〜第二章〜創造の島

創造の島

 林の中は雑草が生い茂っていた。僕の腰ほど伸びている雑草もあれば、木の根元に肩を寄せ合う苔もある。その周りで見知らぬ小さな羽虫が蔓延っていた。背を伸ばし過ぎた雑草たちは木にもたれたり、芯の太い野草にもたれかかったりしている。そうかと思えば、見たことのないツル科の植物が優勢植物となり、木や草花にからみついている。それぞれの植物が思うままの姿で生息していた。


雑草をかき分け歩いていくと、地面が見えた。獣道だと気づく。僕がこの島に住む前にインフラ整備をしてくれていた作業員たちが歩いた道だろうか。獣道を辿るように進んでいくと、目の前には五十メートル四方程の更地が広がっており、中心には大きな灰色のプレハブと簡易的なテントが建っていた。整備を行うにあたり作業員が辺りを開拓し、ここで寝泊まりをしていたのだろう。以前に相馬から島内に大きなプレハブを建て、そこに僕の荷物を一時的に保管するとは聞いていたが、肝心の場所を確認するのを失念していた。確かプレハブには空調をつけたと聞いていたので、荷物が湿気やカビなどで台無しになることはないだろう。


一先ずこの更地にテントを建てることにした。旧タイプのテントとは違い、現在ではワンタッチでテントが広がり、さらに布の硬さが強化され、寒暖差を防いでくれる。テントの端についているスイッチ式のボタンを足で二回踏み鳴らすと、テントの隅についているスライムのような柔らかい素材が鉄パイプのような棒となり、勝手に地面へと捻り込んで、テントを固定するのだ。リュックからテントを取り出し、数分もすれば十畳はくだらない大きなテントハウスが出来上がった。すぐにテントの中へと入り、ケージを置くとイチがオロオロと辺りを見渡し、ケージからでることを拒んでいるかのように腰を低くした。


「家を建ててからと思ったんだけど、しばらくはこのテントで生活することになると思う。ごめんなイチ」と言うと、イチはか細い声で何度も鳴いた。


テントの外からガヤガヤと複数人の話し声が聞こえた。どうやら引っ越し業者の船が到着し、こちらに向かっているようだ。テントから出ると、先ほど歩いて来た方角をじっと見つめていたが、僕が歩いてきたさらに東の方向から引越し業者がやってきた。どうやらそこには多少なりとも荷物を運べる程度の道が出来上がっているらしく、四人がかりの大きな機材をどこにもぶつけることなく、サクサクと運んで歩いて来ている。


「お待たせしました。今からそちらのプレハブに全てお運び致しますので」

と引っ越し屋たちが頭を下げていた。僕は機械が壊れないか心配であったが、あの重たい機材を自分で運ばなくて済むと思えば安堵した。鼻の下を手早く掻くと、プレハブの中に運ばれていく機材たちが壊れないか不安になりながら見守った。


夕方になる頃には全ての仕事道具がプレハブの中へと収納された。明日からは建築家と棟梁との打合せがあり、自宅を建てる場所を決める予定だ。打合せは昼過ぎからなので、朝のうちに島を一周して、設計図で目星をつけていた自宅建設予定地に問題がないか確認しに行こうと決めた。


 お腹が唸った。イチが喉の鳴らした時のような音を立てている。何か食べなくてはと思い、簡易キッチンを使い、レトルト食品を使って簡単な食事をとることにした。誰もいない静かな島に取り残され、不安を感じるかと思っていたが、どちらかと言えば僕の気持ちは浮足立っていた。食べ始めたレトルト食品はビーフシチューだったが、気持ちも相まってプロのシェフが拵えたかのような味わいだった。



食事を終えテントの外に出ると、テントから光が漏れ出している周辺以外は真っ暗闇だった。引っ越しを行う際の調査では鳥や虫以外の生態は見られなかったので、熊や猪といった凶暴な動物は現れないことは分かっていた。風が吹くと、周りの木々たちがひそひそ話を始める。何かの鳥の鳴き声も時折聞こえた。三月の冷たい風の上で月に照らされた葉が白く縁取られ、細かく光り揺らいでいる。僕はそれらを味わうように空気を吸い込んだ。酸素が身体全てに巡っていくような感覚に包まれると、灰色キノコの中ではなく、緑の中で生きている安心感と、ほんの少しの高揚感が駆け巡った。


僕はこの島に取り残されたのではなく、僕が選んでこの島へと渡ってきた。そして一からこの島を作り上げるのだ。素敵な機械仕掛けに仕上げたいと願う挑戦的感情は、僕に初めて生きる楽しさを与えてくれた。


 慣れない引っ越しや準備で体は疲れていたのだろう。昨夜はぐっすりと眠りこけ、日が登ると同時に目を覚ました。テントの外へと出ると、朝東風が心地よい。空を見上げると閑雲が浮かび、薄緑色を纏っていた。

僕は薄緑色の空を見上げた。すると咄嗟に「なんだこれ」と呟いていた。なぜか薄緑色の空には、ほのかにピンク色が滲んでいたのだ。その理由はよく分からなかった。ただ、綺麗だった。それ以外の感情はどこか置き去りになってしまったような気がした。とにかく私は綺麗でしょと言っているような空の色だった。日本から少し離れた島で、こんな空が見えるわけがない。僕は寝ぼけた目を何度か左手の甲で擦った。けれど、薄緑色に混じるピンクの空は水彩画のように色を鮮明に滲ませ始めていた。僕は間違いなく、その空の色に心を奪われた。


暫く茫然と空を眺めていると、いつの間にか故郷でも広がっていたような青い空が流れていた。あの素敵な空の色がまた見れるとするのなら、島の設計図を書き直さなければならないという気持ちに駆られ、僕は急いでテントの中へと潜って行った。


テントの中は生暖かい空気が流れていた。外の風の冷たさを実感しながらプラスチック製の簡易テーブルの上に筒状に丸めていた設計図を広げた。本来設計図も脳内電子機器で書き込めばいいだけなのだが、僕は自らの手で書くことに拘っていた。現代はとても便利だ。便利になればなるほど全ての行動に時間がかからない。むしろどんどん自分の時間が増えていく。


車の自動運転中に朝の睡眠時間を増やす人、ネットニュースをチェックする人、朝ご飯を食べる人。食事方法も随分と変わった。相変わらずレトルト食品はあるが、自炊をする人が極端に減った。料理に時間が取られないように、インターネットで食事を注文すると食事供給工場から食事が運ばれてきたり、栄養補給バーの質も上がり、一日に必要な栄養素全てが含まれ、サプリを飲む必要もなく、空腹感も与えない。こちらは少々値段が張るため、楽してダイエットをしたい人や、忙しい人向けに展開されている商品だった。日本の人々は皆どう時間を有効活用するかを考えていた。


僕が生まれる以前の世界は、皆が仕事と娯楽、交流に時間を追われていた。スマートフォン、通称スマホと呼ばれる古い電子機器が流行した時期に起こったのは、ゲーム内課金という制度だった。無料で一定は遊べるものの、より所持アイテムなどのレアリティや数を増やしたい場合などにお金を払うシステムである。課金をするために未成年が親のクレジットカードを勝手に使ったり、成人している人間ですら借金をしたり、違法な仕事をしたりといったトラブルが相次いだため、法律でゲーム内課金という制度は制限された。


パチンコというギャンブルも光や音による中毒性や依存性が高いため、廃止になったそうだ。そうやって人間にとって依存性の高いものは次々と排除されていった。以前と比べたら健康的な世界になりつつあるのだろう。


それからも年々、国民は娯楽へと時間を費やすために、食事や移動時間といった時間を削っていった。僕はそういう人たちとは少し違い、物を作るためにその他の時間を削っていた。作り続けることが娯楽であり、僕の命が燃えている証拠だと思っていた。手作りという昔の手法を選ぶのは、貴族に需要があって儲かるからではない。僕が作りたいのだ。


需要と供給が見合っているだけで、ここまで物作りに執着するのは、なぜなのか自分でも分からなかった。考えようとすらしていなかった。好きなものは好きだと思っていた。自ら求めているのだから仕方がないと投げやりだったかも知れない。僕はどうして物作りが好きなのだろうか。そう考えた次の瞬間には、すでに設計図を書き換える作業に取り掛かっていた。生身の手で書き上げる設計図は紙やインクの匂い、描くときの音。その全てが僕に高揚感を与えてくれる。それに、あの空を眺める最高の場所を作らなければならないと考えていた。


 昔に使用されていた携帯用筆記用具の一種である万年筆にインクを浸した。万年筆は、ペン軸の内部にインクを保持し、毛細管現象によって線状に溝の入ったペン芯を通じてインクが紙へと移る構造になっている。インクが乾く前に指や手の母指球あたりで紙に触れてしまい、インクが滲んだり、伸びたりしてしまうことがあるため、僕は慎重に万年筆を滑らせた。


島はあまり歪な形をしていなかった。丸とまではいかないものの、突き出ていたり、へこんだりしているわけでもなく、細かく波をうちながらも丸みを帯びている。緑の空は北側で見えた。そして北西には小高い丘があった。僕はその場所で緑の空が見えるのを想像した。あの空を眺めながら、読書をしたらどんなに気持ちのいい気分になれるだろうか。そう考えていると自然と設計図を書き進める手が動いていた。


 機械仕掛けの島は、最終的に観光地を目指していく。観光に必要な場所、心が踊るようなお土産売り場も必要かもしれない。さらに宿泊するのにあまり不便を感じないキャンプ地やログハウスなどがあればいい。海でも遊ぶことができ、小さな川もあればアウトドアをするには充分だ。島の中心あたりに家を設置し、観光客が寄り付けないようにフェンスなどを建て、立ち入り禁止区域にしようと考えた。


数百年前の家の作り方とは違い、現代の家造りのスピードは圧倒的だ。一ヶ月もあれば、僕の家も綺麗に仕上がってしまうだろう。本土では自宅の外観などのどうにもならない他人の個性への野次を減らすために、あの灰色キノコの住居が肩を寄せ合うことになった。この島の家の外観は灰色キノコではなく、貴族たちが好む豪華なレンガ作りの西洋風でもなく、西洋風の小さな家だ。小さいとは言っても作業するには困らない広さを求めた。キッチンとリビングとお風呂とトイレが備わっていて、小さな寝室と、倉庫用の地下室があれば完璧だった。数時間もすれば設計図は書き上がった。建設の都合上不具合が出ることもあるとは思うが、僕は設計図の仕上がりに満足していた。

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