人狼館と酒豪探偵
静沢清司
第1話 プロローグ
人狼館と酒豪探偵 静沢清司
プロローグ
人狼館にて。
復讐者は、自室で手紙を書いていた。木造椅子に腰をかけ、新品の万年筆でゆっくりと、その時間を深く噛みしめるようにして文字を書いていた。
「復讐……」
復讐。
その者は、この館で復讐をしようと考えていた。もう計画は整っている。
復讐者以外は、館の一階西館にある大食堂でパーティーだ。しかももう少しすれば、招かれた客の第二群がやってくる。
だからその前に。
その者は、復讐をとげるよりも先に、自分の罪を告白したかのような、あるいは自分の愚かさや矮小な部分を書いたかのようなもの。
その文面はあまりに、ひどく哀しいものであり、怒りを誘うようなものでもある。
復讐者は、手紙は書いたものの……とその先のことを考えていた。すると復讐者は、自分自身を罰してくれそうな人間を脳裏に思い浮かべた。
そして復讐者はぱっと木造椅子から腰を上げて、その手紙を自分の部屋に隠しておいた。
──もう、見たくない。
復讐者は、涙で目を濡らしながらそう言うのが、深く心を揺り動かされたのだ。
大丈夫だ。きっと計画は成功できる。
そのはず、なんだから──。
神田探偵事務所。そこは神奈川県横浜市の中央にある私立探偵事務所で、神田龍之介という男と、
「ねー、神田所長」
悠実はソファにもたれかかりながら、気だるそうにしている所長の名を呼んだ。
「なんだよ」
神田は煙草を口にくわえながらいった。どちらとも気力を失ったかのように、遠くを見つめている。
「僕ってなんで探偵事務所で働くようなこと、したんですかね」
「知らねえよ」
「即答しないでくださいよー」会話がなくなるじゃないですか、と悠実は続けた。
事務所内はひどく綺麗であった。綺麗であることに越したことはないが、今まで常に中はプリントや資料ファイル、またはカップラーメンの抜け殻、あるいは中身が空のたばこの箱などが、彼らのデスクなどに散らばっていたのだが。とくに大した依頼は来なくて、ここ一か月のあいだは暇だった。まさに無駄な時間といえよう。
「これまでは、まだ食べていけるほどには依頼きてましたよね」
それこそ行方不明の猫探し、浮気調査、その他諸々。
「そうかあ?」
「なんか返事が適当すぎません?」
「仕方ねえだろうが。疲れてんだからよ。とりあえず煙草……ってねえじゃねえか」
はあ、とため息をついて、悠実は席を立った。
「ちょっと僕、郵便ポスト見てきます」と告げ、事務所を出て、下に降りた。事務所があるビルは借りていて、もちろんその大家がいる。きょうごくが藍沢から聞いた話によれば、ここ二か月は家賃を滞納していないらしい。そして次はもうない、と警告もされているのだとか。
依頼が来ないのであれば仕方がない、という話ではない。もしこのまま家賃を払わずにいたら、藍沢探偵事務所はもう壊滅。ビルから追い出される始末となる。そうなれば神田と悠実は無職だ。
そんなことを思い、目眩が起きそうなぐらい憂鬱になった。それを頭のすみに置き──そんな余裕はないが──郵便ポストの中身をまさぐった。
「ん……?」
途端、感触があった。紙だ。小さな紙だ。
手にとって出してみる。それは手紙のようなものだった。
「所長宛だ」
その紙には『神田龍之介様』と書いてあるのがわかった。ふうん、と悠実は鼻を鳴らして、その髪を片手に事務所へ戻った。
「神田所長、ポストに手紙が」
「手紙だって?」と神田は目を丸くさせる。「どれ、見せてみろよ」悠実は神田にその手紙を手渡した。
それを受け取った神田は包みを開けて、中から高級感のある上質な紙が現れた。
「なんですか、それ」
悠実は神田の後ろに立って、いっしょに手紙を読んだ。
「招待状みてえだな」
「招待状……って、なんの?」
「新年会らしいぜ」
「誰からなんです?」
「フィンランドに友人がいるんだよ。そいつからのお誘いだ」
へえ、と悠実は納得したようにいった。しかし、不思議だなと思ったことが一つあった。その友人とはよっぽど親しいのか、神田は嬉しそうに口角をつり上げている。こんな顔、初めてだ……。
「でも、どうします? フィンランドに行くお金なんて、ありませんよ……?」
「そうだな……残念だが、とても行けるような余裕は──」
そのとき、事務所にある固定電話が鳴った。
「あ、僕出ます」
と、悠実は固定電話のもとへ行った。子機を耳に押しつけて、「はい、こちら神田探偵事務所の谷崎──」といったあとで、「あ、はい。わかりました」と悠実は耳から子機を離した。
「どうした?」
「神田さんに代わってくれ、と」
「は?」
神田はイスから立ち上がって、悠実から子機を受け取った。
「はい? こちら神田ですが」
「お、出た出た。よ、リュウノスケ。覚えてるか?」
相手は英語で話していた。
「誰だ?」それに合わせて、神田は英語で応対した。
「えぇ、ひどいなあ。アンドレイ。アンドレイ・アントニーだよ」
アンドレイと名を聞いた一瞬、神田ははっとしたように眉を上げて、「お前か、アンドレイ。いったいどうしたんだよ」
「君のところに招待状は来なかったかい?」
「ああ。ちょうどいま、それを読んでいたところだぜ」
「タイミングいいね」
「そうだな。まあところで、アンドレイ。新年会のことなんだが、俺は来れない」
「なんでだい? 暇は持て余しているだろう?」
「失礼だな。ちゃんと仕事についてるって言っただろうが」まあ、と神田はつぶやく。「たしかに暇なんだけどよ」と言った。
「だろう?」
「だがよ。俺にフィンランドまで行くほどのお金はないんだ。だから──」と神田の言葉をはさむようにして、アンドレイは、「ああ、そのことかい。大丈夫だよ。もうすでにぼくはそれを解決している」
奇妙な物言いだった。
「フィンランドまで来るのにお金はもういらないとぼくは言っているんだ。招待したのはぼくだからね。そろそろ車の迎えも来ると思うぜ」
「はっ?」
神田はそう言って、しばらく体を固めた。「そういうことだ。よろしく頼むよ」アンドレイは電話を切ってしまった。
神田は声を出せぬまま、その子機を台へ戻した。悠実はそんな彼の異様な姿を見て、肩眉を上げ、不審に思っていた。
「所長?」
神田は首を傾げて訊ねた。しかし悠実はそれでも答えない。そのあとも何回か悠実が声をかけると突然、「おい、荷造りをしろ」
と言い出した。
本当に突然のことであったから、悠実は眉間にしわを刻んで、怪訝そうに言った。
「荷作り? えっ、もしかして」
「もう迎え来るんだよ、早くしろ」
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