真夜中のコンチェルト〜百合短編集〜

霜月このは

温度差

 新学期になったからって、新しい楽器を見せびらかすように吹いている彼女が気に入らなくて、私は負けじとスケールを吹く指の動きを速くする。


「優衣、すごいね。私、そんなに速く吹けないよ」

「何言ってるの。桜花より上手い人、この部活の2年にはいないでしょ」


 桜花は私と同じ高校のオーケストラ部で、フルートのパートリーダーをしている。


 同じ2年生の誰よりも上手いのに、この間の代替わりでセクションリーダーになったのは、桜花ではなくて私だった。


 だけど、セクション練習のたびに、桜花はみんなに対して何かとコメントを入れてくる。きっと私の進め方が下手なせいだと思う。


 桜花が私の気づかないところを指摘して、そのアドバイスによってみんなの演奏が良くなるのは、もちろん良いことなんだけど。私のつまらないプライドは、それを面白くないと言っていた。


「私は、優衣のオーボエの音、すごく好きだけど」


 私のつまらない謙遜に対して、桜花はそんなことを言う。そんなストレートな言葉が返ってくると思っていなかったから、思わず頬が熱くなってきてしまう。


 私の反応なんて気にせずに、桜花はまた練習に戻る。新しい楽器がよほど楽しいのだろう。横顔からも、こころなしか唇の端がいつもより上がって見える。


 桜花の唇は、色付きのリップクリームが塗られているのか、血色の良いチェリーピンクだ。


 触れてみたい、なんて思ったら、きっといけないのだろう。


 なんとなく、それはわかっている。彼女の好きな人は、多分彼女のあのフルートの音の、イメージの向こう側にいる。


「桜花ーおはようー! ほんと、いいなー。新しい楽器は」

「菜奈、また言ってる。自分の楽器があるでしょ」


 桜花と同じフルートパートの菜奈が登校してくる。元気印の彼女は、桜花との距離がすごく近い。


 まるで、恋人同士みたいに。


 別に、嫉妬してるわけじゃない。同じパートなんだから、仲がいいのは当たり前だ。


 だけど、ちょっとだけ思う。いつも隣同士にいるのはこちらも同じ。だったらたまには、こちら側のほうも見て欲しかった。


「ねえ、桜花の楽器吹かせてよー!」

「ええー、また? しょうがないなぁ」


 練習時間中だというのに、2人は楽器を取り替えっこして遊ぼうとする。セクションリーダーとして注意したいところだけど、できなかった。


 欲望に、負けてしまったから。


「ねえ」


 勇気を出して、私も話しかけてみる。


「桜花の楽器、私も触ってみてもいい? 私の楽器も見ていいから」


 私は自分のオーボエを差し出して、そう言う。


「いいよ」


 桜花は、菜奈に渡すより先に、快く私に楽器を渡してくれる。


 銀色のフルート。


 さっきまで、桜花が吹いていた楽器。


「吹いてみてもいいよ」


 そう言ってくれるけど、オーボエ吹きの私に、いきなりフルートの音は出せないだろう。


 それでも唇に当ててみた。ひんやりとした、金属の感触がそこにはあった。


 桜花のフルートは、私のオーボエよりも冷たい。


「優衣、いいなー。私も吹きたいー!」

「菜奈は後で! いつでも吹けるでしょ」


 2人の会話を聞く。


 そうすることで私は、その温度差を深く深く、この胸に刻み込むのだった。

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