青いリボン
オーディション課題が発表されて数日後、結さんからお茶の誘いを受けた。
結さんとお茶する時はいつも同じ店だ。
例の、さぎりと別れる直前に来た店である。そこで俺は今、結さんの話を聞いている。
大学内で最も注目されているクラリネットの4年生、藤原恵美先輩。
彼女は大学卒業後、演奏活動をやめて就職することを決めており、そのため今回のAブラスのオーディションは受けないのだという。
「先輩が言いたいのは、もう就職して音楽から離れることが決まっている自分よりも、まだまだ楽器と向き合おうとしてる人にAブラスに乗ってほしいってことなんだと思うのよね。」
その考え方自体はもっともなのだが、結さんはAブラスを4年生と一緒に、特に藤原先輩のような素晴らしい先輩と一緒に吹ける最初で最後の機会だと考えてるようで、できれば受けてほしいと言う気持ちを先輩に打ち明けたようだ。
本当、やることが大胆で、なんとも結さんらしいなと思う。
『うん、俺もそうだと思う。でも、藤原先輩って、確か一年生の時からずっと首席の人だよね?音大生より有望だって打楽器の先輩も言ってた。そもそもなんでそんなに上手い人が就職なんだろうね?』
結さんが憧れるとしたら、藤原先輩を置いて他にいないだろう。
「本当、そうだよね。私もそこが1番の疑問なの。でも、まさか聞けないじゃない?そんな個人的なこと。」
それは、そうだ。例えば、打楽器の増田先輩が藤原先輩と同じようなことを言い出したら、俺も結さんと同じことをするだろう。それに、そんな個人的なことは、聞けない。
『そうだな。俺が結さんの立場でも聞けないな。。でも、考えてくれるって言ったんだよね?だったらまだ希望はあるし、結さんは、今は自分が合格できるように頑張るべきじゃないかな?』
まずは結さんが受かることが最優先だ。
「そうね。先輩が受けてくれたところで、私が落ちたら意味ないもんね!ありがと!」
『いや、俺はなにもしてないよ。藤原先輩、受けてくれるといいね。』
藤原先輩が自分で考えてみると言ったんだ。希望がないわけじゃない。
「なんか、恒星君と話すと落ち着くの。これからも色々な話をしましょ!」
相変わらずストレートだ。ものすごく照れる。
『喜んで。俺も随分助けてもらったし、これからももっと話したいよ』
悟られないように、なんとかこれだけ言った。
この日は、一緒に帰ることになった。
「いよいよ試験が近づいてきたね。」
やっぱり。その話になるよな。
『うん、最初の試験だからね。ここで躓きたくないよな。調子はどう?』
俺は、まずまずと言ったところだ。
「うん、悪くないよ。伴奏も見つかったしね。でも、ちょっと緊張してる。。」
緊張か。それは俺も同じだ。でも、
『初めての試験だからな。誰だって緊張するよ。でも、緊張するってことは、それだけ本気な証拠だと思うよ!』
この言葉は受け売りだが、最近特に実感していることだ。
それともう一つ、ここ最近辿り着いた考え方というか、境地、みたいなものがある。
『俺、最近気付いたんだけど、頑張らなきゃって思うと焦るけど、頑張ればいいって思うと前向きになれると思うんだよね。条件は一緒だけど、気持ちだけは自分次第だからさ。』
結さんはもう頑張っているしな。
「確かに!そっか、頑張ればいいんだ。」
『うん!』
結さんは自立している。
俺がそう感じるのは、結さんが自分の目標や目的をしっかりと持っているからだと思う。
結さんはすごい。なんでも自分で考えて、こうだと決めたらひたすら努力する。
そして、その目標を達成してきた人なんだと思う。
頑張ればいい
この言葉は、結さんみたいな人にこそ相応しいと思う。
俺も頑張ろう。
まずは試験、それからオーディションだ。
この日を境に、さらに忙しくなった。
学校が終わったら練習か教習かバイト。土日もだ。
でも、全てが楽しいと思えていたので全く苦にならなかった。
むしろ今休みなんかがあっても何をしていいかわからないw
今こそ頑張るときだ!
試験後には結さんとご飯に行く約束もしている。
目標さえあれば、いくらでも頑張れる!
そう思って頑張っていたら、あっという間に試験の前日だった。
なんでだろう?
今日は、やけに結さんに会いたい。
おかしな話だ。別に恋人でもないのに。
友達だ。
いや、ただの友達とも違う…憧れてはいる。
結さんは、本当に美人だし、性格だっていい。
どんな時でも明るくて、ルックスも良くて、その上努力もできる完璧な人だ。精神的にも自立している。
そんな人と、俺は釣り合わない。いや、そもそも俺のこの気持ちだって、ただの憧れじゃないのか?
「人一人が抱えられるものの大きさなんて、たかがしれていると思うのよ。でも、恒星君は彼女の分まで持ってあげてるのね」
これは、結さんが俺にかけてくれた言葉だ。
でも、実際は違う。さぎりの分まで持ってはあげられなかった。
「私は恒星君と知り合って間もないからよく知らないけど、初めて会った時から、あなたはとても器の大きな人に見えたわ。でも、さっき言った通り、人一人が抱えていられるものの大きさなんてたかが知れているのよ。同い年なんだしね。だから、どんなに恒星君が優しくても、大きく見えても、甘えすぎないようにしなきゃいけないと思うわ。いくら自分がいっぱいいっぱいでもね。」
これも、結さんがくれた言葉だ。
そうだ、結さんは、俺のことは決して否定しなかった。
それだけでどれほど俺が救われてきたか…。
では、救われてきたことが重要なのか?
救ってくれたら誰でもいいのか?
いや、待て、これ以上考えるのはやめよう。
明日は初めての演奏試験だ。
こうして迎えた演奏試験当日。
俺は、この日は集合時間の1時間前に到着し、準備を進めた。
と言っても、打楽器専攻の学生が使う楽器は全て前日までに試験場に移動してあるため、自分が使う撥と楽譜の確認だけだ。
楽譜を読みながら演奏のイメージをした。これまではあまり本番直前にやることはなかったのだが、今回からはやることにした。確実にいい演奏をするためだ。
今回俺が演奏する曲は、小説線が存在しない難しい曲だ。
打楽器のソロの歴史は割と浅いので、どうしても現代曲ばかりになる。
その中でも、俺はなるべく楽曲形式に則った曲を選んでいきたいと思っている。
今回取り上げるのは、まさにそんな曲だ。
集合30分前、もう控室には入れるので行ってみた。
流石にまだ誰もいない。
集合20分前、同期の熊谷佳代が入ってきた。
「おはよう」
『おはよう』
いつも通り挨拶を交わすが、声には若干緊張の色が混じっている。
「いよいよだね。あー緊張するなぁ」
と言って伸びをする。
『初めての試験だからね。俺も、緊張してる。けど、ここまできたら開き直ろうと思ってるよ』
これは本音だ。
「大事だよね!それに、樋口君は大丈夫だよ。いつも遅くまで練習してるもんね。」
『まぁ、なるようになるよ』
「だね!」
などと話しているうちに集合時間10分前になっていた。
「おはよう!」
『おはようございます!』
あちこちで挨拶が交わされ、全員集合した。
学生課の事務員さんによる点呼があり、演奏順に試験場近くに移動した。
俺の演奏順は3番目。
前の2人は伴奏付きのマリンバの曲だ。従ってセッティングに変更はない。
でも俺の曲はマルチパーカッションと言って複数の打楽器を使うので大規模なセッティング変更が必要になる。
幸いセッティングは全員で手伝ってくれるのでスムーズにできそうだ。
よし。
いつも通りにやるだけだ。
それに、これが終わったら、結さんに会える。
前2人の演奏が終わり、セッティングも無事に終えた。
一旦舞台袖に捌ける。
一息ついて、ステージに上がる。
舞台中央、セッティングしてある楽器の隣で一礼する。
俺の演奏時間は約6分半。
集中。
最初の一打を叩いたら、あとは終わりの音に向かっていくしかない。
今から急に上手くなることはない。
いつも通りにやろう。
今回の演奏試験は、今までにない感覚だった。
最初の一打から、最後の一打まで、全てはっきり覚えている。
細かいミスはあったが、冷静でいられたので、これは大きな収穫だと思う。
よかった。
後はセッティング役に徹しよう。
『お疲れ様!』
「お疲れ様!」
演奏試験を終えて、結さんと食事にきた。
場所はいつものカフェだ。
『初めての試験、どうだった?』
「まぁまぁかな。。」
手応えはあったみたいだ。
多分、俺と同じように冷静に演奏できたんだろう。
「恒星君は?」
軽く首を傾げて聞かれた。
綺麗な髪が少しなびく。
『うん。まぁまぁかな。』
そう言って、二人同じタイミングで吹き出した。
いい雰囲気…かな?
「初めての試験でまぁまぁって言えたら、良い方かもね!」
その通りだ。
『そうかもな。次はオーディションか。それが終わったら年末にはAブラスの本番。年明けにはまた後期の演奏試験か。いいな。充実してる。』
飽くまでも、俺はAブラスに受かるつもりでいる。
もちろん、結さんもそうだろう。これからも俺は、この頼もしい同期と一緒に頑張っていきたい。
『ん?なに?』
気づけば結さんにじっと見られていた。
「あ、んん、なんでもない!」
慌てて目を逸らした。ん?
『ん?なんだ、顔赤いよ?大丈夫か?』
「だ、大丈夫!本当。うん。」
なんだ?慌ててるのか?
『そうか、ならいいけど。』
すると不意に
「…恒星君って、かっこいいね。」
呟くように言った。
『え?なんだよ急に!』
本気で照れた。不意打ちがすぎる…。
「ごめん、でも、本当に、そう思うから。。」
そう言って俯いている。
…なんて…かわ…
『あ、ありがとう。。』
自分の顔が赤くなっているのがわかる。
「それだけー?私は?」
って今度は俺をからかうのか!
いや、ここは素直に言おう。チャンスだ。
ある意味。
『え、えっと、かわいいよ。すっごく。』
結さんは、急にパッと顔を明るくして言う。
「ありがと!ねぇ、かわいいって、どのくらい??」
反則的に可愛いって…
『そうだな、えっと、ご飯誘われて、浮かれてしまうくらいには。』
本音中の本音だ。
「よかった!じゃぁこれからも誘うね!でも、たまには恒星君からも誘ってね!」
え?
『ん?うん、いいのか?誘っても。』
「なんで?いいじゃない、誘っちゃいけないなんて、そんなことある?」
いや、そうなんだけど…。
『まぁ、そうだよな。うん。それなら、えっと』
迷ったが、チャンスは今しかないと思った。
逃すわけにはいかない。
『えっと、夏休みになったら、海を見に行かない?俺、もうすぐ免許取れるし。』
結さんが目を丸くしている。
しまったと思った。いきなりハードル高すぎたか…
それもそうか、海に行くだけならまだしも俺の運転で、ということは当然長い時間2人っきりなわけだしそりゃなんていうか流石に嫌だよな
「え?いいの?もちろん、私でよければ一緒に行きたい!っていうか、免許なんて、いつの間に!」
え?
『え!?いいの?本当に??』
今度は俺が目を丸くする番だった。
「あれ?ひょっとして、私の水着姿が見たい、とか?」
結さんが悪戯っ子の表情で言った。その表情はやめろ…
可愛すぎる…しかも水着って
『い、いや、それはないよ!飽くまで海を見るだけ!』
「冗談よ!私、水着なんてもってないし!」
そう言って二人とも笑った。
最高に幸せな時間だ。
今ので少し落ち着いた。ちゃんと話しておこう。
『いや、実はね、演奏試験は終わっても、まだ休み明けにオーディションもあるから、ちょっと頭を切り替えたいんだ。だから、なんていうか、1日思いっきり遊ぶ日を作って、そこを目標に頑張る。みたいにしたいと思ってるんだ。』
結さんにも、息抜きしてほしいし。
いや、俺相手でよければだけど…。
「恒星君らしいね。すごくいいと思う。」
『ありがとう、じゃ、その日は、一日付き合ってください。』
しっかりとお礼を言った。
「うん!楽しみにしとく!その代わり、私からも一つお願いしていい?」
その後、海にいく日を決めて、一緒に帰ることにした。
「あ、ねぇ、ちょっと聞いてもいい?」
『うん、なに?』
「打楽器のソロってどんな楽譜なの?今日の恒星が演奏していた曲を聴いてても、楽譜がどうなっているか想像がつかなくて。」
演奏順の関係でどうにか間に合った結さんは、なんと俺の演奏を聞いてくれていたらしい。
『あぁ、あれはね、ちょっと特殊なんだ。』
そう言ってカバンから楽譜を出した。
俺が今回試験で取り上げた曲は、普通に五線譜だが、小説線がない。
大きなカッコが書いてあって、その中に短いフレーズが書いてあり、さらにカッコの外に×49と書いてある。カッコの外から右に→が書いてあって、またカッコがある。そのカッコには×22。それからまた→。
基本的にはその繰り返しで、カッコの中の音符と外の数字は全部違っている。
『これは、カッコ内のリズムをおおよそ何回繰り返せって言う意味なんだ。数は、任意で変えていいって言う指定もある。つまり、同じ曲でも演奏する人や、その時々によって演奏時間が変わるってことだね。』
パッと見ただけでは難しそうに見えるが、慣れれば特に問題はない。
技術的には難しいが。
「その説明自体もすごいことだと思うけど、なによりもこんな楽譜があると思わなかったわ!ありがとう!また教えてね!」
『うん、いつでも!』
こうして電車で一緒に帰るのも、もう何回目になるだろう?
俺にとってこんなに幸せなことはないのだが、結さんは俺をどう思っているんだろう?
そう思ってそれとなく顔を覗き込むと、結さんは、なんとも難しい顔をしていた。
『どうした?難しい顔してるけど』
「え?んん、なんでもないよ!」
ん?なんだこの反応。照れているのか?
たまには、からかってみるかw
いつもからかわれているしw
『あんまり難しい顔してると美人が台無しだよ』
言った瞬間に俺の方が恥ずかしくなって顔を背けた。
恥ずかしくて顔が見られない。
もう認めざるを得ない。
俺は、結さんが好きだ。
試験前、連絡を取らなくなって、試験後、俺が1番に求めたのは結さんだった。
結さんは自立している。だからこそ俺も1人で頑張れる。
そんな気がする。
美人だからとか、助けてくれたからとか、俺を否定しないでくれたとか、色々考えたけど、全部ひっくるめて好きなら、それでいいんじゃないかと思った。
なにも、ここまでの好意を否定する材料にはならない。
結さんとなら、お互い自立して、高め合える。
そう。会えると思ったらその日まで頑張れる相手が俺にとっては理想なんだろう。
別れてから約3ヶ月。
少し早いとは思うが、気持ちが変わってしまったのだからしょうがない。
それに、さぎりはもう次の相手と付き合っているようだ。
別に調べた訳ではない。
たまたま見掛けたのだ。
小山駅を2人並んで手を繋いで歩いていた。
その姿を見ても、俺は特になにも思わなかった。
悲しいことかもしれないけど、ずっと引きずっているよりはマシだと思う。
その男と幸せになってほしいとまでは思わないけど、邪魔する気もない。
俺は俺で、前を向いているんだし、もういいだろう。
今好きな人がいるなら、その人と自分のことだけ考えていればいい。
本当は今すぐ告白したい気持ちもあるが、今はだめだ。
オーディションが終わってからの方がいいだろう。
でも、試験が終わったこのタイミングでなにもないというのもなぁ…。
結さんにはさぎりと別れる前から随分助けてもらっている。
なにか、プレゼントしようか…。
俺は割と、人にプレゼントをするのが好きなので、何にするかはすぐに決まった。
ステージで付けられるアクセサリーがいいだろう。
特に、結さんは綺麗な長い髪を持っている。
だから、贈り物は髪留めにしよう。
それからネットでいくつかブランドをピックアップし、都内にある店舗まで見に行ってみた。
それもなんと、海に行く約束の2日前だ。
今回ばかりは本当にギリギリだった。
免許取得の為の手続きやバイト、さらにオーディション課題の確認をしたらもうあっという間だった。
こうして迎えた8月5日。せっかくの夏休みなので土日を避けて約束した。
都内でプレゼントを買った時に一緒に買った服を着て、慣れない運転で小山駅まできた。
待ち合わせは朝7時。
早いので申し訳なかったが、流石に高速に乗る勇気がなかった。
メールのやりとりで時間を決めたので、結さんがどう思ったかはわからないけど、多分、大丈夫だろう。
大事を取って早く出過ぎたので、待ち合わせの30分前には駅に着いてしまった。
ひとまずメールを送る。
【ごめん、早く着きすぎてしまった。笑
ゆっくりで全然大丈夫なので、着いたら西口のロータリーでお願い。黒のステーションワゴンだよ】
すると、1分もしないうちに助手席の窓に結さんが現れた。
「おはよう!」
姿を見てハッとしてしまった。
なんてお洒落な…。
『お、おはよう!』
結さんのいつもと少し違う姿と、車の運転に緊張を実感する。
「私も早く着いちゃった乗っていい?」
『もちろん!どうぞ!』
冷房の温度は少し高めにして、BGMは木村結。
「今日は、よろしくお願いします」
そう言って軽く頭を下げられた。
『こちらこそ、ゆっくりしか運転できないけど、勘弁してください。』
2人して少し笑ったが、次の瞬間にはまた緊張を実感する。
「ゆっくりで全然大丈夫だよ!いっぱいお話しよう!」
ゆっくりと車を出し、すぐに国道50号線に出た。
二車線あるうちの左側車線を進む。
なるべく一定のアクセルで、スムーズに行けるように心掛けた。
『大丈夫?もし酔いそうだったら早めに言ってね?』
初心者の運転だ。もしかしたら乗っている人に取っては酔いやすいかもしれないので、先に言っておいた。
「全然大丈夫!これなら酔わないと思う!」
『そうか、ならよかった。大事な人を乗せてるから、気をつけないと』
おっと、普通に言ってしまった…。
「ねぇ、これ、誰の曲?すっごい綺麗な声だね!」
『いいよね?木村結っていう歌手だよ。』
気付くかな?
「へぇ、私と同じ名前!」
『うん、実は、初めて会った時から思ってた」
そりゃ気付くよなw
「いいな、私も今度聴いてみたい!ネットならCD買える?」
お、興味を持ってくれたのか!
『もちろん!もしよかったら、貸そうか?』
「うん!ありがとう!」
大洗までは、2時間半もかかってしまった。
申し訳ないなとも思ったけど、車内では会話が尽きることもなく、むしろあっという間だった。
『着いた!慣れない運転でごめんね!』
「ぜーんぜん!むしろ上手だと思うよ!免許持ってない私が言うのもおかしいけど」
『ありがとう。いや、無事に着けてよかった。』
まずは、海水浴場をゆっくり歩いた。
こんなに時間をかけて話をしたのは初めてだった。
学校や、友達、家族、音楽のこと。
行きの車内であんなに話していたにも関わらず、その後も話は尽きることがなく、どんどん出てくる。
自分のことも沢山話したし、結さんのことも沢山聞いた。もっと聞きたいと思った。
ゆっくり何度も海岸を歩いて、海の家で軽く食事して、大前神社にも行ってみた。
終始落ち着いた雰囲気で、こういうのもいいなと思った。
これからも、忙しい時期を過ぎたらこういう日を作って一緒に息抜きをしたいものだ…。
そろそろ帰ろうかという時間になったが、
『あのさ、もう一回海岸に行って良いかい?』
プレゼントは、海の見えるところで渡したかった。
「うん、もちろんいいけど。」
もう一度海岸沿いの駐車場に車を入れた。
夕方に差し掛かって、すっかり車も少なくなってる。
先に降りて歩き出した。行き先が決まっていたからだ。
結さんは、黙ってついてきてくれた。
海沿いの歩道を歩いてきた先にある広場。
ここから直接海岸に降りることはできないが、少し高い位置にあるので海がよく見える。
『あのさ、ちょっと前のことだけど、』
唐突に切り出す。
ここまできたら、迷ってなどいられない。
「うん、なぁに?」
優しい声だ。この声に、この人に何度救われたか。
『俺が元カノと別れた後、正確には、別れる前もだけど。沢山話を聞いてくれて、支えてくれてありがとう。ただの友達なのに、すごく親身になってくれて助かった。これは、お礼と、後、これからも、よろしくお願いしますっていう気持ち。』
友達なんだ。まだ。
自分で言って少し切なくなりかけたが、打ち消した。
「ありがとう!そんなの、気にしなくていいなに。私が恒星君の支えになりたかったからしたんだよ?でも、ありがと!プレゼントは素直に嬉しいよ!開けてみてもいい?」
『うん、気に入ってもらえるかは、ちょっと自信ないけど。。。』
精一杯、良い物を選んだつもりだったけど、ここに来て少し自信をなくしかけた。
結さんは、箱から取り出した髪飾りをじっと見つめていた。
微笑んでいる。
夕陽を浴びて髪がより煌びやかに見える。
本当に綺麗な人だ。
見惚れていた。
『えっと、結さんの好みがわからなくて、俺が勝手に似合いそうだなと思った物にしてみた。。俺、こういうのあんまりセンスがないか…』
!!!
結さんが、俺の唇に人差し指を立てた…
ま、待て、近い!!
息を呑んだ。
「そんなことないよ。大人っぽくて、すごく好き!デザインもだけど、色がとにかく好みだよ!ありがとね!」
言葉は半分くらいしか入ってこなかったが、声色と表情で喜んでくれていることだけはわかった。
それにしても近い…
『ありがとう。気に入ってくれて、よかった。これから、本番とかで着るような、ドレスにもいいかもって。。』
息が上がってしまってうまくしゃべれない。
「そこまで、考えてくれたんだ。ありがとう。」
『あのさ、もう一つ、聞いてくれるか?』
ついでという訳ではないが、言うならこのタイミングしかないと思った。
「え?うん。」
『結さんが、この間言ってたこと。夏の終わりにもう一度海に連れて行ってほしいっていう。』
「あ、うん。」
小さく深呼吸した。
少し、言いにくい。
『あれ、オーディション後ではだめかな?海には、オーディションの結果が出た後に、もう一度一緒に来たいんだ。』
言い終える頃には少し落ち着いた。
そして、今決めた。
「それは、かまわないけど…。」
ん?
『けど…?』
「夏休みの間は、もうデートしてくれないの?」
いやいやいや、
『え?いや、そういう意味ではないよ!飽くまでも、海に来るのはっていう意味で。』
そこで、気持ちをちゃんと伝えたいんだ。
「なんだ!それなら全然いいよ!じゃ、今度のデートはどこに連れて行ってくれるの?」
しまった…
それは考えてなかった…
『えっと、結さんは、どこにいきたい?って、それは海か。っていうか、デートって。。』
言ってしまっていいのか?
「男女が二人で出掛けるんだからデートでしょ?じゃ、海がダメなら山にしない?日光とか!」
山か!
『おぉ!それはいいかもしれない!中禅寺湖とか!』
「うんうん!いいかも!よかった。また楽しみができたわ!」
と言うことで、無事に次の予定も決められたので帰ることにした。
それにしてもデートなんて…。
そんな風に思ってくれていたのか。
あの時、本当は告白したかった。
でも、今じゃだめなんだ。
今はオーディションに集中しないと。
これは、俺のためでも結さんのためでもある。
もちろん、不安はある。
結さんは綺麗だし、きっと狙っている男は沢山いるだろう。
でも、結さんは、誰とでも遊びに行くような人じゃない。
そもそもバイトもせずにほとんど毎日一生懸命練習しているような人だ。
きっと、大丈夫だ。
後は、俺を選んでくれるかどうかだ。
どう転んでも、前の恋人と分かれてまだ3ヶ月なのは変わらないし。
気持ちの整理はついているが、俺の中で、ちゃんとケジメをつけたい。
今も、さぎりのことを時々思い出すからな。
かと言って、好きとかそう言う感情は一切ないけど。
ちゃんと前を向くには、目を逸らさずにちゃんと思い出として振り返り、心の奥底にしまう必要がある。
これが、俺の決着の付け方だ。
もう準備は整っている。
結さん、俺は今日、あなたと1日過ごして、好きな気持ちを実感した。
誰よりも好きだ。
だけど、今はお互いやるべきことをやろう。
それが終わったら、ちゃんと想いを伝えるよ。
届くかわからないけど、伝えたいんだ。
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