11:小さな敵意
「あ、
どうにか時間を稼がなければならないと思っていた私の前に、突如として現れた見覚えのある背中。揺れる桃色の髪は、追い込まれて見た幻覚かと思った。
すぐに状況を察してくれたらしい彼女は、未だこちらに殺気を放っている子狐を睨みつけている。
「どうしてここにいるの?」
「依織に会いに行くところだったの。知ってる気配が近くにあったから、まさかと思ったんだけど……行き先を変更して大正解ね」
助けを呼んでほしいと豆狸に頼みはしたけれど、これほど早くに救援が来るとは思っていなかった。だけど、そうではなかった。
屋敷に向かった豆狸とは別で、淡紅は偶然この近くを通りかかってくれたのだ。
「……で、アンタは何してるのかしら? 楽しく遊んでた、ってわけじゃなさそうだけど」
「…………」
淡紅の問いかけにも、子狐が何かを答えることはない。けれど、彼女の口調は知り合いに対するもののようにも聞こえた。
攻撃してこないところを見ると、向こうも様子を窺っているらしい。
「淡紅、もしかしてその狐のこと知ってるの?」
「そうね、だけど依織を傷つけるつもりなら、相手が誰だろうと関係ないわ」
「気をつけて。その狐、
忠告をしようとした私に、それ以上話をさせないとばかりに子狐は再び間合いを詰めてきた。
近づかせないよう赤い炎を飛ばした淡紅は、子狐が態勢を立て直す隙に、腰に差した二本の小刀を手に取る。
「下がって、依織!」
「うん……!」
私は淡紅の邪魔にならないよう、後ろに下がって太い木の陰に隠れる。
地を蹴って高く飛び上がった淡紅は、上空から攻撃を仕掛けていく。それを子狐が避けた先に、新たな炎を打ち込んだ。
けれど、子狐の動きはそれよりもずっと素早い。
「チッ、ちょこまか走り回らないでくれる!?」
身軽に攻撃をかわしていく小さな影が、今度は淡紅の方へ向かって弾丸のように飛んでいく。
それを小刀で防いだ淡紅の頬に、一筋の赤い線が走った。
「淡紅……!」
「ほんっと、許さないんだから!」
怪我に怯むことなく、淡紅は次の攻撃へと移る。怒ってはいるものの、この間よりも冷静さを保っているように見えた。
淡紅は絶えず攻撃を繰り出しているというのに、それが思うように当たらない。
子狐が素早いからなのか、
だというのに、時折繰り出される子狐の鋭い爪は、着実に淡紅の身体に傷を増やしていく。
「っ……お願い、もうやめて! あなたの望みは何なの!?」
このままでは、淡紅がさらに傷を負うことになってしまう。
たまらなくなって飛び出そうとした私の足を止めたのは、目の前の地面に落とされた赤い鬼火。
「話し合いの余地なんか無いわ! そのつもりなら、とっくにそうしてるでしょ!」
「だけど、淡紅……!」
彼女の言う通り、あの子狐は最初から私の話に耳を貸そうとする素振りはない。要求があるのなら、話し合いで解決できるかもしれないのに。
それをせず攻撃してくるということは、目的はまさに攻撃すること、そのものにあるのだろう。
知り合いである淡紅を前にしても変わらないのなら、初対面の私に説得できるとは思えない。
「アンタの目的は、依織を傷つけること。それを認められるだけの理由なんて、アタシにはあると思えない」
「…………」
「バカなことしてないで、さっさと帰ったらどうなのよ。家出ギツネ」
「……るさい」
挑発するような淡紅の物言いに、初めて子狐が言葉を発した。
けれど、次の瞬間。子狐の周囲を白交じりの大きな青い炎が覆っていく。
「ちょっ、アンタ本気で……!?」
逃げなければならないと思うよりも早く、炎はその一帯を飲み込むように膨張する。
反射的に赤い炎で壁を作った淡紅は、真正面からその炎を食らってしまった。
「淡紅――っ!!!!」
叩きつけるような熱風に、思わず両腕で顔を覆う。
次に目を開けた時、淡紅は地面に倒れ込んでいた。生きてはいるようだけど、苦しそうな声を漏らしている。
「あ、淡紅……っ!!」
「来ちゃダメ……! 依織、逃げて……!!」
「やだ、そんなことできないよ!!」
「いいから、逃げなさい……!!」
たった一度の攻撃で淡紅を倒してしまった子狐に、私が勝てるはずがないのはわかっている。
けれど、私のために戦ってくれた友人を残して、自分だけ逃げだすことなんてできない。
「心配しなくとも、逃がすつもりなんてない」
「あ……」
淡紅に駆け寄ろうとした私の前で、子狐が水色の煙に包まれる。その中から現れたのは、息を呑む美しさの少女だった。
水色がかった白銀の髪に藍色の瞳。水色の巫女装束のような衣装の後ろからは、三本の尻尾が覗いている。
初めて会うはずなのに、どこか見覚えがあるような気がするのは、どうしてなのだろう?
その美しさが、瞳の冷たさをより一層濃くしているように感じられた。
「に、逃げるつもりなんてない。だから、淡紅をもう傷つけないで!」
見惚れてしまうほど美しいのに、恐怖で足が
それでも私は、友達を守るために目の前の少女と戦わなければいけないと思った。
「ダメ、依織……!」
「うるさい、邪魔しないで」
動くのもつらいだろう淡紅が、少女を止めるために着物の裾を掴む。
淡紅に視線を落とした少女は、その手を払いのけようと片手から炎を出すのが見えた。
「っ、やめて!!」
彼女は躊躇なく攻撃する。そう思った私は、ほとんど体当たりをするように少女の腕に掴みかかる。
その腕が私の方へ向けられたので、私も炎にやられてしまうと覚悟したのだけれど。
「!? っ、きゃああああ!!!!」
私が頭に着けていた花飾りから、真っ白な炎が噴き出した。
それは私たち三人の周囲をも包むほどの大きさに広がって、悲鳴を上げた少女はその外へと飛び出していく。
「な、何……?」
同じように炎に包まれている私と淡紅は、熱さも痛みも感じていない。
だというのに、逃げ出した少女は腕や頬に火傷のような痕ができているのが見えた。やがて、炎は少しずつ収束していく。
「何で、どうして……
「え……?」
少女の悔し気な呟きの意味がわからず、私は彼女を見る。
その瞳には、先ほどまでの攻撃性とはまた違う、憎しみとも悲しみとも取れる色が浮かんでいる気がした。
「ギャアッ!!」
その時、頭上から一帯に大きな鳴き声が響き渡る。
見上げた先には、真っ黒な雲――ではなく、カラスの群れがこちらに向かって飛んでくるのが見えた。
「あ、け……」
淡紅の言葉で、
屋敷に辿り着いた豆狸からの伝言を受け取ってくれたのだろう。
「邪魔ばかり……おまえ、依織。次はないから」
「あっ、待って……!」
その状況を見て、分が悪いと判断したのかもしれない。
私を睨みつけた少女は、止める間もなく子狐の姿に戻り、瞬く間に逃げ出してしまった。
「大丈夫ですか、依織さん!」
「朱さん……! 私は大丈夫です、それより淡紅が……!」
「朱、遅いのよ……バカ」
「すみません。……お前たち、周囲を警戒してください」
地面に降り立った朱さんは、カラスたちに何か指示を出す。すると、カラスたちは四方へと飛び去っていく。
朱さんの姿を見たことで緊張の糸が切れたらしく、淡紅は気絶してしまった。
「っ、淡紅……!」
「落ち着いてください、重傷ですが治療をすれば大丈夫です。まずは屋敷に戻りましょう」
「……はい」
朱さんはそう言うと、淡紅の身体を抱き上げる。
振り向いた先に、もうあの少女の姿を見つけることはできない。
今はまず、淡紅の治療をすることが最優先だ。私は朱さんと共に、屋敷に戻ることにした。
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