20:優先順位


(何をやっているんだ、俺は……!)


 目の前の戦いに夢中になるあまり、それ以外が疎かになってしまっていた。

 とっくに死んだと思っていた紫黒しこくが、生きていたことにも動揺したが。まずは紫土しどのことを、一刻も早く治療すべきだとした判断は正しかったはずだ。


 藍白あいしろが門を破壊しようとする理由もわからない。力を必要とするあやかしではないし、行方がわからなくなっていたアイツがなぜ紫黒と共にいるのか。

 瞬時に把握すべき情報が多すぎて、俺はとにかく混乱していた。


(……いや、そんなことは言い訳にもならない)


 力任せに檻を破壊した時には、紫黒たちの姿は跡形もなく消えていた。

 俺に向けて伸ばされていた依織の手を、掴んでやることができなかったのだ。

 すぐに気配を辿ろうとしても何かに邪魔されてしまい、奴らが向かったらしい方角が辛うじてわかる程度だった。


「婚約者一人守り抜けずに、何が王だ……ッ!!」


 噛み締めた唇に血が滲むが、そんなものに構っている余裕はない。

 何もかもを後回しにして依織を追いかけたかった。だが、攫った以上はすぐに殺す目的でないことは明らかだ。

 動揺している淡紅あわべになだめながら、俺はひとまず屋敷に引き返すことにする。


 布団の上に寝かせられた紫土は、あけによって最低限の応急処置を施されていた。

 着物は派手に汚れているが、止血は済んでいるし、傷自体は塞がり始めている。かなり酷い怪我ではあったが、淡紅の時のように力を注げば大丈夫だろう。


「……紫黒は、どうしてこんなことをするの」


 淡紅の落とした言葉に、俺も朱も返せる言葉を持たない。


 かつて共に過ごしていた頃の紫黒は、こんな風に他人を傷つけたりしなかった。それは、藍白だって同じだ。

 紫黒と紫土の兄弟仲は悪くなかったし、俺と藍白だって。立場も力も関係無く、皆が思うまま楽しく過ごしていたはずなのに。


(やはり……母の失踪がきっかけになっているのか)


 友人との距離も、妹の変化も、俺の生活も。

 あの日から、すべての歯車が狂ってしまったのだ。


「……今はまず、依織を奪い返す方が優先だ」


「それは、力をつけた紫黒に王の座を奪われるから?」


「…………」


 怒りに震える淡紅の手は、握られた指の隙間から血が滲んでいる。

 以前の俺は、王であり続けることを最優先に選択を重ねていた。母の後継として、それが当然のことだと考えていたから。

 けれど、今はその答えに揺らぎが生じているのを感じていた。


 仮の婚約者でいいと思っていたはずが、いつしか依織を本気で手に入れたいと思うようになっていた。

 王としてこの世界を守り続けるための婚約――そのはずだったのに。


(それが口実に変わったのは、いつからだったか)


 着物の懐の中から取り出した白い紙を、指先でそっとなぞる。花の形をしたそれは、几帳面な折り目がついている。

 その下にもうひとつ、同じような形をした花を重ねていた。

 劣化した紙に折り目も歪んで、決して綺麗とは言い難い。けれど、どちらも自分にとって大切なものだ。


 この大切な世界に、より大切な存在が現れたとしたら。俺はどちらを選ぶのだろうか?


「白緑様、ひとまず紫土の容体は安定しました。あとは屋敷の者に任せましょう」


「ああ、そうだな」


 妖力を注いだことによって、紫土の傷を塞ぐことができた。これで命を落とす心配は無くなる。

 できれば完治までさせてやりたいところではあるが、依織を救い出すために力は温存しておかなければならない。

 あとは朱の一族の力を借りながら、自力で回復してもらうしかないだろう。


「それじゃあ依織を探さなきゃ。そうはいっても、アタシたちには手掛かりがないんだけど」


「これまで居場所に気づかなかったことを考えれば、屋敷の近くでないことは確かでしょう」


「それなら、妖魔が増えている場所をしらみつぶしにしていくしかないのかしら……時間が無いっていうのに!」


 俺の力では、妖都のすべてを把握することはできない。けれど、少なくとも行動範囲内に紫黒たちが潜んでいたのなら、今日に至る前に気がついていたはずだ。

 失踪して以降は目撃情報を得られたこともなく、心当たりなどあるはずもない。

 妖都の王とは本当に、名ばかりで何の役にも立たない無駄な肩書きだ。


「ウユーン」


「豆狸……?」


 行動の一歩目を踏み出すことができなかった俺たちの前に、一匹の豆狸が姿を現す。

 屋敷の中を豆狸が歩き回っているのは、別段珍しい光景でもない。依織がいた時には特に、群れが押し寄せていたのだから。


「あれ、この豆狸……毛が血で汚れてる。これって、紫土の血……?」


 何の気なしに抱き上げた淡紅が、その豆狸の異変に気がつく。

 紫土の妖力を感じさせる血液が付着しているということは、あの戦いの場にいたのだろうか?

 戦いに集中していたこともあるだろうが、豆狸は小さいので視界に入っても気がつきにくい。


「キュンキュン!」


「何か、伝えようとしてる?」


 鳴き声を上げる豆狸は、淡紅に対して何かを訴えかけているようだ。普段の鳴き声とは少し違う、必死さがあるようにも聞こえる。


「……ひょっとして、依織さんの傍にも別の豆狸がいたのでは?」


「キュン!」


「っ、そうか……!」


 朱の言葉に返事をする豆狸の姿に、俺はこの小さなあやかしの力を思い出す。

 豆狸たちは、他のあやかしに比べても力が弱い。驚けば気絶するほど臆病で、群れて行動しているのだが。

 その一匹ずつが妖力を通じ合わせており、それぞれの個体の居場所を知ることができるのだ。


「依織と一緒に転移した豆狸がいるなら、その妖力を辿れば居場所がわかる!」


「豆狸、アンタやるじゃない……!」


「キュンキュン!」


 褒められた豆狸は、どうだと言わんばかりに胸を張っている。

 手当たり次第に捜索をしなければならないと思っていたが、思わぬ希望を得ることができた。

 一秒でも早く依織を救い出したい。俺の大切な婚約者を。


 向かう先が決まれば、いつまでも屋敷に留まっている理由もない。

 俺たちは豆狸を連れて、攫われた依織の救出へと向かった。

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