26:憎悪の始まり
確かに一撃を加えられたと思った俺は、意図しない方向へ弾き飛んだ己の武器に眉を寄せる。
意識の外から飛び込んできたのは、自分の扱うそれよりも小さな鎖鎌。それにはよく見覚えがある。
「死にぞこないが、なぜ動ける?」
痩せ我慢をしているのかとも思ったが、こちらへ歩み寄ってくる紫土の、その足取りはしっかりしている。
「依織ちゃんのおかげだよ」
「え、私?」
「依織ちゃんから貰った力を蓄えてた豆狸たちがさ、僕の傷の修復を速めてくれたんだ。だからこうして、みんなのピンチに駆け付けることができた」
「豆狸が……?」
「ウユーン」
どこからともなく姿を現した豆狸が、依織という女に向かって鳴いてみせる。こんなにも低級のあやかしが、役立つことがあるとは考えもしなかった。
人間の力というのは、想像以上にこの世界に影響を与えるものらしい。
「兄貴、こんな不毛なことはやめるべきだ。門を壊すなんてやめて、帰ってきてくれよ」
「貴様に俺の気持ちなど理解できるはずがない」
「気持ちなんて、話してくれなきゃわからないだろ……!」
昔から、俺よりもずっと他人の気持ちに鈍感な弟。理解できるはずもないからこそ、強制的に蚊帳の外に置いてやったというのに。
「門を壊そうだなどと……なぜ、そんな
俺に疑問を向ける
友と呼んで差し支えない。かつてはそんな間柄だったが、今となってはもう憎むべき対象の一部でしかない男。
「知ったところで理解できるはずがないというのに、貴様らはなぜ知りたがる?」
「アタシたちの世界が、わけもわからず壊されようとしてる。その理由を知ろうとするのは当然でしょ?」
「兄貴が話してくれたら、他に解決の道だって見つかるかもしれない」
「
俺は攻撃の手を休めることを示すために、大鎌を下ろす。休めるといっても、奴らが仕掛けてくるようであればすぐに対応できる程度なのだが。
「かつての俺には、特別に情をかける存在がいた」
まだこの
俺がその人間と出会ったのは、本当に偶然の出来事だった。人間になどさして興味もなかったのだから、当然なのだが。
気づけば俺の中には、見知らぬ情が生まれていた。彼女を特別だと思うようになっていたのだ。
二人で過ごす時間は、これまでに感じたこともないほどに穏やかで、すべてが満たされていると思えた。
なんの欲もなく生活をしていた俺にとって、何もかもが初めての感情だったのだ。
彼女を伴侶として迎え入れ、共に暮らしていく約束を交わすのはごく自然な流れだった。
だが、その幸せは突如として壊されることとなる。
「貴様の母……
「確かに、身勝手に門を開いたのは事実だ。だが、母の行いとお前にどう関係があるんだ?」
「その門が開かれた時、運悪く彼女はその場に居合わせていた」
彼女は深く考えることもなく、久々に目にする人間の世界へと足を踏み出してしまったのだ。俺がそのことに気がついたのは、それから少し経ってのことだった。
彼女が自力で妖都に戻る手段はない。だから俺は、彼女を迎えに人間の世界を訪れた。
「……だが、再会した彼女は、俺のことなど綺麗に忘れ去っていたよ」
あの瞬間の映像は、今でも鮮明に瞼の裏に焼き付いている。
目の前に現れた俺を見た彼女は、赤の他人を見る目をして、俺のことを気味悪がっていた。
俺たちはあの日まで、人間の世界に戻れば記憶が消えてしまうことを知らなかったのだ。
「俺たちの愛情は、何よりも強く結びついていると思っていた。……だが、裏切られたのだ」
「記憶が消えるって……じゃあ、この世界から出ていった人間は、僕たちのことを忘れてしまうってこと?」
「白緑、それって本当なの? アタシ、そんな話は聞いたことないわ」
「……記憶が失われるのは事実だ」
依織という女は驚いている様子なので、白緑から聞かされていなかったのだろう。だがやはり、王であるこの男は仕組みについてを理解していた。
だからこそ、先代の王である白花も同様。理解した上で、それでも己の欲求を抑えきれずに、門を開くという愚行に及んだのだ。
「あの時、白花が身勝手な理由で門を開いたりしなければ、こんなことにはならなかった。だから俺は、その子どもたちを利用して、復讐してやろうと考えたのだ」
「そんなの、完全に兄貴の逆恨みじゃないか……!」
「なんとでも言えばいい。俺にとっては彼女がすべてだったのだから」
理解などされなくていい。理解を得たくてこんなことをしているわけではない。俺はただ、彼女を奪った世界の
振りかざした大鎌から、無数の風を放つ。受けることはできる威力だろうが、すべてを避けきれる数ではない。
防御の隙間を抜けて牙を剥く風が、奴らの着物や肌を傷つけていく。朱の耳飾りや、ダメージが蓄積していたらしい淡紅の小刀も破壊された。
「依織!!」
自分だけならば攻撃を避けられるであろうに、白緑は人間の女を庇って傷を増やしている。
その腕に抱き寄せられる女の姿が、かつての彼女の姿と重なった。それがさらに、俺の憎しみの黒い炎を
当たり前のように愛する者と結ばれようとしている白緑。俺たちの幸せを引き裂いた先代王の子。
本来ならば、俺たちにも当たり前に訪れていたはずの未来。
「復讐なんかしたって、彼女は戻ってこないだろ!?」
「お前のやり方は間違っている、紫黒」
この期に及んで言葉で俺を説得しようとする姿は、もはや
あの日からずっと蓄え続けてきた俺の力は、力をもってして止めるしか
「愛し愛された記憶が消えて無くなる苦しみが、貴様らにわかるはずもない」
この争いが誰にとっても無意味なものであることは、俺自身が一番よく理解している。
ただ俺は、己の中で膨らみ続ける憎しみの情を、止めることができないのだ。
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