「翠炎城」より 2
雪が降る。
悲しみも憎しみも怒りも…禍々しさも。
すべてを覆いつくすように、
雪は降っている。
「こちらで自由にお過ごしください。」
入口(通用口)で守備隊士から侍従に案内は引き継がれた。
貴人に随行する中でも、そこそこの位の者を通す部屋だろう。二つの寝室と居間の続き部屋になっている。
「…何か気付けになる
ちらちらと青年の様子をうかがっていた侍従は、気づかわしげにそう言ってきた。
「お願いする。」
途中の古着屋で手に入れた厚手のマントをガイツに渡し、貸していた自分のマントのフードを目深に下ろしても、青年の蒼白な顔色は十分に見て取れた。
古着屋を出たあたりではそうでもなかったが、城の手前で、再た出かけていくデューンを含んだ一団とすれ違ったところから、みるみる顔色を失っていった。
「----彼は…家族との夕食に戻ったんじゃないのか…?」
ぼんやりと呟いた。状況が分からず、同輩を呼び止めて事情を聞いていた隊士の一人が、別の隊士たちに、
「火矢川の対岸が異様に騒がしい、と物見が伝えてきたらしい。」
と説明している。
「おれたちも、届けたら合流するように、とのことだ。」
勢いよく、青年は振り向いた。息を吸って、吐き出そうとした声をそのまま止めた。ぽっかり開いた口と、忙しく上下左右に動いた黒目と。
呼吸も止めたまま、…やがて青年は俯いた。フードを深く引き下げ、きつく結んだ唇の端から細く息を吐き出す。
何事だろう、とやや興奮気味に推論を述べ合っている隊士たちは気付かない。
脇狂言を見ていたのはガイツだけだ。
自分のもとにいた頃も修羅場とまではいかなくても、そこそこ危うい橋を渡って来たし、従軍してきた青年がいったい何に慄いているのか。まったく理解はできないが、あまりに尋常ならざる様子に、おろおろしてしまう。
目覚めた時も、街道でも、門衛とのやりとりも、緊張は感じたが、切羽詰まった感じはなかった。
青年がみょうに身構えだしたのは、あの男が現れてからだ。
侍従が、白ワインを一瓶と気付け向きの蒸留酒を入れた小さめの椀を運んできた。チーズとパンが添えられているのは
まだぼんやりしている義息に椀を押し付け、飲め、と手を口元まで動かしてやると、ゆっくり嚥下した。度数の高さに、眉がぐっと寄って、青年が戻ってきたのが分かった。
「…おまえ、何か厭なことをされたのか?」
大きすぎる負の感情が渦を巻くのが戦場だ。普段は沈められている人間の闇が浮かびやすくなる。例え同じ陣営だとしても、勝者であっても、混沌はある。
「城に来たくなかったんだろ? 会いたくない奴がここにいるのか?」
成人していても、ガイツの中から庇護対象のカケラは消えることはない。
「お前が言えないのならおれが言ってやるぞ。ただの酒場のおやじだからな、なんのしがらみもない。うちの子になにしやがるってな?」
おどける様に笑いながら隣に腰かけて、膝の上で握りしめている左手に左手を重ね、右の手を肩にまわして引き寄せる。
「----ガキのころみたいだな、」
ことん、と素直にもたれかかってきた。
「まだおれより小さいからな。」
「いや、あんたがごつすぎるんだろ。」
不服そうに唇を尖らせて、それから静かに目を伏せた。
「----あんたにはとてつもない迷惑だろうが、あんたがいてくれてよかった。」
それは一瞬。上げた瞳には力が戻っていた。
「だから、あんたはどんなことになっても、必ずカルムのもとに還すから、心配するな。」
「心配なのはお前だろ?」
つい今まで真っ青な顔で固まっていたのだから、いきなり「守ります」方向へ振り切られても、頼もしさより不安ばかりだ。
「幽霊に会ったような顔のやつが。」
そのこころは、怯える根拠がみえない----不意に恐怖に突き上げられる兵士の気持ちを伝える言い回しである。
普通なら自分の心理状況を顧みて自省するところなのだが、
「
と、青年は腑に落ちたというように大きく頷いたのである。
「この時に、俺はここに居るはずがない。間違えてはいけない。いま、俺が優先すべきはあんただ。」
自分に聞かせるようでもあった。青年は立ち上がる。
「ここを
いま着いたばかりである。そして、明日の朝までは行動を制限すると宣告されている。いま出ていくと言って、是と
「明日の朝になれば、自由にして良いというのは嘘ではない…と思うんだが。」
しかも外は大雪だ。荒天下の野営も多く経験しているが、
「明日か。」
うっそり、と青年は言葉を口の中で転がした。
「----明日は、ここには来ない。」
風が窓を激しく叩く。燭台の炎が大きく揺らめき、青年の顔にまるで血しぶきのような影が散る。
「この城は…この街は、今夜、
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