君との恋の物語-mutual affection-

日月香葉

笑顔

さぎりとの別れてから、俺はひたすら音楽に集中した。

とは言え、さぎりとの別れは俺に何の影響も与えなかったと言えば嘘になる。

当たり前だ。2年も一緒にいたんだから。



「ごめんなさい、さようなら」



そう言われたのが俺とさぎりの最後の記憶だ。

悲しい記憶で終わってしまうのは辛かったが、どうしようもなかった。

そう、仕方ない。

すれ違いが続いたことも、うまく話し合えなかったことも、ちゃんと気持ちが繋がってなかったことも、他の誰かに気持ちが移ってしまったことも。

俺達のどちらかが悪かった訳ではない…いや、むしろ誰も悪くない。

強いて言えば、俺のフリをして大久保とかいう男に電話したやつが悪い。

そいつが、もしさぎりを思っていたら…。などと考えたりもしたけど、すぐにやめた。

今更そんなことを考えて何になるんだ?

多分、さぎりはその男と付き合うことになると思う。「しの」とか言ってたかな?


別れる時、俺はどこか冷静な自分がいたことに戸惑った。

もちろん、怒ってもいたけど、同時に『さぎりはこんなに誰かに依存してしまったんだな』と思っていた。

だからわかる。あれだけ誰かに依存してしまったのなら…相手さえいればすぐに付き合うんだろうなって。

しのとかいう男もそれを狙って仕掛けてきてたんじゃないかとすら思った。




こういうことばかり考えていると、イライラしてくるので、意識的に考えるのをやめた。

もう終わったことだから。

別れた以上、別の人と今日から付き合い始めようが半年後に付き合い始めようが俺には関係ないことだ。

過去の出来事にイライラするくらいなら未来のために頑張ったほうがいい。

そう思って、Aブラスのオーディションを受けることに決めた。

受けるからには、受かるつもりで取り組まなければ意味がない。

俺は、バイトのシフトを今までよりも減らしてもらい、その分を全て練習に充てた。




別れたことは、高校の頃からの友達である柳瀬肇と前田浩司、それから別れる直前に話を聞いてくれた峰岸結さんには話した。

彼女は無表情で話す俺の代わりに涙を流しながら聞いてくれた。

おかしな話だとは思うが、その涙に俺は救われた。

俺が頑張ってきたことを知っていて、報われなかったことに涙を流してくれる人がいる。

この事実は、俺を支えてくれた。

この日から俺は峰岸さんを下の名前で呼ぶことにした。

少しでも何か気分が変わることがしたかったというのと、そもそも前から名前で呼んでほしいと言われていたからだ。

躊躇う理由も、もうない。


肇と浩司は、驚いたようだが何も言わなかった。

それは、俺のことをよく知っているからだと思う。

俺が別れたと言う以上、ちゃんと納得できていることもわかってたんだろう。

これもありがたい話だ。

そう、恋愛が終われば悲しいし、辛いと思うこともある。

でも、人生はそれだけじゃない。理解してくれる友達や一緒に頑張ってくれる仲間がいる。

そこがしっかり見えていれば、恋愛に依存なんてしないで済むだろうに。

だからこそ、今回の結末は本当に残念だった。

何かに依存することは、その先によくないことが多すぎると考えているからだ。

もっと言えば、俺との恋愛がきっかけで、相手が恋愛に依存するようになってしまうことを一番よくないことだと思っているからだ。



今でも思う。

今回のことは、さぎりが自分で解決すべきだった。

相談にはもちろん乗るけど、それで俺が何かしてあげられる訳じゃない。というか、してはいけないと思う。

本人がどうにかしようと動いているから周りの人が協力してくれるのであって、本人が何かする前から周りに助けを求めてしまっては順番が逆だろう。

細かいことかもしれないが、俺はさぎりのそういうところは前々から気になっていたので、今回は何もしなかった。この俺の判断が正しかったかどうかは正直わからない。

けど、少なくとも第三者が出て来て引っ掻き回すのはおかしいと思う。

今更考えたって、もう遅いけど。


話が逸れた…。今回のことでもし俺がさぎりのバイト先の男と話をつけたり、しゃしゃり出てきた第三者を追い払ったりしたら、さぎりはどんどん自分では何もできなくなっただろう。

そうなってから、俺とうまくいかなくなって別れたりしたら、その後さぎりはどうなる…?

考えすぎかもしれないが、俺は、俺と付き合ったことで、ダメになってほしくない。

そうなるくらいなら、別れたほうがいいと思うんだ。




…また考えてしまった。

もう、終わったんだ。

こんなことを考えるのはやめて、自分のやるべきことに集中しよう。





そんなわけで、GWはバイト以外の予定は全くなかった。

誰か友達を誘って出かけようかとも思ったのだが、肇も浩司も彼女がいるし、誘おうにも日程が迫りすぎていたので諦めた。

ここで誘ったら、別れたばかりの俺に気を遣って無理にでも予定を空けるかもしれないし…。それはよくない。いくら友達でも。


家にいても暇なので、バイト以外の時間は全て練習に充てた。ほぼ1人合宿だw

時間的にも気持ち的にも余裕を持って練習出来るのはすごく久しぶりな気がした。

俺も、どこかでさぎりとの恋愛が重荷になっていたのかもしれないな…。


基礎練習をみっちりとやって、エチュードや、曲の練習をして、さらにもう一度基礎練習に戻っても、まだ時間があった。

いつもはできないような研究にも時間をかけられたし、やったことのないエチュードにも手をつけることができた。

これだけ収穫があるなら、1人合宿も悪くないと思っていたら、どうやら俺と同じことをしている人がいるようだった。

意外なことに、結さんだった。彼女も毎日練習に来ているようだ。

さらに意外なことに、お茶に誘われた…。

時々思うんだけど、彼女はなぜ俺なんかを誘ってくれるんだろう?

結さんは、はっきり言って美人だ。正面に座ってお茶を飲んでいるだけで、目のやり場に困るほどだ。芸能界に入っていると言われたら疑いもしないだろう。その上性格もさっぱりとしていて、必要以上に気取ることもないし、誰とでも分け隔てなく接している…ように見える。というのは、俺はそんなに親しい訳ではないので、あくまで最初の印象だ。

彼女なら、男女問わず遊び相手なんていっぱいいるだろうに。

まぁ、断る理由もないし、いいか。

お互い、いい息抜きということで。







GWを過ぎると、運転免許の教習を申し込みに行った。

今申し込めば夏休みまでには取得できるだろう。

そんな訳で、少し忙しくなった5月はあっという間に終わり、気づけば6月になっていた。

この頃には、だいぶ気持ちの整理もついてた。

恋人がいなくなり、勉強と練習とバイトと教習ばかりの生活の中でも結さんとはたまに会った。


会って話をするうちに、彼女は見た目とは裏腹にとても真面目でストイックだということがわかった。

なんでも、大学に入ってしばらくは学校のことに集中したいからバイトもしないと決めているらしい。そのために春休みを返上して短期バイトに臨んだんだとか。

言葉にするのは簡単だけど、やるのは結構難しいと思う。


結さんは、同級生としてすごく頼もしい存在だ。

練習も勉強も真面目にしているし、音楽に対しても真面目に真っ直ぐ取り組んでいる印象だ。

楽器は違うけど、いい意味でライバルになれると思う。

何事もライバルがいた方が燃え上がる俺にとっては大事な存在になってくるだろう。



俺は、大学では授業や昼休み以外は1人でいることが多かったけど、結さんとはたまに会っていたし、打楽器の増田先輩とはよく話をするようになった。

先輩もかなりストイックなので、練習室で顔を合わせることも多かった。

増田先輩は上手い…空き時間を全て練習に費やしても叶う気がしない…。

あの器用さというか、オールマイティな感じはどうやったら追いつけるんだろうか…?


そうこうするうちにあっという間にオーディション課題が発表され、準備に取り掛かった。

課題は予想通り、2曲のうち1曲を選択して演奏する協奏曲と、ウィンドオーケストラスタディ、いわゆるオケスタが数曲だった。

協奏曲はマリンバか打楽器を選択するのだが、俺は当然打楽器を選択した。

初めて演奏する曲なので、すぐに譜読みに取り掛かった。


なんというか、やっと自分の理想とする大学生活ができている気がする。

好きなことを思う存分に勉強して、好きなだけ練習し、バイトで少しお金を稼ぐ。

音楽について対等に話ができる仲間もいるし、お茶に誘ってくれるライバルもいる。

ストレスがほとんどない。

強いて言えば学校が少し遠いくらいか。

もしもこのまましっかりと練習を続けて、演奏や指導の仕事がもらえるようになったら…できれば学校の近くで一人暮らしをしたいものだ。

そうすればもっと効率良く練習ができるし、バイトも学校の近くで探せばいい。

まぁ、いずれにしても少し先の話になるだろうけど…。



これからはどんどん忙しくなる。

今まで以上に気合を入れて、まずは演奏試験に向けて頑張ろう。






この頃の俺は、既に結さんに会うことが楽しみになっていた。

いつでも前向きで、明るく話す結さん。

その笑顔を見ると、俺も前向きになれた。


今思えば、この頃から俺は…。

結さんに惹かれていたんだと思う。



あれほどの美人が俺を恋愛対象としてるとは思ってなかったけど…。

それに、いくら気持ちに整理がついているとは言っても、別れたばかりなのは事実だ。

いや、そもそもこの頃の俺はまだ結さんへの想いがはっきりしていなかった。

こういうことは、1人で思い悩んでも答えは出ないものだ。

だから俺は、この気持ちのことは一旦考えるのをやめて、オーディションに集中することにした。


どんなに勉強や練習に集中したって人を好きになることはあるだろうし、そうなった時には自然とわかるもんだろう。それに、焦ることもないと思っていた。

お互いに恋人がいないならたまに食事したり、お茶したり、遊びに行ったっていいだろうし。

まぁ、そんな期間がずっと続いてしまったら相手に失礼だとは思うけど…。

今はいい。オーディションがあるのは、結さんも一緒だしな。

焦らず、受かることだけを考えていこう。

結さんみたいに、いつも前向きに。


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