24:揺らぐ想い
(どうしよう……)
閉じ込められたままの私は無意識に、指先で首筋を撫でていた。
直接は見えないけれど、
これを失えば、私の役割は果たされたことになって、この
「そう不安そうな顔をするな、約束は守ってやる。貴様を傷つけることが目的ではないからな」
「そんな心配はしてない……」
「ほう。ならば、何が貴様の不安を駆り立てている?」
狭い結界の中に閉じ込められて、冷たい岩肌の上に座っている。
こんな状況を作っているのは、目の前のこの
「……この紋様が消えたら、私はこの世界にいられなくなるから」
「貴様は、この妖都に留まりたいのか? 人間には人間の住む世界があるというのに」
紫黒さんは、奇妙なものでも見るような目で私を見ている。
人間でありながら、妖都にいたいだなんておかしなことを言っているのかもしれない。
だけど私には、戻りたくない理由も、ここに留まりたい理由も揃ってしまっているのだ。
「……それなら、俺の嫁になればいい」
「え?」
何を言われたのかがわからなくて、今度は私が怪訝な顔をする番だ。
「妖都に留まりたいのだろう? それならば、俺の伴侶となれば望みを叶えてやれる。人間を伴侶に迎えられるのは、何も王だけの特権ではない」
まさか私は、プロポーズをされているのだろうか?
敵対している相手だというのに、そんなことを言われるだなんて想像もしていなかった。
冗談を言うようなタイプには見えないからこそ、その真意を測りかねて困惑する。
「わ、私は……」
以前の自分なら、それでも良いと思っていたかもしれない。けれど、今は二つ返事で承諾などできない。
人間の世界に戻りたくないという気持ちよりも、白緑の傍を離れたくないという想いが勝っているから。
妖都に留まれるなら、誰と結婚をしてもいいわけじゃない。私のことを好きじゃないとしても、私は白緑のことが好きなのだから。
(だけど……私の気持ちを、受け入れてもらうことはできない)
白緑には、元の世界に帰れと言われているのだ。そして、そうなるのはもう時間の問題だ。紋様を失った私を、白緑が傍に置く理由はない。
やっと見つけたと思えた居場所も、始めから期限付きのものだったのだから。
嬉しいことが続いていたから、そんな当たり前のことも忘れてしまっていた。自分の落ち度だ。
「人間とは、面倒な生き物だな。俺の誘いに乗れば、望む形とは違えど白緑と同じ世界で生きることができるのだぞ?」
紫黒さんは、結界越しに私を見下ろす。その誘いは、どうしようもないほどに甘い響きを含んでいた。
白緑に受け入れてもらえないのであれば、別の形で傍にいる手段を選ぶのもありなのかもしれない。遠い世界で想い続けるよりも、姿の見られるこの世界で。
ほんの一瞬、そんな風に心が揺らいだ。だけど、私は気がついてしまった。
「……あなたにも、伴侶にしたい人がいるんじゃない?」
「……っ」
私の言葉に、紫黒さんは僅かに驚いたような顔をした。
彼の瞳は、私を見ているようでそうではないように感じられた。まるで、私を通して別の誰かを見ているみたいに。
けれど、紫黒さんの顔からはすぐに表情が消えてしまう。
「伴侶に迎えるのなら、一度向こうの世界に戻した方が、聞き分けは良くなるかもしれんな」
「戻した方が、って……どういう意味?」
彼の言葉の意味するところがわからず、私は歩み寄ろうとする。
透明な壁に阻まれてしまって、紫黒さんとの距離はそれほど詰められないのだけれど。
「仮に白緑に愛情を抱いていたのだとしても、人間の世界に帰ればその苦しみは消えてなくなるからだ」
「消えてなくなる……?」
「この妖都から元の世界に戻った人間は、この世界で過ごした記憶のすべてを失うこととなる」
頭を思いきり、殴りつけられたような衝撃が走る。
記憶のすべてを失う。その言葉が本当なのだとすれば、私はこの世界で出会ったあやかしたちのことを……白緑のことを、忘れてしまうことになる。
「そ、んなの……うそ……」
「嘘だと思うか? 貴様がどう思おうが、事実は変わらん」
事実、彼が嘘を言っているようには見えない。むしろ、過去に経験があるのかもしれないとすら思う。
白緑に受け入れてもらうことができなくとも、密かに想い続けることはできると思っていた。けれど、元の世界に戻ってしまえばそれすらも叶わない。
この世界で過ごした楽しい思い出を胸に、現実を生きていくこともできないというのか。
(どうして、教えてくれなかったの……?)
元の世界に帰れと白緑は言った。それが何を意味するのか、王である彼が知らないはずがないのに。
役割を果たせば、本当にそれで終わりだったのだ。
私が必要とされているのは人間だからで、大切にされているのは契約を交わしたから。愛されているわけじゃない。
彼らの役に立ちたいと、そう感じた気持ちに嘘はない。
初めてできた友達も、初めての居場所も、初めての恋も。全部、無かったことになるだけで。
「依織……!!」
「来たか」
洞窟の入り口から、派手な破壊音がしたのはその時だ。
土煙で先が見えないけれど、人の気配がすることはわかる。煙はすぐに晴れていき、狭かった入り口は随分と解放的になっていた。
崩れ落ちた岩壁の向こうに、光を受けた白銀が煌めいているのが見える。姿を視認するまでもなく、私の名を呼ぶのが誰の声だかわかっていた。
「……白緑」
迎えに来てくれた。
嬉しいはずなのに、愛しいひとを前にした私の気持ちには、迷いが生じ始めていた。
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