第8話 日歴121年 王の犬 上

「お前は、自らこの国に来た」

 ツァイリーは座り心地の良いソファに座って、王と向き合っていた。


 王は凜とした様子で執務机のチェアに腰を下ろしており、見上げる形になる。明るい場所に来ると、その王の美貌が際立った。血が通っているのか怪しくなるほど白い肌は、自分よりも不健康な気さえした。


 ツァイリーは、アサム王国へ『自ら』来たわけでは決してなかったが、とりあえず王の言葉を黙って聞くこととした。


 ツァイリーは牢屋から出た後、隠し通路のようなところを通り、この部屋へ来た。

 王の私室と繋がっているこの執務室に入るなり、ツァイリーは風呂場へ閉め出され、身体を洗うように指示された。

 脱衣所に用意されていた服は、これまでツァイリーが着たこともないくらい上等で、さらに故郷のエルザイアンでは見かけない形式だった。着方がわからなかったツァイリーは適当に身につけると、髪を濡らしたまま風呂場を出た。


 王はそんなツァイリーの姿を見ると、文字通り言葉を失った。


 こんな失礼極まりない人間を目の当たりにしたことなど、人生で一度もなさそうだった。

 しばらく考えて何かを諦めると、黙ってツァイリーに近づき、彼の頭に手をかざす。

 ツァイリーはその瞬間に首筋まで滴っていた水滴が全くなくなったことに気づいた。王が神力(シエロ)で乾かしてくれたのだと悟った頃には、適当に結んでいた帯が解かれ、あれよあれよという間に手際よく着付けられていた。


 そんな流れで、身体も綺麗になり、着心地の良い服に身を包んだツァイリーは、一息ついてソファに座っていた。


「自分の血筋を知ったのは最近で、実の父親を弔うことを目的に来た。そこで、義理の兄である私と話をし、私の下につくことに決めた…それがお前の設定だ」

「なるほど」


 どうやら王は義弟である自分と良好な関係を築いていると周囲に思わせたいらしい。


 ツァイリーが前王の隠し子であることを敢えて明らかにし、その上でツァイリーが王に従えば、彼に反する不穏分子はツァイリーを持ち上げることができなくなるという寸法だ。


 ツァイリーは拘束されてから幾度となく尋問を受けた。すべて自分が反体制派と接触していないかということである。なので、すぐに大方の状況を理解した。


 王に不満を持つ派閥がいて、次の王の首としてツァイリーの存在がやり玉に挙がっていたようだ。


 実際ツァイリーはそんな輩と接触していなかったが、それも時間の問題だったのかもしれない。

 どちらにしろ自分の平穏な生活は続かなかったのかと思うと、ツァイリーはただただ自分の出自が憎まれた。

 しかし、自分が隠し子でなければセゾンの園に預けられることもなかったのだろうということを思えば、それも運命だったのかもしれない。


 運命? くそくらえだ、そんなの。


「それから、今日からお前はアザミと名乗れ」

「アザミ……?」

「我が国の王族は代々、結婚時と出産時に次の子の名を決めるしきたりがある。私の父は私が生まれた時、次の子の名をアザミと決めていた」


 自分の名が突然変わるということに、ツァイリーはやはり抵抗があった。

 しかし、これから始まるのは新天地での生活であり、アサム王国前国王の隠し子としての人生である。


 名前が変われば、これまでの自分ツァイリーこれからの自分アザミは別人なのだと割り切れるような気もした。


「わかった」

 王は意外にも従順な様子のツァイリーを、疑わしい気持ちで見た。

「何か質問はあるか」


 ツァイリーは王が自分の質問を受け付けてくれることを意外に感じた。聞きたいことはやまほど有るが、あまりにもくどくどと聞ける雰囲気でも間柄でもないので、取り急ぎ聞くべきことだけ頭に思い浮かべる。


「なんて呼べば良い、お兄様。 ていうか、名前なんだっけ」

「……ギオザ・ルイ・アサム」

 ツァイリーのギオザに対する不躾な言葉遣いと質問は、黒の国アサムの者が聞けば恐怖に震えてもおかしくはないが、当の本人であるギオザは特に怒る様子もなかった。さらに室内には現在ツァイリーとギオザの2人しかおらず、ツァイリーを咎める者はいない。


 ツァイリーは教えてもらった名前をかみ砕くように何度も小声で繰り返し、天井を見上げた。

 その先にはキラキラと輝くシャンデリアがあり、ツァイリーはふとセゾンの園の礼拝堂を思い出した。この輝きは、少しだけ礼拝堂のステンドグラスと似ている。


 レイディアは今どうしているだろう。きっと音信のない自分の身を心配しているはずだ。


 そんなツァイリーの思考を断ち切るように、ギオザが冷え冷えとした声で言い放った。


「呼び方はギオザでいい。ただし」

「ただし?」

「人前では極力話すな」

「へ? なんで?」

 ギオザはツァイリーをぎろりと睨んだ。異論は許さないという雰囲気だ。


「わかったな?」

 天井からギオザに視線を移したツァイリーは、牢屋を出てから取り付けられた首輪の存在を思い出した。そして、自分はこの男の犬になったのであったと思い至った。


「わかった」

 素直に頷いたツァイリーは、ふと疑問に思ったことを聞いてみることにした。


「この首輪はなんだ? 神力シエロは使えないみたいだけど」

 最初はツァイリーもギオザがやったように、神力(シエロ)で髪を乾かすことを試みた。しかし、どうしても神力(シエロ)は使えなかった。

 1年以上前も、山小屋で目覚めた時にツァイリーは首輪を付けられていた。その時も、ツァイリーは神力(シエロ)が使えず、常ならばとけるはずの拘束をとくことができなかった。

 今回付けられている首輪は前回よりも華奢で、首輪というよりチョーカーに近く、アクセサリーとして通用しそうなデザインである。しかし、不思議なことに外すことはできない仕様だ。


「拘束具だ」

「拘束?」

「私の意志で、爆発させられる」

「爆発!?」

 さすがのツァイリーも、これには声を上げざるをえなかった。

ツァイリーが生きてきた世界が狭かったというのもあるかもしれないが、そんな道具は聞いたことがなかった。


 もとよりツァイリーは適当にギオザの言うことを聞いて生き延びようと思っていた。

 ツァイリーの夢はセゾンの園をレイディアと運営していくことだったが、今となっては叶わないだろう。ツァイリーはセゾンの皆が大好きなので、自分がそばにいることで迷惑をかけるようなことは絶対にしたくなかった。

 物心ついたときからセゾンの園で育ったツァイリーは、他に行き場もない。ギオザの下から逃げたとしても、ツァイリーはその先を想像することが難しかった。


「その首輪のことは誰にも言うな。言ったら、わかるな?」

 ちらり、と視線が首輪に向いたことで、ツァイリーは意図を理解し、首輪に指を沿わせるとゾッとした。

 これが爆発したら、文字通り真っ二つである。


「言わない」

 ツァイリーの第一優先事項は生き延びることである。

 少なくともこの首輪がはめられている間はギオザに逆らわないと、ツァイリーは心に決めた。


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