灰色キノコの群れ(2)

 数日後、やけに僕への仕事の依頼が殺到し始めた。疑問に思い、珍しくICチップを擦り、ネットのニュースを確認すると、笹岡がぬいぐるみの一件で、また支持率を上げているという記事が視界に飛び込んできた。僕の名前も貴族たちの間で、カラスがわめき散らかすように評判となっているらしい。けれど、僕の体は一つであり、いくら性能の良い昨今の機材を駆使したとしても、納期はさほど縮まらない。なるべく急ぎを要する依頼だけ優先的に受けることにし、作業を進めた。


今回の仕事のメインとなるのは、笹岡の知人である相馬という男からの依頼だった。相馬は貴族の中でも優秀で聡明な人だと噂だった。四十代後半らしく、若い頃は海外と日本を繋ぐ会社を何社も経営していたらしい。


現在では、ほぼ会長という役割を担っており、その他にも仕事をしているらしいが、詳細は誰も知らない。彼とのやりとりは、メッセージがほとんどだ。とても多忙らしいが基本的な返信は早く、当人と連絡をとっているのか疑問だった。


相馬からの依頼は、外交で使用するための尾山人形という日本人形だった。現在、日本人形は博物館にある珍しい人形として大切に管理され、保管されている。現在は世界中でも手作業によって日本人形を作れるのは僕だけだった。日本人形は、木を彫刻で削り、白い塗装を何度も吹き付け、表面を綺麗に研磨したのち、彫刻で細かく目鼻立ちを作り上げる。そこからさらに墨や紅での細かい装飾作業があり、時間と神経を消耗する。何も情報を持っていない素人では当時の美しさを再現するのには至難の業だ。本業にしている僕ですら多くの時間を有するため、相馬の依頼を優先的に受けることにしたのだ。


けれどそれだけが理由ではなかった。当時、祖父の地下室には、様々な日本人形が飾られていた。その中でも、女型である尾山人形は、着物や髪につける花飾りに様々色が使われ華やかで、一際目立っていた。指の先まで整い、白い肌に艶やかさと、まるで今にも温かなため息が漏れてきそうな表情を持っており、立ち姿も腰や腕をくの字に曲げ、手には扇子や小物を持っていることが多い妖艶で美しい人形だった。僕はそんな尾山人形に心を奪われたのだ。


 僕は思わぬトラブルによる破損などを加味して、予備も含めて尾山人形を三体作ることにし、時間をかけて完成させた。何年も練習しているため、時間さえもらえれば、完成させることは容易になっていた。納品する場所として指定されたのは、日本海側の港だ。そこには個人で輸入や輸出をしている船が何隻か停留している。車から商品の入っている木箱を取り出し、両手で抱えて歩き出した。海鳥の声が港を渡り、風に乗って潮の柔らかい匂いが鼻にまとわりついた。


相馬の姿を視界に捉えた瞬間、彼もこちらに気づいたのか、目を見開いた。僕は一度だけ頭を下げると、早足で近づき声をかけた。重々しい雰囲気だと思っていたが、意外にも相馬は笑顔で、音の軽い挨拶を返してきた。


「こんなところまで呼び出してしまって、すまないね」相馬はそう言うと、停留する船を見渡した。


それから「飛行機で輸送するのは少し心配でね、私の信頼している船乗りに任せるのが一番だと思ったんだ。なんせ日本人形だからね」


貴族の中での日本人形の希少価値は高く、機長に賄賂を渡して横流すという手段を選ぶ可能性を考えているのだろう。


「いえ、問題ありません。ただ、ここでは潮風に曝されてしまうので、どこか室内でご確認をお願いしたいと思っていたのですが」


と僕が言うと、相馬は分かっていたというように細かく頷いて、それから歩き始めた。僕は相馬の背中を見つめながら、後ろをゆっくりと着いていく。


「船の中で確認しよう。私の昔馴染みである船長は商業も行っている船だから中が広いんだ。珍しい物を世界中で運搬している。腕は確かだよ。第四回新世界革命運動が始まった頃から彼は商売をしているからね」


個人で商売を行っている船は、旧型の船が多い中、最新型の楕円形の船が見えてきた。楕円形といっても、船首と船尾は旧型のように尖っている。あれが相馬御用達の船長が所有している船なのだろう。真っ白い船には所々に小さな錆があり、少しだけ目立っていた。船は波に揺られながら停留していた。


船の上で一人の男が手を振っている。相馬の話を聞く限り、年配の男性だと思っていたが、中年には満たなそうな若い男がいる。肌は黒く焼け、古い外国製の物と思わしき帽子を被っていた。黒いコットンのような素材で出来ていて、赤、黄、緑、といったカラフルなラインが入っている。そして白いシャツに奇妙な柄の入ったカラフルでシルエットの緩いパンツを履いている。現在では見かけることのない奇妙な格好だ。


相馬と僕が船へと近づいていくと「待ってましたよ」と男は言った。笑った時に上下の唇から垣間見れた歯はところどころ黄ばんでいたり、隅の方が茶色く汚れている。おそらく密輸されている煙草の影響だろう。


「初めまして、この船の船長やらせてもらってる原沢と申します。今回はとても貴重な物を運ぶっていうんで、緊張しているんですわ」

男のイントネーションは昔よく使われていた方言という音に近かった。年寄りであればその名残はあるものの、多くの人は標準語と呼ばれる共通したイントネーションで話すため、楽器の弦を弾くような語尾に不思議な感覚を抱いた。


「初めまして、入谷 創と申します。天候などの都合もあると思いますが、よろしくお願いいたします」

そう言いながら頭を下げると、原沢に案内されて船に乗り込んだ。


ひと昔前の船とは違い、乗りんだ時にぐらつくことはほぼなく足元は安定しているが、船に乗ることがほとんどないため、足を踏み入れるのに少しだけ躊躇してしまい、膝が震えた。恐る恐る甲板に足を乗せると、思っていたよりは安定しており、ホッと胸を撫で下ろした。


 客室に通されると、外界からは室内が見えないように窓を布で覆い隠されているため、相手の顔がぼんやりと見える程度の暗さがあった。照明をじっと見る相馬に気づいた原沢は慌ててスイッチを探し、フロアライトを点けた。暗いところから急に明るくなり、あまりの眩しさに一度目をグッと瞑ると、涙が滲み出る。目をゆっくり開けると、中央に真っ白なテーブルがあり、原沢がテーブルへと手を差し出し、こちらへどうぞというので、僕は木箱をゆっくりとテーブルの上へと置いた。


木箱を開けると梱包用の発泡スチロールのボールをかき分け、ガラスケースを取り出した。ガラスケースの中にもびっしりと梱包材が詰められており、そこから和紙や布で丁寧に包まれた日本人形を取り出した。テーブルの上にそっと横に倒して置くと、肩に下げていたショルダーバッグの中から簡易マスクと、白い手袋を二組ずつ取り出す。一組は自分へと身につけると、もう一組を相馬へと手渡した。


「とても繊細な作りになっておりますので、こちらを装着し、ご確認ください」

僕がそういうと、相馬は微笑み、マスクと手袋を身につけた。装着したのを確認すると、ゆっくりと人形の梱包を剥いでいく。そこに現れたのは、照明に照らされ、瞳が潤んで見えるしなやかな尾山人形だ。


「ほぉ、素晴らしい出来だ」相馬は息を呑むと、呟いた。


それからゆっくりと顔を眺め、髪の生え際、結われた髪の部分に挿されている簪の細部までを舐めるように見つめた。着物の部分にほつれや染みなどがないかを確認し始め、足先まで確認すると、僕に人形を恐る恐る預けた。


「問題ない。とても素晴らしい作品だよ。君に頼んでよかった」

相馬の言葉に、僕は深いおじきをした。


「なんでも、君は趣味ごともなく、一人で暮らしているそうじゃないか。何かしたいことなどはないのか」


僕は相馬の言葉を背中で受けながら、梱包材を丁寧に人形へと纏わせていた。


「仕事が趣味なので」



「今回は君の言い値で受けたが、これが成功したらとてつもない金額が動く。けれども君が受け取る金額は微々たるものだ。これでは感謝してもしきれない」


「微々たる物ではないですよ。僕にとっては充分なほどの金額です」


「多額のお金をもらうのが嫌なのであれば、無事にこの仕事が成功したら君の願いを一つ叶えてあげたい」


僕は手を止め視線を上へと向けると、何か叶えたいことがあるか考えた。思いついたが、実現不可能そうなことだなと視線を人形へと戻す。


「何かあるんだろう。言ってごらん」


相馬は察しがいい人だ。


「あー、いや、僕は人と接するのが苦手なので、一人きりで何処かの島に住んで、そこで一からもっと壮大なものづくりをしたいと思ってました。オモチャだけではなく、機械仕掛けで島全体を動かせるような……」

夢物語ですよねと付け加えると、僕は梱包材でぐるぐる巻きになった日本人形をまた箱の中へと戻していく。


「それはとても面白そうじゃないか。その島に住民がいなければ問題ないというのであれば、君が作ったその島を観光地化することも夢じゃない。その条件が呑めるのであれば、私が所有する無人島を一つ、君に譲ってあげよう」

相馬の言葉に驚き、僕は木箱を蓋を閉めながら、後ろを振り向いた。彼は子どもの様に白い歯を見せ、ケタケタと笑った。


「本当ですか?」


「私も馬鹿じゃない。一目見た時から君は冗談が通じない相手だと分かっていた。資材の搬送やライフラインなどにかかる資金は私が持とう。いつから始めたい?」


ほんの少しだけ船が揺れたのを足の裏で感じると、僕は一瞬だけ息を止めた。それから静かに息を吐き、いつから始めたいのか自分の心に問いかけた。


「すぐにでも」


思い浮かべた瞬間、口から言葉が溢れ出していた。慌てて、「すみません。急かしているわけではないです」と訂正し、急いで頭を下げた。


「気にしないでくれ。急かしたのは私のほうだ。じゃあ、日程に関してはその時話し合おう。結果を楽しみにしていてくれ」と、相馬は屈託のない笑みを僕に向けた。


もしかすると相馬は僕が想像していたよりもとてもおおらかで、信頼しても問題のない人なのかも知れないと感じた。そして、彼との出会いをきっかけに僕の未来は大きく変わっていく。そんな気がしてならなかった。

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