スローシャッターを日暮れまで

るさんちまん

第1話 そのロブスターに罪はない

「うーん。水着のシワが、ちょっと気になるな」

 と、俺。覗いていたファインダーから顔を上げる。

「やっぱりそう思う?」

 と、和美。こちらはやや困惑した表情。彼女はスタイリスト、つまりモデルの衣装や小道具を用意するのが仕事だ。

 モデルの葉月が今、着用している水着も当然ながら和美が揃えた。

 ビキニの時は気にならなかったが、ワンピース・タイプにチェンジした途端、胸元辺りの布地が妙に余って見えるのだ。

 さすがに中身が見えてしまうほどではないが……。

「フィッティングしなかったのか?」

「それができなかったのよねぇ。何せ急に決まったことでしょ。時間が無くて」

 フィッティングとは撮影で使う衣装などを事前にモデルに着せてサイズを確認する作業だ。それが時間が無くてやれていないのだという。理由は明白だった。撮影直前になって当初予定していたモデルが急遽、変更になったからに他ならない。

 芸能界ではよくある恋愛スキャンダルの一つ。だが、自分達が巻き込まれる当事者となれば笑ってはいられない。

「一応、クビになる前の子でフィッティングはしたんだよ。プロフィールでは同じサイズだったら、そのままいけると思ったんだけどなぁ」

 俺達の会話の切れ端が風に乗って聞こえてしまったらしい。突然、撮影が中断したにも関わらず、葉月は俯いて耳まで真っ赤だ。

「あっ。もしかして」

 和美が葉月に駆け寄る。小声で何か耳打ちすると、

「ちょっと休憩ね」

 と言って、砂浜におっ立てた更衣室代わりのテントに連れて行ってしまう。

 雑誌のグラビア撮影だ。といっても誌面のほとんどが怪しい広告で埋め尽くされるマイナーな月刊誌の数ページしかない内容。そんなにカット数は多くない。

 それでも水着は十着近く持ち込んでいる。

 一説には出版元のお偉いさんが、元々モデルをやるはずだったグラビアアイドルのファンだったことから実現した企画らしい。やれやれ、御愁傷様。

 だからその出版社にしては珍しく奮発してロケ地はハワイ。しかも、俺達が宿泊するホテルのプライベート・ビーチを貸し切っての撮影という贅沢ぶり。

 それだけにスケジュールはタイトで、モデルが使えなくなったからといって日程を変更するわけにもいかなかった。そこで同じ事務所でデビュー前の、ほとんど素人同然と言える葉月に白羽の矢が立った。まあ、他に空いているタレントがいなかったというのが実情に近い。

 正直言って誰がやっても大した差はないだろう。それは俺達スタッフにも言えることだが。

 だから焦ったところでしょうがない。

 俺は砂浜に腰を下ろしてドサッと両足を投げ出すと、のんびりと宙を眺めた。南国の島だから、どこもかしもヤシの木が視界に入る

 重そうにブラ下がっているヤシの実を見て、俺にもピンと来た。

「ああ、なるほどな」

 たぶん、葉月はプロフィールの申告よりも本来のバストサイズが小さいのだ。むしろ、プロフィールを盛っていると言うべきか。

 その上、モデルどころか撮影自体が初めてだから、それがどう影響するのかもわからなかったのだろう。

 確か十六才。微妙なお年頃ということらしい。

                   ★

 和美が何やら手を尽くしている間、他のスタッフは各々好きなようにして砂浜でひと息入れている。

 海から吹く潮風が、サラリと肌を撫でて通り過ぎた。

 まるで、気楽に行こうぜテイク・イット・イージー、と言っているみたいに。

 いつ来てもハワイの風は優しい。

 風の質感が違うとでも言うのだろうか。日本ではあまりお目にかかれないタイプの女の子とすれ違った、そんな気にさせられる。

 五年間のアシスタントを経た後、カメラマンとして独り立ちして約十年。広告代理店の下請け仕事が大半だが、時にはこうしてグラビア撮影などの声が掛かることもある。まあ、喰うには困らないといった程度だ。

 海外ロケはそれほど多いわけじゃないけど、ハワイは個人的にも好きで仕事以外でも何度か訪れている。

 カラッとした陽射し。

 火照った肌に心地良い通り雨シャワー

 それをサッと乾かす潮風。

 そんなものが性に合っているんだと思う。

〈ハワイじゃ洗濯機とドライヤーは存在しないんだぜ〉

 以前に現地ガイドが口にしたそんな冗談にも何日か過ごしていると真実味を感じる。

 大体、着るものだってアロハシャツが数着あれば事足りる。普段着としてはもちろん、ビジネスウェアとしても、ドレスコードのあるフォーマルなレストランの場でも大抵はオーケーだ。

 だからこの仕事を頼まれた時もロケ地がハワイだと聞いて、即承諾した。

 ちょうどシーズンの合間。天気が安定しない時期。

 撮影には不向きだが、その分、諸々の経費も安く済んでいる。

 その上、この島では観光客の視線を気にせず撮影できる数少ない機会だ。

 ついでに撮影が終わった後も何日かのんびりして行こうと予定を組んできている。

 幸い、ここまで水着の件以外は目立ったトラブルも無し。

 機材が届かなかったり、入国審査イミグレーションでひと悶着あったり、偽物の大麻パカロロをつかまされたりした奴も出ていない。

「お待たせ」

 そう声がして、和美が葉月の手を引いてテントから出てきた。

 水着のシワはほとんど気にならない程度に抑えられている。

 それを見たスタッフがそれぞれの持ち場に戻って行く。

 俺は隣にやって来た和美に、

「どんな魔法を使ったんだ?」

 と小声で訊ねた。

「揉んだのよ」

「何っ?」

「バカね。冗談よ。パットを何枚か重ねて、それだけだと不自然になるから後ろをちょっとテープで詰めたの。背中越しのカットはわからないように注意して頂戴」

 なるほど。言われてみれば膨らみがやや不自然な感じがする。けど、気にするほどじゃない。

 本当のことを知ればファンはがっかりするかも知れないが、それは俺がどうこうする領分でもないだろう。

 まあ、バレなければいいさ。

「じゃあ。再開と行くか」

 アシスタントの良雄が、露出計を取り出し素早く測り直す。

「先程から半絞アップです」

 俺はカメラの絞り値をf16まで絞り込む。1/250秒のシャッター・スピード。

 ファインダーを覗いて、オヤッと思った。

 さっきまではいかにも楽しそうな葉月の表情。けど、それは作られた営業スマイルに見えなくもない。

 今は何とか笑顔を作ろうとしているが、照れが邪魔をして上手くいかないぎこちなさが垣間見える。

 初めてラヴレターを貰って嬉しい半面、どういう表情を返して良いのかわからない気恥ずかしさみたいなものだ。

 さっきの水着の一件で素に戻ってしまったらしい。

〈悪くないな〉

 俺は胸の中で呟く。

 正直、作られた笑顔には飽き飽きしていた。

 それが商売なのだから文句を言うのが筋違いなのはわかっている。

 でも、たまにはこんな写真があったっていいじゃないか。

 初めてのグラビア撮影、その初々しさがよく現れていた。

 隣で和美も頷いている。その口許が、Ⅴサインピース、と笑っていた。

 大人とも子供とも言えないその中間、十六才の少女が今だけ持つ輝き。それをカメラに収めるべくシャッターを切ろうとした瞬間だ。

「ちょっと待った」

 という野太い声が砂浜に響く。マネージャーの蒲田だった。

 全員がそちらを見守る中、

「表情がぎこちないな」

 と言った。

                   ★

「機嫌、悪いみたいね」

 と、和美。ロブスターを丁寧に殻から剥がしながらそう言った。

 彼女の言う通りだ。俺はかなりイラついていた。オーダーしたステーキが、草鞋みたいに固かったせいばかりじゃない。

 本日の撮影は終了し、俺と和美はホテル近くのシーフード・レストランで晩飯にありついたところだった。

 ロケの合間のプライベートな時間は、基本的に単独行動を取るようにしている。

 大掛かりなロケともなれば数週間、同じスタッフと顔を突き合わせることも珍しくはない。

 広告主クライアントが同行する場合だってあるし、幾ら気心が知れた仲間とはいえ、四十六時中一緒にいたら向こうだってウンザリするだろう。

 そんなわけで、自然と身についたスタイルだ。

 今日も晩飯は一人で食べに行くつもりだった。

 それを、一緒に行く、と和美が勝手に付いて来たのだ。

「原因は昼間のことでしょ?」

「まあな」

 俺は溜め息を吐いてステーキを諦め、隣のロブスターに取り掛かる。

 結局、蒲田のひと言で葉月はそれまでの作り笑顔に戻ってしまった。

 気に病んだところでどうしようもない。

 この業界じゃ思い通りにならないことの方が圧倒的に多い。

 その最たる例が天気だ。雨のせいで予定していた撮影が流れるなんてしょっちゅうある。いちいちお天道様に文句を言ったって始まらない。

 割り切ることが大切なのだ。それは俺も和美もよくわかっていた。

「まあ、こういうこともあるわよ」

 ポツリと和美が呟く。

 俺はパサパサのロブスターにも愛想をつかし、フォークを皿に放り投げた。

「まあ、諦めが肝心だな」

「……仕事も恋愛も同じね」

 ホロ苦く彼女は笑った。

 このロケに出発する直前、和美は離婚していた。

 空港で落ち合った時、「結局、二年しか保たなかったわ」とカラリと言ってのけた。

 けど、それは随分と無理をしているように、俺には聞こえた。

 でも、同時にこうも言っているように思えた。

〈同情や慰めならゴメンよ〉

 昔から強がりだけは人一倍なのだ。

「離婚の原因は、やっぱり仕事のせいか?」

 腫れものに触れるような扱いはかえって彼女に失礼だろう。そう思い、ストレートに俺は訊ねた。

「たぶん、そうね」

 何となく、わかる。

 スタイリストなんて職業は、傍から見えるほど華やかなものじゃない。

〈健康と体力、あとは鋼鉄の胃袋がなきゃ務まらない職業〉と言うのが、和美の口癖だ。

 特に俺と違って和美は売れっ子だった。月の半分以上は恐らくロケに出ているだろう。

 元旦那の方は確か普通の会社勤めだったと思う。すれ違うのは当然だ。

 それでも例えどんな理由があろうと、和美は仕事を途中で投げ出すタイプじゃなかった。

 生き方が不器用なのだ。

 以前にもこんなことがあった。

 ある有名な女優の衣装を揃えた時のことだ。その当時、まだ駆け出しだった和美は、メインとなるカットにラフなジーンズスタイルを選んだ。

 清楚なイメージで売っていた女優は、それがお気に召さなかったらしい。

 たまたま別の撮影で使う予定だったサマードレスがその場にはあった。女優は、それがいいと主張した。

 本来ならそこで折れるのが普通だ。和美だって普段ならそうしただろう。ムキになる必要なんてどこにもない。

 ところが、そこで和美が取った行動は女優のみならず、周囲のスタッフまで唖然とさせるものだった。

 バッグからいつも持ち歩いている裁ちバサミを取り出すと、無言でジョキジョキとドレスを切り刻んだのだ。

 衣装は借り物だから、そんなことをすれば当然、弁償しなければならなくなる。

 そんなことはお構いなしに、きれいに五センチ四方に裁断されたドレスの切れ端を見て、さすがにその女優も呆れたそうだ。大人しく指示通りにジーンズ姿で撮影に臨んだ。

 結果的にその写真は、女優の新たな魅力を惹き出すことになった。仕事の幅も拡がり、今ではカジュアルな役柄もこなせると評判だ。

 後で本人から聞いた話によると、ちょうどプロポーズをされた直後だったらしい。仕事を続けるか家庭に入るかで、悩んでいた時期だったという。

「私も若かったのよ。結論は知っての通り仕事を選んだわけだけど、それが離婚に結びついたとしても後悔はしてないわ」

 そんな後先考えない仕事バカの結婚相手が、並の男に務まるわけがない。

〈カタギには惚れるなよ〉

 そんな風によく言い合ったものだ。

「こういう言い方はあまり好きじゃないけど、住む世界が違ったみたい」

「理解して欲しいとは思わないし、できるとも思えないね」

「そうね。もっと早くに気付いていれば良かった……」

 微かな苦笑いの表情を和美は浮かべた。

 たぶん、大人になるということは、淋しさを知るということに違いない。

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