12:きょうだい


 屋敷に戻って治療を受けた淡紅あわべには、布団の中で昏々こんこんと眠り続けている。

 けれど、幸いにも命に別状はないらしかった。


「あやかしの回復力は凄まじいですから、心配いりませんよ」


「はい……」


 あけさんは私を気遣ってそう言ってくれたけれど、手放しで喜ぶことなどできるはずがない。

 腕や顔など、目に見える怪我はすべて消えていた。あとは体力の回復を待てば、自然と目を覚ますらしい。


(私が外を歩き回ったりしなければ、淡紅がこんな怪我をすることもなかったのに)


 握った手は温かい、生きている証拠だ。だけど、命があったのは運が良かっただけなのではないだろうか?

 一歩間違えれば、二人とも命を落としていてもおかしくなかったと思う。


「依織さんに非はありませんから、気を落とさないでください。悪いのは……藍白あいしろだ」


「藍白、って……あの狐の名前ですか? もしかして、朱さんも知り合いなんですか?」


「藍白は、白緑びゃくろく様の妹です」


「えっ……!?」


 朱さんの言葉に驚くと同時に、彼女を見て感じた既視感の正体に納得する。

 言われてみれば、あの少女――藍白の容姿は、白緑によく似ている。それに彼女も、狐のあやかしだ。


「白緑の妹さんが……どうしてこんなことをするんですか?」


「それは、俺にもわからない」


「白緑……!」


 私の問いかけに答えてくれたのは、朱さんではなく、障子を開けたこの屋敷の主だった。

 目が合うと、まっすぐにこちらへ歩いてくる。そのまま白緑は、私のことを強く抱き締めた。


「びゃ、白緑……っ!?」


「すまない、お前に怖い思いをさせた」


「私は大丈夫だよ。淡紅が守ってくれたから」


 朱さんの治療のおかげで、私の怪我も跡形もなく綺麗になくなっているはずだ。

 だというのに、白緑の指は見えない傷跡に触れるように、私の頬を優しくなぞる。


「……先代の王、俺たちの母親が失踪してから、藍白はおかしくなったんだ」


「失踪って、白緑はお母さんから王の座を受け継いだわけではないの?」


「基本的には受け継ぐものだが、王が不在となった場合には、自動的に次が選ばれることになる」


 不穏な単語にも関わらず、白緑は平然と話を続けている。


妖都ようとは人間の想像が生み出した世界だ、ということは話したな?」


「うん」


「世界を保つためには人間の力が不可欠だが、その力が不足した場合、自らの力をもって維持に努めるのが王の役割だ」


「力を得るために、妖都には時々こうして人間を招くことがあります。人間の世界では、妖隠あやかくしと呼ばれていますね」


「だが、妖隠しが大きく噂になりすぎてしまった」


「大きく……?」


 座布団に座り直しながら、私は白緑と朱さんに話の続きを促す。彼らも同じように腰を据えて、わかりやすいよう説明をしてくれた。


「ああ。噂が広まったことで、人間があの神社に寄りつかなくなった。それによって、人間を妖都に招くこともできなくなってしまった。だから今は、俺の力でこの世界を維持してる」


 白緑は、私の力が必要だと言っていた。一時的にでも構わないから、力を貸してほしいのだと。

 それは私が思っていたよりも、ずっと深刻な状況だったのかもしれない。


「白緑が王になったのは、先代の王がお母さんだったからなの?」


「王は妖都によって選ばれますが、大抵は力のある者。そして、その子孫へと受け継がれていきます。特に、あやかしと人間との間に生まれた者の力は強い……白緑様のように」


「白緑は、あやかしと人間のハーフってこと?」


「その通りです。ですが、白緑様が王となるのは、まだ先のはずでした」


 私を婚約者に選んだくらいなのだから、あやかしと人間が結婚をしていても不思議ではない。

 白緑の母親が失踪しなければ、今もまだその人が王として生活をしていたのだろう。


 母親はなぜ失踪してしまったのか。聞いて良いものか迷っていると、白緑は私の心境を察してくれたのか、言葉を続ける。


「父は、俺たちを捨てて人間の世界に戻ってしまった。そんな父の後を追って、母も消えてしまったんだ」


「そんな……」


 朱さんも難しい顔をしていて、その話に嘘はないのだろう。


 子どもを捨てて消えてしまう親なんかいない。

 そう言い切れないのは悲しいことだけれど、私だって捨てられているのと、ほとんど変わりない状況だ。

 だけど、白緑は両親を失ったばかりか、妖都というとても大きなものまで背負わされている。


「あやかしは情をとても大事にするからね。伴侶を追うことがあっても不思議じゃない」


紫土しどくん……!?」


 第三者の声に驚いてそちらを見ると、やってきたのは紫土くんだった。

 途中から話を聞いていたのかもしれない。険しい顔をした彼は、淡紅の眠る布団の方へとまっすぐに歩みを進める。


「藍白がやったんだ?」


「ああ、傷は完治してる。……すまん」


「どうして僕に謝るの? それに、白緑のせいじゃないでしょ」


 淡紅の顔にかかる前髪をそっと払う紫土くんは、悔しそうな表情をしている。


(やっぱり、紫土くんも藍白と知り合いなんだ)


 以前、淡紅が聞かせてくれた話。

 幼い頃に一緒に遊んでいたというメンバーの中に、おそらく藍白も含まれていたのだろう。


「誰かを傷つけるような奴じゃなかったんだがな」


 私や淡紅に向けられた攻撃性からすると、想像がつかないけれど。白緑たちの知る藍白というあやかしは、冷酷な少女ではないようだ。


(……そういえば)


 白緑の力が宿った花飾りの力を受けた時、彼女はどこか、ショックを受けたような瞳をしていた気がする。

 そんなことを考えていると、白緑が私の手を取った。


「白緑?」


「力が必要だと言ったが、こんな風にお前を狙うあやかしが現れた以上、これまで通りとはいかない」


「私は平気だよ。次から外に出る時はちゃんと一人じゃなく……」


「ダメだ。お前を危険に晒すことはできない」


 普段よりも強い口調でそう返す白緑は、私のことを心配してくれているのだろう。

 淡紅にも大怪我をさせてしまったし、身の振り方をもっと考えるべきだ。そう思ったのに。


「依織。お前は人間の世界に帰るべきだ」


 一瞬、何を言われたのかわからなくて、私は頭が真っ白になってしまう。

 少し前の私なら、言われたことに従っていただろう。けれど、今は首を縦に振ることはできない。


「っ、やだよ! 確かに、私は戦うこともできないけど、まだ白緑たちの役に立ててない……!」


 確かに始まりは、利害の一致から引き受けたことだった。人間の世界にだって帰りたくはない理由がある。

 だけど、今はそれだけではない感情が、私の中に生まれ始めていた。


「そんなものはいい。お前が危険な目に遭ってまでやることじゃない」


「なら、戦えるようになる! 妖具ようぐももっと上手く使えるようになるから……!」


「妖具だって万能じゃない」


 どう頑張っても、私の意思だけでこの世界に残ることはできない。

 豆狸たちにもっと元気になってほしい。淡紅たちともっと仲良くなりたい。――もっと、白緑の傍にいたい。

 やっと居場所を見つけられたと思ったのに。


「そんなに急いで帰らせることもないでしょ」


「紫土?」


 そこに加勢してくれたのは、紫土くんの声だった。


「屋敷の中なら安全だし、目を覚まして依織ちゃんがいなくなってたら、淡紅も悲しむでしょ?」


「……そうですね。オレもカラスを多く飛ばして、見張りを強化しておきます」


「紫土くん……朱さん……」


 二人からの提案に、不服そうな顔をしていた白緑。しばし唸った後に、多勢に無勢だと判断したようだった。


「できる限り、俺の傍にいろ。いいな」


「! うん、ありがとう……!」


 まだ、この場所にいられる。そのことが嬉しかった。だけど、守られるばかりじゃダメだ。

 私にも何かできることがあればいい。それを探していきたいと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る