第9話 日歴121年 王の犬 下

「リズ様、ただいま陛下は接客中でして……」

「あたしより大事な客がいるなら是非拝みたいわね……ギオザ、入るわよ」

 突然慌ただしい声がしたかと思うと、執務室の扉が勢いよく開かれた。


 反射的に視線を向けたツァイリーは、あらわれた人物を見て息をのんだ。


 そこにいたのは、その場の空気の色を変えてしまうくらいに強烈な美貌を持つ人物だった。


 ツァイリーは幼い頃から絶世の美青年であるレイディアとともに過ごしたため、一般的な美男美女に驚くことはない。ただ、扉を開け放った人物は、清廉潔白な雰囲気のレイディアとはまた別の、妖艶ですべての人を引きつけるような魅力を放っていた。

 身長はツァイリーより断然高く、体つきも決して華奢ではない、男である。顔も女性のように可愛らしいというわけではなく、雄々しさと妖艶さが上手い具合に調和された美人といえた。


「何の用だ、リズガード」

 突然の乱入者にさえ、ギオザは淡々と問いかける。

無遠慮にリズガードを見つめていたツァイリーは、それに気づいた彼の視線が自分に向けられると、はっとして顔をそらした。


「初めて見る顔ね、この子はだれ?」

「弟だ。アザミ・ルイ・アサム」

「弟?」

 リズガードは訝しそうに呟くと、迷いなくツァイリーに近づき、俯く彼の前に立った。


「顔を上げなさい」

 ツァイリーはその一声に恐る恐る顔を上げた。リズガードの少し色素の薄い瞳が探るように動くのがはっきりと見える。

ツァイリーは息もしづらいほど緊張し、手にじっとりと汗をかいた。


 リズガードはしばらくツァイリーの顎を掴んで顔を観察すると、ぱっと手を離した。突然美人と長時間向き合うことになったツァイリーは、緊張から解放されたことで深く息をついた。


「似てないわね」

「母親が違う」

「噂の隠し子がなんでこんなところにいるわけ?」

「自分でここまで来た」

 ギオザは先ほどツァイリーに説明した設定を話した。そこに嘘っぽさは一切ない。しかし、そんなギオザを一瞥して、リズガードは鋭い一声を放った。


「あたしに嘘つくんじゃないわよ」

 どすをきかせた声は迫力があり、多少苛立っているようだ。

ツァイリーは早々に嘘がバレていることに驚き、そっとギオザを窺った。


「1年ほど保護していた」

 またも飄々とギオザは嘘をつく。保護じゃなくて監禁だろ、とツァイリーは心の中で呟いた。

 しかし、今回のギオザの言い分に関しては、リズガードは追求しなかった。


「あらそう。アザミだっけ? あたしはギオザの従兄弟のリズガード・セラ・アサム。リズ様って呼んでちょうだい」

「は、はい……」

 強烈な美人にそう言われて、ツァイリーはぎこちなく頷いた。

 リズガードの話し方は独特だが、不思議なことにそれがピタリと合っていて、見た目と相まってとにかく迫力があった。


「それで、何の用だ?」

「いいわ。このことは後でじっくり話を聞きにくるから、そのつもりでね。

今回ここに来たのは、ヴィルフレア家が月宴会の参加を了承したことを伝えるためよ。あたしに感謝しなさい」

「そうか」

 王であるはずのギオザに、リズガードは堂々と上から目線である。しかし、ギオザはそれを咎めることもなく、短く返すだけだった。


ツァイリーは、イメージしていたギオザ像がどんどんと変わっていくのを感じていた。


「もしかして、この子も連れて行くつもり?」

「そうだ」

 リズガードが自分をちらりと見たことで、この2人の会話が自分にも関係することに気づき、どこか他人事のように呆けていたツァイリーは背筋を伸ばした。


「素材は良さそうなのに、なんか小汚いわよねえ。当日までに、なんとかしなさいよ」

 体を洗ったばかりのツァイリーだったが、美しさの化身のようなリズガードに小汚いと一刀両断され、抗議の言葉も出なかった。というより、抗議なんてしようものならば、結果的にもっと傷つくような気がした。

 しかし、ツァイリーにも心当たりはあった。風呂場で見た自分の顔は、どこか土気色で、隈があり、やせ細ったせいで頬はこけ、以前の自分より随分老けて見えた。


「そうだな……リズガード、頼んでもいいか」

「はあ? あたしが?」

 ギオザもツァイリーの身なりに対して、リズガードと同じ感想を抱いたようである。

 ツァイリーはそういえばギオザに、初っ端に醜いやら貧相やらと言われたことを思い出した。


「適任だろ」

「そりゃあたし以上の適任はいないわよ。でもね、あんたあたしを軽く扱いすぎ。あたしの時間は安くないのよ」

「暇だろう」

「あんたねえ……」

 リズガードは深くため息をつく。


「まあ、いいわ。引き受けてあげる」

「えっ」

 リズガードの言葉を受けて、ツァイリーは思わず声を上げてしまった。

 話の流れはあまりよくわからないが、この人に自分の何かが頼まれたようである。

 自分を誘拐監禁した一国の王であるギオザには平然とため口をきけるツァイリーだったが、どうもリズガードには、彼のあまりの迫力に圧倒され、萎縮してしまうのだった。


「なによ、不満でも?」

 ぎろり、と睨まれ、ツァイリーは曖昧に首を横に振った。



「随分愁傷な態度だったな」

 リズガードが出て行った後の静まりかえった室内で、ギオザがそう声をかけた。やはり淡々とした響きだったが、ツァイリーはギオザが楽しんでいる節を感じ取った。


「なんか、苦手だ。あの人」

 ツァイリーはなんだかどっと疲れて、ソファに沈んだ。

「すぐに馴れる」

 ギオザが励ましの言葉をかけてくれることを意外に感じながら、ツァイリーはシャンデリアを見つめた。


「なあ、聞いていいか」

「なんだ」

 ツァイリーは誘拐されてからずっと気がかりだったことを聞いてみることにした。


「俺がいた孤児院、セゾンの園がどうなってるか知らないか」

 ツァイリーは国に呼ばれて王城に向かうところを誘拐されてしまった。おそらく、自分が召集に応じなかったことで、国の使いがセゾンの園を訪ねただろう。

 今では国が何の目的で自分を召集したかはわからないが、タイミング的にも黒の国に関することで間違いない。仮に自分の不在が逃亡とみなされれば、セゾンの園、特にレイディアには追及の手が及んだことだろう。

 セゾンの園は少なからず国の支援で成り立っている。自分がいなくなった後、セゾンの園がどうなったのか、それはツァイリーがずっと知りたかったことであるが、知るのには勇気がいることでもあった。


「知らない」

 しかし、ギオザの答えは一言ただそれだけだった。

「そうか」

 ツァイリーは、ギオザはきっと嘘をついているのだろうと思った。周到に準備された誘拐だったのだから、当然セゾンの園の存在は知っているはずだし、自分をこれから表に出すにあたって周辺の調査は行っているだろう。


 トントン


 静寂を打ち破るように、控えめに扉が叩かれた。


「ご昼食の用意が調いました」

 その声を聞いたとき、ツァイリーは自分の空腹を感じ、これ以上わからないことを考えるのはやめにしようと思考を断ち切った。


「客人用も運べ」

「かしこまりました」

 静かにワゴンを押して入ってきた使用人達が並べた料理の数々はツァイリーが生きてきた中のどの食事よりも豪華だった。


 「これ本当に昼食? 何かのお祝いとかじゃなくて?」とツァイリーは聞きたい気持ちになったが、ギオザにあまり話すなと言われていたことを思いだしてやめた。

 使用人達が去った室内で、ツァイリーはただただ料理に感動していた。ギオザが2本の棒を器用に使って料理を口に運ぶのに感心して、どうにか自分も試みるが、その姿は不格好で何度も料理を取り落としていた。

 ギオザは行儀の悪いツァイリーを咎めることなく、ツァイリーが料理を一口味わう度にもらす感想を聞きながら、黙々と食べ進めた。


「すごいな!王様ってこんなに美味しいもん食べられるのか! ディアの飯も美味かったけど、食材が限られてたからなあ。あっ、これは何だ?」

 ツァイリーが箸で指したのは黒色の何かで、一口大に切り分けられていた。黒々としたそれは食べ物とは思えなかったが、王様に変なものを出すわけもないので、これもまた美味しいものなのだろうとツァイリーは思った。

 ギオザはちらりと見ると、嚥下して答えた。


「名産のブルートの実だ」

「果実か!」

 ツァイリーは甘いものが好きだ。嗜好品の菓子などを食べることは稀だったが、孤児院には果実の木が植えられていて、毎年それを食べるのが季節の楽しみだった。

 ツァイリーはブルートの実を箸で刺すと一口に食べた。


「うま!!」

 ツァイリーはもごもごと口を動かしながらそう言うと、至福と言わんばかりの表情をする。


 ギオザはそれを見て、そっと箸を置くと、自分のブルートの実の皿を持って立ち上がり、ツァイリーの卓に載せた。

「え! くれるのか!?」

 ツァイリーはそれはそれは嬉しそうに礼を言う。ギオザは自分の定位置に戻ると、再び食事を開始した。ブルートの実を嬉々として食べるツァイリーの背後にはぶんぶんと揺れる尻尾が見える。


「まさしく犬だな」


 そのギオザの呟きは、ツァイリーには届かなかった。

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