「翠炎城」より 10

「…どなたですか?」

 不審を露わに、その綺族の女は父親に問うた。

 深夜に突然敵襲の報を受け、頼みの夫は不在。普通の女ならば涙ながらの登場であっても不思議ではないが、そこは大貴族の奥方(娘)というところなのか。----状況を理解していないだけ、ということもあるが。

「傭兵です。」

 深くフードを下ろしたまま、青年が応じた。

「いま、ご領主さまからあなた方を護衛を依頼され、受諾いたしました。」

 わずか老人の眉が動く。依頼ではなく、嫌みだった…だろうが、やり取りだけ取り上げれば、依頼は成立である。

「このは、御無礼ではありますが、願掛けなのでご勘弁ください。」

 いやまた、何を言いだした、とガイツは冷や汗を身体状況に追加する。

 ここはサクレだが、領主はクロムダート大公たいこう。『凪原』が攻め寄せてきている。合図をしたら被れ、と言われていたフードの下で、混乱パニックになって上がりそうな心拍を、現役時代の呼吸法で何とか抑えているというのに。

「願掛け?」

「…この依頼を無事に済ませて、ちゃんと妻の顔が見れますように、という願を立てました。」

 一礼する。傭兵…と訝しげに、女は父を見上げた。

「青瓦の屋敷までか?」

「いえ、南門は破られます。そちらに向かう意味はありません。---テュレ、はいかがですか?」

「南門が破られるだと!? そんな報告は、」

 折よく(あるいは折あしく)伝令が、その報せを運んできた。恐ろしいモノを見るような視線が突き刺さってくる。

「サクレを陥落おとす計画は、かなり周到に練られていたようでした。火矢を凍らす、という界魔の異能による奇襲を察知することは難しかったのですが、こちらの方は----国の緩みがもたらしたものです。偽造の旅券。武器の密輸。なにより人の動き。残念ながら予兆を見逃した。単純な過失も収賄による故意も、もとを正せば、この時の、これくらいでいいか、これぐらいはいいか、という『遠海』の上も下も浸っていた漫然とした空気に拠るものでしょう。…『遠海』は平和でした。」

 慰めるような響きになった最後に、大公がすっと目を細めた。

 吟遊詩人は、人智以上の力が働いたことを劇的に唄い上げるが、奇策だけで陥落する城と都サクレではなかった。城が占拠されても、街部が機能すれば、サクレは陥落おちなかった。同時に、街が攻撃破壊されて、一夜にしてサクレは敗れたのだ。

「…そうか、」

 老大公は唇の端に壮絶な色を湛えて青年を睨みつけた。

、テュレに?」

「わたしの影彷は、に。」

 逡巡はある。当たり前だ。自分が体験していてさえ、この状況がああなるのかと疑わしい。はっきり説明できない事情が青年にはあるのだろうが、思わせぶりなことばかりしか言っていない。偉い人たちには通じ合う符牒のような言葉を散りばめているようだが、胡散臭い二人連れだ。大事な娘と孫娘を、この瀬戸際に託す? 自分が老大公の立場で、妻と子(まだ生まれていないが)の命を預けるかと言われたら、否、だ。自分が何とかする方を選ぶだろう。

!?」

大公孫を抱えた老女が悲鳴のような声を上げた。

「まさか、このような誰とも分からぬ者たちに姫様方を託されるわけはございませんね!?」

「ごもっともです…・フォガサ夫人。」

 応じた青年は、右の手甲を外すと老大公に向かって開いた掌を差し出した。老大公は視線を青年に真っすぐ注いだまま、そろりと掌を重ねた。

「----古き地脈の町テュレ。《シンラの門》」

はっとした。

 目の前――いや、始まりのように目の中を弾けたひかりが満たした。身構える時はやはりなく。

 ぐらりと感覚がよじれ----今回は夢の中で、がくりと落ちるようなあの感じが続いた。

「《彼方へ》、《繋げ》」

 奇妙な音律の詞だった。シンラが遺した詞----古聖語----と知るのは後のこと。

 目を開けた時、場所は変わらずにサクレ城の廊下であったけれど、空を切り取って窓をはめた様に奇妙な景色がふたつ現れていた。それは浮かんだしゃぼん玉に写る風景のような具合であった。

「ご気分は大丈夫ですか?  わたしはのテュレを知らぬので、大公おおきみの記憶に綺力を伝わせて、彼方テュレをかなり無理矢理に起動うごかしたので。」

何を言っているのか。共に仕事をしていた時は、同じ言葉でしか話していなかった。

 いったい青年はなにに変わってしまったのだろう。いや、これが本来で、ずっと押し隠していたのだろうか。

「不快ではあるが、問題はない。」

 顔を顰めた大公が、掌を外すのを青年は止めなかった。もう不要ということのようだ。青年は大公の体調を気遣ったが、むしろ自分を顧みてくれ、とガイツはまた息を吐いて動悸をコントロールする。

「これ、シンラの門、か…?」

 シンラの門、とは、門と呼びはするが、その形に作られているわけではなく、シンラが運んで立てたという言い伝えをもつ立石で、花陸(聞くところによるとシャイデ以外でも)の至る所に点在している。積極的に取り除かれることはないが、殆どのものは苔むし朽ちるに任されて、特徴的なものが、旅行くものの目印になったり町のシンボルになっていたりする。

「…いやいやいやいや?」

 ふたつのシャボン玉の、それぞれ立石が。水面に映る景色のような様といえばいいのか。

 それでも、とにかくただの古い石のはず…なのに、各々の立石の面は磨き上げられた鏡のように滑らかで、そうして淡く発光しているように、ガイツには見えた。

 

 


 

 

 

 



 

 

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