすがに自分を祝うために集まった国民に向けていつもの仏頂面はないだろうと思うが、きっと笑ってはいないのだろうと結論づける。
ツァイリーでさえ、いまだにギオザが笑った姿を見たことがないのだ。
一方、リズガードの方は凄まじかった。どういう心境かは知らないが、今日は愛想大盤振る舞いで、至る所から黄色い悲鳴が上がっていた。
リズガードは喋ると強烈だが、喋らなければただただ美人なので、こういう場面ではまるで動く美術品。
そんな人に笑いかけられ、目配せでもされたものなら、悲鳴を上げて腰を抜かすのも当然である。
リズガードの人となりを知っているツァイリーは、彼がどんな腹づもりなのか気になりつつも、注目が集中してありがたいと思っていた。国王と麗人リズガードの後ろに並ぶツァイリーを気にする者はそう多くない。
そしてしばらく神輿に揺られ続け、もう少しで巡行も終わるという時。
「逃げろ!」
「燃えてる!!」
そんな叫び声が至るところから響いた。
場は一気に不穏な空気に包まれる。御輿は止まり、人々は慌てざわめいた。
ギオザとリズガード、ツァイリーの3人は立ち上がり、それぞれ状況を把握しようと辺りを見渡した。
ツァイリーは、住宅街から黒い煙が立ち上っていることに気づいた。それも1カ所じゃない。目視できる限りで4カ所。
「アザミ、あいつを追え!」
ギオザの声にツァイリーはすぐに視線を移した。ギオザが示す先に、1人背を向けて走っている人の姿を捉えると、躊躇いなく御輿から飛び降りる。今何が起こっているのか、あの人物は誰なのか、考えがまとまらないまま走り出した。
突然御輿から飛び降りた王弟に、民衆は驚きながらも道を開ける。不審者は周りにぶつかりながらも速度を緩めず走り続けている。ツァイリーは「通ります!」と叫びながら後を追った。
「落ち着け! 火元は遠い! ここにいる兵は消火活動を優先させろ、持ち場を離れる許可を出す」
後ろから、ギオザが周りに指示を出し、リズガードが民衆を宥める声が聞こえた。その迷いのない動きに、さすがだとツァイリーは走りながら思った。それと同時に、自分も役目を果たさなければと、先の人物を強く見据えると、一層脚に力を込める。
逃すものか。
「ギオザ!」
リズガードの声に、ギオザは視線を向けた。リズガードは険しい表情で、ある場所を凝視していた。
彼らの程近くにある民家から火の手が上がっていたのだ。
燃えやすいものがあったのか、その勢いは凄まじく、火力が増していくのが目に見えた。近くにいた住民は逃げ出していたが、周囲の家に引火するのは時間の問題。
消火の人員は現在分散しており、あの勢いの火を消し止めるには、かなりの時間が要する。このままこの場所にいれば、ギオザ自身やリズガードに被害が及ぶ事が簡単に想像できた。
「陛下とリズガード様を安全な場所へ!」
御輿隊の隊長がそう指示を出すと、御輿を担ぐ大勢の男たちは火元から離れるべく、御輿の向きを変えた。
「だめだ、近づけ」
そうはっきりと、ギオザの声が響いた。
「ギオザ!? あんた何言って……」
リズガードがすかさず声を上げた。何故そんなことを言うのか全く理解できなかった。しかし、ギオザの意志は変わらない。
「いいから、近づけるだけ近づけ」
その言葉に、御輿隊隊長は戸惑いながらも、ギオザの強い姿勢に「陛下のおっしゃるとおりにしろ」と指示を出した。
「だめに決まってるだろ! 死にたいのか!?」
「大丈夫だ。怪我だってするつもりはない」
焦って声を荒げるリズガードに、ギオザはいつもの調子で淡々と返す。
リズガードは二の句が継げなかった。ギオザはこういう場面で無茶をするタイプじゃない。きっと考えがあるのだろう。しかし、何かが引っかかった。いつもの彼と少し違うような……。
「住民の退避の指示を頼む……後始末も世話をかける」
「後始末……?」
リズガードがその意味を理解する前に、ギオザの御輿は動き出し、2人の距離は離れていった。
リズガードは消化不良を起こしながらも、止まっている暇はないと、声を張り上げ避難の誘導を始める。御輿の上にいる分、見晴らしが良く、的確に空間をつなげて声を届けられるのだ。
リズガードはふとアザミの姿を見つけた。遠目だが、誰かを取り押さえている様子である。
「暴れるな!」
ツァイリーは不審者との追いかけっこに終止符を打ち、黒い外套で身を隠した男に馬乗りになっていた。
ツァイリーは男の正体を暴くため、顔の下半分を覆っていた布を取り去った。
「お前は……!」
その顔には見覚えがあった。
ライアン奪還作戦時、メルバコフへ文書を届けさせた青年である。
「どうやってここに」
青年はツァイリーを強く睨んだ。その瞳には憎悪だけが込められていた。
「俺はお前を許さない」
ツァイリーはおもわず息を飲んだ。その殺意は凄まじく、腕の力を緩めればそのまま喉をかっ切られてしまいそうな危うさがあった。
ライアンはこの青年の故郷。
それがアサム王国の領土となり、自分はその作戦の責任者という肩書きなのだから、恨まれるのは当然だ。しかし、それだけではないような気がした。前に会った時とは纏う雰囲気が異なる。
「仲間には手を出すなと言ったはずだ」
「手は出していない。メルバコフとの話し合いで」
「俺の兄貴はお前たちに殺されたんだぞ!」
喧騒が静まる。
青年の怒鳴り声に近くの民衆も動きを止めた。しかしそれも一瞬で、リズガードの避難誘導の声が聞こえると、2人を気にしながらも足早に移動していく。
「殺された?」
「兄貴は家を取り返そうとしただけだ!母さんが大事にしてた父さんの形見を取りに……!!」
涙の混じった叫びに、ツァイリーは返す言葉が見つからなかった。
きっとこの青年の兄は、あのライアンとメルバコフの境界で起こった戦闘に参加し、命を落としたのだろう。
取り押さえる力が緩んだ隙を見計らって、青年は無理やり体を起こすと、ツァイリーの襟を掴んで押し倒した。あっという間に形勢が逆転する。
「兄貴を返せよ! 返せ!!」
憎しみに燃えた青年の瞳はツァイリーを掴んで離さない。
ツァイリーは、ぽつり、と頬に水滴が落ちたのに気づいた。
涙……じゃない、雨……?
青年越しに見える空は晴天である。
青年も何かに気づいたように振り返ると……。
「……ははっ、あははははっ!! 言ってた通りだ!」
笑い出した。
ツァイリーは周囲の人々も、ある同じ方向を見ているのに気がついた。
ツァイリーは嫌な予感がして、青年を力づくでどかす。
その先に広がる光景に、ツァイリーは見入った。
陽に照らされた
「ギオザ……?」
ツァイリーは皆が呆然と見つめる一点にギオザがいるのに気がついた。
御輿の上で凛と立つギオザは、腕を伸ばしていて、その手の先からは勢い良く水が噴射していた。
降り注ぐ
『いい?人前でその力を使っちゃだめよ』
呪いのように体に染みついたその言いつけを破ったことなど、一度もない。母がこの言葉を、自衛のために使ったのか、
しかし、間違いなく、国王として生きるには、この言葉を守るべきなのだ。
しかし、今のこの状況で、そんなことを言っていられるだろうか。
街が燃えている。このまま火が消し止められなければ、いずれこの辺り一体は焼け野原になってしまう。
守るための力を持っていながら、その力を行使せず、王座に縋り付くことに何の意味があるのだろう。
ごうごうと燃える家を前に、ギオザは覚悟を決めた。
国を守る覚悟、すなわち、
その日、アサム王国に激震が走った。国王の誕生祭にて、城下町で立て続けに放火事件が発生したのだ。
そして、国王ギオザ・ルイ・アサムがそれを鎮火した。
幸いにも火事による死者はいなかった。犯人は1名確保され、メルバコフ王国の者だということは発覚したが、仲間の数や行方は未だ不明である。
前日に勤務していた入国審査兵が行方不明となっており、関連があるとして、それも含めて捜査中だ。
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