第46話 日歴122年 悪魔の力 上

エルザイアン王都の神殿にて、司教会が開かれていた。

 円卓に司教3人が座り、窓を背にして一段高い台には、凡人ただびととは思えぬような風格を持つ老齢の男性が座っていた。


「あれは黒ではなく、青でした」

 3人いる特級神官もとい司教の1人、エインがそう報告した。

「つまり、アサムの王は多色持ちだと?」

「その可能性が高いと思います」

「そんなまさか。あれはただの伝説だろう」

 司教セグネスが鼻で笑う。エインは3人の中では最も若い司教であり、セグネスは常日頃からエインを軽視する節があった。

 しかし……。


「伝説ではない」


 大司教、シュトラウス。シエル教の現総裁その人の声に、場は静まりかえった。

「虹彩の神力シエロは存在した」

「大司教様、仮にギオザ・ルイ・アサムがそうだとしたら、いかがなさるおつもりですか」

 紅一点のハレル司教が口を開いた。

「……かの力が今なお存在しているとすれば、我らが静観するわけにはいかない」

「それは、つまり……」

「怪しき力は脅威である。まずは真偽をつきとめる」

 大司教ははっきりと告げた。

「ギオザ・ルイ・アサムを捕獲せよ」

 厳かに響いたその声に、3人の司教は黙礼をもって応える。


 大司教の決定はシエロ様の意思。すべては神子の思いのままに。



 翌日の朝の祈祷後、レイディアはハレル司教に呼ばれ、「ギオザ・ルイ・アサムが指名手配される」ことを告げられた。

「ライアンの件ですか……?」

 レイディアは恐る恐る尋ねた。もしもライアンに関係しているのだとしたら、責任者だったツァイリーもただではすまないかもしれない。

「違う」

 そのきっぱりした返事に安堵しつつも、それならばどうして、と疑問は深まる。ライアンの件以降、アサム王国に大きな動きはなかったはずだ。依然、アサム王国は他国との関わりを遮断しているので、あまり情報は入ってこないが。


「詳しいことは話せないが、ギオザ・ルイ・アサムは稀な力を持っている可能性が高い」

「稀な力……?」

「お前もそうだっただろう。巨大な力を教会わたしたちは野放しにしておくわけにはいかない」


 つまり、アサム国王ギオザは、神子シエル信仰の教会が黙ってられないほどに強い神力シエロ持ちだったということだ。

 レイディアは事情はなんとなく理解したが、納得することは出来なかった。自分が神殿に勧誘される時もかなり強引でしつこかったが、他国の人間を指名手配までするなんておかしい。もしあの時、自分が勧誘に応じず頑としてセゾンの園に残っていたとしたら、同じことになっていたのだろうか。


 レイディアが神殿に来てから1年と4ヶ月。一級神官になったとはいえ、まだまだ上層部についてはわからないことが多い。ハレル司教はレイディアの事情をすべて知って協力してくれるが、今回のようにしっかりと線引きをしていて、必要以上のことは教えてくれない。

 ツァイリーが生きていたことで、レイディアが神官でいる目的はほぼなくなった。しかし、まだ一点の疑問が残る。ツァイリーが誘拐されたことはわかったが、最初にツァイリーを王都に呼んだのは国なのだ。


 レイディアはこれまで、エルザイアンのはずれにある孤児院ですごしてきた。子ども達とモーリス先生と、ツァイリーだけの狭い世界はこにわ。漠然とその生活がずっと続いていくと思っていた。それを脅かすものの存在なんて考えたこともなかった。

 しかし、ツァイリーがいなくなって、自分は神官になって、気がついた。守るためには、取り返すセゾンに帰るためには、払拭しなければならない。すべての問題けねんを。

 まずはセゾンの土壌を固める必要がある。

 だから、レイディアは神殿に残っていた。幸いにも巡業ということでたまにセゾンの園に顔を出すことも出来ている。モーリス曰く子ども達はやはり寂しがっているようだが、レイディアが神官になったことは嬉しいらしく、いつも土産話を楽しそうに聞いてくれる。

 レイディアはその美貌や孤児院上がりという経歴から、王都のみならずエルザイアン各地にファンができつつある。容姿も生まれも神力シエロも偶然持ち合わせたものに過ぎず、最初は自分とセゾンを引き離す煩瑣はんさなものだと思っていたが、今はそれもすべて利用しようと思っていた。


「ギオザ・ルイ・アサムを指名手配したとしても、捕まえることなど不可能なのでは?」

 レイディアは純粋な疑問を口にした。そもそもアサム王国は出入国を厳しく取り締まっているし、指名手配されてるなんて事がわかれば、より慎重になるだろう。みすみす自国の王を危険に晒すような真似はしない。

「……今かの国は不安定だ。私も子細はわからないが、おそらくメルバコフが何か企んでいる。こちらが正式に指名手配を出せば、確実に利用してくるだろう」

「不安定? 何かあったんですか?」

「10月10日、ギオザ・ルイ・アサムの誕生祭にて、城下町が立て続けに放火された。被害は少なかったようだが」

「それがメルバコフの仕業だと?」

「そうだ」

 レイディアはじっと考えた。

 ハレル司教は断片的にしか情報を提示していない。これ以上のことはきっと聞いても教えてくれないのだろう。だから、ここまでの話から推測することにした。

「その件で、ギオザ・ルイ・アサムの力が発覚した。教会はメルバコフが放火することを知っていて、静観していた。あるいは」

 随従してその力を直接確認した、そう続けるはずの言葉は「口を慎め」というハレル司教の声に阻まれた。

「お前は聡いな」

 彼女は怒っているわけではないようだった。

「しかし、危うい。ここがどこだかわかっているな?」

「はい……」


 メルバコフが神守国なので難しい位置に立たされているが、アサム王国とエルザイアンの関係は、良好とは言えずとも大きな問題もない。ギオザ・ルイ・アサムを指名手配することによってその均衡が崩れることは必須だが、放火という直接的な加害に組織だって関与していたなんてことを知られるわけにはいかない。

 エルザイアンがギオザ・ルイ・アサムを教会の名において公に指名手配すれば、メルバコフはそれを大義名分にして動き出すだろう。放火を成功させたのだから、実際にギオザ・ルイ・アサムを捕らえる算段があるのかもしれない。


 そこまで考えてレイディアはハッとした。


 そうなったら、ツァイリーはどうなる? ツァイリーは先王の血を引いているのだ。もしも、次期王として担がれたら……。


「リーは……アザミ・ルイ・アサムはどうなりますか」

「お前はどうしたい?」

 レイディアはライアンでのツァイリーの言葉を思い出した。


『大丈夫だ。俺は絶対生きて、またセゾンのみんなに会いに行く。ディアにも会いに行く。でも、今はできないんだ』


 今はできない、ならば、いつなら帰ってこれるのだろう。詳しくは聞けなかったが、ツァイリーも難しい立場にいるのはわかる。誘拐されたとも言っていたし、命令に従わなければいけない理由があったのだろう。

 しかし……。

「連れ戻したいです」

 レイディアの答えはひとつだった。ツァイリーがギオザ・ルイ・アサムに利用されているなら、力づくでも奪い返す。


ツァイリーはセゾンの家族だ。アサム王国にはやらない。


「ツァイリー・ヴァートンはもとは我が国エルザイアンの民。あくまで可能性の話だが、混乱に乗じて、国民保護という名目で連れて帰ることはできるかもしれない」

 ハレル司教は言葉を続ける。

「今後の私たちの動きはメルバコフに依存する。この件は、ライアンの件で双方と面識のある私が担当することになった。有事の際にはお前も連れて行く。そのつもりでいろ」

「わかりました」

 ハレル司教は用は済んだとばかりに部屋を出て行った。


 レイディアも少し考えにふけってから部屋を出る。扉を開けた先に、腕を組み壁に背を預けて立つ人物がいた。待ち構えていたようである。レイディアはそれが誰なのか気がつくと心の中で嘆息する。

「ダウト司祭」

「奇遇ですね、レイディア司祭」

 ダウト司祭はにっこり笑う。彼はなにかとレイディアが気に入らないらしく、よくつっかかってくるのだ。

 レイディアは早くも、無視して通り過ぎれば良かったと後悔した。

「ハレル司教と何を話していたんですか」

「アサム王国についての話です。口外していい内容かわからないので、これ以上は話せません」


 アサム王国、という言葉を出した瞬間、ダウトが苛立ったのに気づく。ダウトは神官らしく落ち着いた言葉遣いや振る舞いをするが、元来の性格は荒っぽいらしい。何度もつっかかられるレイディアは、彼からにじみ出る雰囲気から、彼の感情の変化がわかるようになっていた。

 ダウトは準一級神官である。同じくハレル司教の下についていて、レイディアが神官になった時は、彼はいわゆる上司にあたる人だった。それが、レイディアの異例の出世で立場は逆転。レイディアは、その美貌から神殿内外から人気を集めており、さらにライアンまで随行した件もあり、今ではハレル司教の右腕的存在に収まっている。

 その諸々すべてが、ダウトのレイディアへの嫌悪感ヘイトを高めたのだった。


「本当にそれだけですか?」

「……?」

 レイディアは聞かれている意味がわからなかった。

「噂になっていますよ。レイディア司祭とハレル司教は仲が良すぎる、と」

 なるほど、とレイディアは独りごちた。ハレル司教は珍しい女性神官。そういう陳腐な噂が生まれていてもおかしくはない。

「ありえません」

 実際、レイディアはそういう色事に興味が無かった。神官になってから、見た目が目立つのもあって、そういう噂の的になっているらしいことは知っているが、知らぬ存ぜぬの態度を貫いていた。そもそも神官は恋愛禁止なので表立って聞いてくる人はいない。


「そうですか。それは失礼しました」

 失礼とは心にも思っていないだろうとレイディアは感じながら、これ以上は話すこともないと、ダウトの前を去った。


 そしてその翌日、日歴122年10月13日。エルザイアンはアサム王国国王ギオザ・ルイ・アサムを指名手配した。他国の王を指名手配するのは異例中の異例である。


『ギオザ・ルイ・アサム。悪魔の力を持つ者』


 手配書はエルザイアン国内と神守国に広く配布され、ほどなくしてアサム王国もその事実を知ることになる。

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