第25話 日歴122年 ライアン奪還作戦2

 小さいレイディアが泣いている。

 しくしく、静かに泣いている。


 ああ、夢を見ているんだな、とツァイリーは思った。この光景には覚えがある。


 あれは7歳くらいの時、まだ3歳だったメリッサがモーリスへの訪問客からもらった風船を飛ばして木に引っかけてしまったことがある。

 風船を持って走り回って遊んでいたはずのメリッサがとぼとぼと戻ってきて、2人の前に来るなり「ふうせん、ふうせん」とギャン泣きするので、ツァイリーとレイディアが手分けして探していたのだ。


 先に木に引っかかった風船を見つけたレイディアは、登ってとろうとしたらしい。しかし足を滑らせて木から落ちてしまい、後からわかったことだが足を骨折していた。


 自力で立ち上がることもできず、経験したことのないあまりの痛みに、レイディアは1人なすすべなく泣いていたのだった。


 風船を探していたツァイリーは、座り込むレイディアを見つけるとその異様さにすぐに気がついた。


「ディア!?」

 小さいツァイリーが走って、レイディアの側に寄る。

「風船」

 声を震わせたレイディアが指す方向を見て、ツァイリーは木に引っかかった風船を見つけると、状況を理解した。

「怪我したのか? 立てるか?」

 レイディアは首を横に振る。


 この歳からレイディアは大人しくて模範的な良い子だった。特に4つ年下のメリッサが施設にやってきてからは、率先してモーリスの手伝いをするようになった。

 遊ぶことが大好きで、いつもレイディアを連れ立っては周囲の森を冒険していたツァイリーはそれが面白くなく、メリッサに対しては意地悪な行動をよくとったものだ。

 それが原因でメリッサには嫌われることとなるが、もう少し先の話である。


 なにはともあれ、レイディアが泣くなんてことはたいそう珍しく、ツァイリーは驚いた。それと同時に、痛みが凄まじいのだろうと想像を働かせると、一刻も早く手当をすべく迅速に動き出した。


 ツァイリーはしゃがんでレイディアに背を向けると、「乗れる?」と聞いた。この時も2人の身長は大差なく、まだ7歳のツァイリーの体はとてもじゃないが頼りない。

 それでもレイディアの目には、ツァイリーの背がこれ以上なく逞しく映った。レイディアが両手をツァイリーの首に巻き付けると、ツァイリーはぐっと立ち上がり、レイディアの太ももを支えた。


「大丈夫だ」


 そう何度も励まされながら揺られていると、レイディアは落ち着いてきた。


「リー、ありがとう」

「……得意じゃないのに、木登りとかしてるから怪我するんだ。ああいうのは俺に任せとけって」

 レイディアがいつもの調子に戻ってきたことを感じると、ツァイリーはそう茶化す。真っ直ぐに礼を言われると、少し気恥ずかしくなってしまったのだ。


「……じゃあ、俺はリーが怪我して帰ってきてもいいようにするよ」

「あははっ、なんだよそれ。俺は怪我しねーの」

「してる。いつも擦り傷だらけだろ」

「ディアみたいな怪我はしねー」

「どうかなあ……リーが動けなくなったら、今度は俺が助けるよ」

「言ったなー? 絶対だぞ」

「うん」

「後で指切りするからな」

「うん」

 ツァイリーは、自分達は一体何の会話をしているのだろうと客観的に考えると、可笑しくなって、笑い出した。ツァイリーの笑いのツボは幼少期から若干謎なのである。


「ふふっ、あははっ!」

 最初は「真剣な話をしてるのに」と思っていたレイディアだが、あまりにもツァイリーが笑い続けるので、つられて笑ってしまうのだった。


 2人を出迎えたモーリスは、レイディアの大怪我に驚き、次いでそんな状況にもかかわらず2人して笑っていることに困惑した。


「レイディア、痛かったら言うんだよ」

そう言うと、モーリスはレイディアをそっと椅子に移し、処置を始めた。



 そういえば、あの後、レイディアは一回も「痛い」と言わなかったなと、ツァイリーは思い出していた。

 

 あれからレイディアが泣く姿は一度も見ていない。

 

 レイディアは我慢強く、負の感情をあまり表に出すことはない。率先して質素倹約を実践し、セゾンの園のことを1番に考えている。

 そんなレイディアだから、ツァイリーは支えてやりたかった。彼が疲れてしまった時、安心して背を預けられる存在になりたかった。


「ごめん、1人にして」


 慌ただしく怪我の処置をしているかつての光景を眺めながら、ツァイリーはそう呟いた。



「ツァイリー・ヴァートン!」

 名前を呼ばれたツァイリーは、ハッと飛び起きた。  

 久々に呼ばれた名前に、心臓がばくばくと脈打つ。


 昔の夢を見ていた。

 懐かしさやら寂しさやらいろいろなものが混ざり合って、寝覚は心底悪い。


「やっと起きたあ」

 名を呼んだのはヤオのようだ。そういえば、誘拐犯のヤオはツァイリーの本名を知っているのだ。


「ほんと呑気だな、戦地に向かってるのに」

 すさまじく自分を棚上げした言葉に、体をこわばらせていたツァイリーは一気に脱力した。

「どの口が……」

「飯食えだって」

 そう言ってヤオが袋を掲げる。この中に食べ物が入ってるらしい。


 ヤオは袋を開けると、自分の食べたいものを取り出して、あまりをツァイリーに渡した。

 ツァイリーは自由な発言と行動で周囲に驚かれたり呆れられたりすることが多いが、ヤオのそれは別次元だ。ツァイリーにはまだかろうじて常識が備わっているが、ヤオにはそういう区別がない。

 それでも、たまには良心を見せるし、多少のことはその性格や容姿から許されてしまうのだ。得な猫である。


「着く頃には、制圧が終わってるんだよな」

「うん」

 口をもごもごさせながらヤオが頷いた。

 作戦では、夜明けとともに第一部隊がライアンの街を占拠、第二部隊がライアンの街一体を包囲し、第三部隊が物資を持って遅れて到着するという流れである。

 ツァイリーたちは第三部隊に随軍しており、作戦が上手くいっていれば彼らが到着する頃にはライアンの街の制圧は完了していることとなる。

 到着後は状況を確認し次第、『人質とライアン領土の交換』の旨を記した文書をメルバコフへ送る手筈だ。


「本当にそんな上手くいくのか」

「街の制圧は大丈夫だろ」

 ヤオは即答した。懐疑的なツァイリーに説明するため言葉を続ける。

「メルバコフは高くくってるからな。アサムは他国との関わりを絶ってるし、揉め事は起こさないだろうって。不意打ちに対応できるほど、辺境のライアンに兵は集めてない」

「メルバコフが交渉に応じず、派兵したら?」

「それは考えづらい。アサムはメルバコフの倍以上の領土を持つ国だから、単純に兵力差がある。アサムとメルバコフ間の話なら、メルバコフに勝ち筋はないからな」

 メルバコフが交渉に応じなかった場合は、ギオザの指示を待つという話になっていた。

 それこそメルバコフが派兵してきたというような至急の場合はツァイリーが判断しその場をまとめるということになっていたが、実際はヤオがツァイリーに代わってその役をやるのだろう。

 ツァイリーの知識は、30年前に何があったかということだけで、兵力や国の思惑など今の情勢については全くわからない。


 その時、馬車がとまった。

 しかし、到着したわけではなさそうである。

「門開けてるんだろ。まだかかるな」

 ヤオはそう言うと、大きくあくびをした。お腹が膨れて眠くなってきたようだ。普段猫として生活しているせいなのか、ヤオの眠気は異常である。


 ライアンとアサムの境界には堅固な塀が築かれているため、ライアンの街へは荒野を通って行くことになる。今ちょうど、アサム王国と荒野の境目にいるらしい。ライアンまでは残り半分くらいといったところだ。


 いつのまにか毛布をもらっていたらしいヤオは、それを枕にして横になると、身体を丸めて眠りについた。


 すっかり眠気の覚めたツァイリーは、今度こそゆっくり本を読もうと頁を開き、ライアン到着までの時間を読書に費やしたのだった。

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