『冥府の渡し守』亭にて 2

 カラン、と扉に取り付けられた鐘が鳴り、入り口近くにいた給仕の娘が出迎えの朗らかな出迎えの声を上げたが、

「・・・おひとりですか?」

 と、客の様子を認めて継いだ声は、接客の調子を失ってはいないものの、硬さを帯びていた。青年は軽く頷き、しかし案内の声をまたずに、左手奥のカウンター席に向かった。

 重い足音を響かせ脇をすりぬける青年に、早く仕事から上がったのか、既に陽気な雰囲気を醸していたテーブル席の三人の客が、思わず息をつめるようにして横目に様子を窺う。

 色あせ、裾の擦り切れた重いマントは、矢や刃を防ぐ実用的な防具であり、使いこんだ長靴に鋼を仕込んだ革の手甲、そして腰には長剣とくれば、青年の職業はおのずと知れる。

 傭兵。

 特段珍しい職種ではなく、実際、この店の客層の半数以上を彼らが占める。商業都市で隊商の護衛を専らとするゆえに律するべき品行なのかも知れないが、東ラジェでは傭兵に粗野さや無頼さを感じるのは一般的な感性ではなかった。実際、ラジェを基点とする傭兵は、正規軍より軍律が徹底しているという傭兵団に名を連ねている場合が殆どだ。権力を無駄に傘にきる正規兵の方が面倒を引き起こす、という印象すら市民は持っている。

 だが、その傭兵は――異質、、彼らは見たのだ。

 面倒を起こしそうな凶暴な雰囲気だとか面相だとかそういうことからではない。引き締まった体躯に簡易な軍装がよく馴染んだ、よく見かける一般的な傭兵姿を、しかし、そのへんの傭兵の中に数えられない。

 傭兵だ――この認識は動かない。けれど、傭兵か、と。

 傭兵団どこかの幹部、というのが予想であったが、刺繍であったり揃いのマント留めや剣帯だったりする、いずれの傭兵団のしるしも青年は纏ってはいなかった。

「――焔華酒を。」

 椅子にかけながら、迷わず青年はそう注文した。

 『砂鈴』の民が、砂地に実る果実と薬草から造る蒸留酒は酒度も癖も半端ではなく、流通量もルートも限られているために、ラジェで扱っているのは【冥府の渡し守】亭だけで、しかもメニューにも載っていない、主人秘蔵の一品だ。聞き知ったとしても、主人から直接勧められない限り注文しないというのが、暗黙の了解でもあった。一見の客の無遠慮に、グラスを磨く手を止めて、むっと向き直った主人は、

「だせねぇな。」

 ぶっきらぼうな応えに、この得体の知れない傭兵が怒り出すのではないかと、ひやりとしたのは周囲で、青年は頬杖をつき妙にくつろいだ様子で、主人を見返している。

「ねぇ、じゃなく、だせねぇ、か。」

「どこで聞いて来たか知らないが、あれは売り物にはしてない。おれが振る舞いたいヤツに振る舞うためのモンだ。」

「なるほど、オレには振る舞えない・・・と。もう飲酒を咎められる年齢じゃなくなったとは思うんだが?」

 真面目くさっているが、明らかに面白がっている声だ。何がおかしい、と正面から傭兵を睨めつけるばかりに見た主人の顔が、ぽっかりと空になった。

「よぉ、ガイツ。あんたもいよいよ立派なおっさんになったな。」

 にか、と確信犯の笑みである。

「お、おま、なにが、おっさんだ!? じゃなくて、おまえっ、このッ、生きてやがる!?」

 カウンター越しに胸ぐらをつかまれた傭兵は、無抵抗で掴みあげられるままにさせている。

「・・・酒場の親父にしちゃ、えらい腕で。」

 隆々と筋肉の盛り上がった主人の二の腕を横目にぼそりと呟く。

「やかましいッ。てめぇ、どの面下げて、今頃のこのことッ。とっくに骨になっちまって、野犬なんかがその骨銜えていっちまって、、」

「・・・おいおい、どういう想像力だって・・・ッ!?」

 主人は傭兵を勢いよく引き寄せ、抱き締めた。拍子に鼻を主人の肩口にぶつけた傭兵は顔を顰めたが、しばらくの間、幻でないのを確かめたいのか締め上げる、に近い抱擁を黙って受けていた。・・・が、どうにも息苦しさに耐えきれなくなったのか、両手でぎゅっと主人の脇腹をつねったのである。

「てぇっっ・・・なにしやがるっ。」

「オレは男の胸で死ぬ予定はないんだよ、馬鹿力。」

 緩んだ主人の腕から逃れ再び椅子に腰を落ち着けた傭兵は、当然の顔で「一杯」と催促して、主人の眉をつりあげさせた。

「お前な! 『砂鈴』へ隊商の護衛で行くって言ったきり。往復の契約の筈が、カラナの町でいきなり姿を消して・・何年になると思ってる!? てめぇとつるんでた連中は、殆ど『凪原』の傭兵になって・・・そして還ってこなかった! 消息も届かず、還って来ない以上、おれはお前も死んじまったんだと諦めるよりなかったんだよ! そう信じて生きてきたんだよ! ・・・、」

 言葉の途中で目を閉じてしまった傭兵に、主人はかっとなって瞬間的に拳を振り上げた。そのまま振り下ろされた右掌を、傭兵は左掌で受け止めた。

「・・・少し、感動したかな。」

 拳を包むように動いた指に、主人の肩から力が抜けた。

「オレなんかがそうやって案じられていたっていうのは・・・くすぐったいような変な感じだ。」

 黄昏を過ぎたばかりの宵を連想させる、透明感のある群青の瞳が主人を真っ直ぐに見つめた。

「――ただいま、と言っていいのかな?」

「それがはじめの言葉だろうが、阿呆。」

 ぶっきらぼうに言って、くるりと傭兵に背を向けた主人が、カウンターの下の棚を開けて焔華酒のボトルを取り出した。グラスは二つ。互いの手に渡ったそれがかちり、と触れ合い、飲み干された所で、空気が溶けた。カウンターの席が六つに、4人がけのテーブルが五つというこじんまりとした店だ。皿にフォークを擦りあわせるのも恐ろしく、彫像もどきとなって否応なく立ち聞きを強要されていた客と給仕が、おずおずという感じで動き始めた。

「店主のお仲間だったのかな?」

 テーブル席からかけられた声は、主人の前歴が広く知られていることと、何より街に受け入れられていることを伝える。ああ、と屈託なく破顔して、

「こいつが細っこいガキの時分にさんざ面倒を、」

。」

 焔華酒を舌先で転がしつつ、青年は絶妙なタイミングで口を挟んだ。

「酔いつぶれたあんたを、カルムと一緒に何度引きずって宿に帰ったことか。思い出すぜ。あの重さ。あんたが泥酔ドロの被害に合わなくて済んだのは、ひとえにオレたちの目配り気配りの賜物だな。」

 澄ました表情に客は耐え切れずに噴き出し、主人は苦笑いを返す。

「という、口の減らんガキだった。」

「という面倒をかけられても構わないくらいに大事な【隊長】だった。」

 一転、真摯な口調での他己紹介が繰り出されて、主人は突かれたように目を瞠り、客は笑いを引っ込めて軽く会釈をすると、【再会】の時間を邪魔しないよう、そっとその場から離れていった。

「あんたが続けていたら、今頃オレたちは名だたる傭兵団になっていたかもしれん、と胸を過ぎることがある。」

 背後でどっと歓声が上がった。肩越しに投げた視線が懐かしげに細められる。少年といっていい年代も含めて、二十歳前後の若い傭兵たちが二テーブル分ほど入店してきたのだ。

「[銀の蔦]だな。」

 袖口に、あるいはマントの縁に揃いで銀色の蔦模様が縫い取られている。

「・・・聞かないな。」

「先の戦で、稼ぎに目が眩んで『凪原』に雇われた団の殆どはほぼ壊滅しちまった。『夏野』の守備隊に雇われた老舗の[冷泉]や[紅の鳥]も、イドリア湾の会戦じゃ半数近くを失ったそうだ。[紅の鳥]は団長が戦死。[冷泉]のレクゼス殿も、長年の盟友や団員を喪ってがっくりきたんだろうな。引退されて、団は適当な後継もなくて、結局解散した。個人操業フリーの連中も当然減って、戦後一時期は随分閑散としたが・・・ここは[傭兵]なしじゃ成り立たないシステムだ。」

 大陸の貿易が収束し、拡散する街。傭兵ごえいは物資流通の要の一つに数えられる。

「あれも結成一年足らずだ。だが、雨後の筍の中では新進の有望株―――評判も悪くない。」

 主人の人物眼に信頼を置く青年は、興味を覚えたようだった。

「隊長は・・・あいつか? オレは知らんが、どっかの出か? 」

 座の中心を探して見当をつけて示すと、肯定が返った。

「・・・[白刀]の生き残りらしいな。]

「[白刀]って・・・おい?」

 剣呑な、風の向け方では殺気として燃え上がりそうな空気を纏った青年の肩を、主人はいなす様に叩いて笑う。

「彼はではないし、結局・・・彼も犠牲者だ。随分長く患って、血の滲むような訓練リハビリして、復帰してきたそうだ。」

「・・・復帰できただけマシだろうが。」

 憤然たる勢いで、大きく酒を煽り、喉を灼くほどのそれに必然むせかえる。

「そういう飲み方をする酒じゃない。ああ、もったいない。」

 水を渡しながら、酒について語る主人に、青年の肩からは力が抜けた。

「これを粋に味わえないようじゃ、まだまだだな。」

「ふ、とか妙に渋く笑ってみせんじゃないっ。―――葡萄酒。あと、何か腹満たせるもの。」

 はいよ、と酒場の主人らしく応じてカウンターの逆側へ身体を傾けながら移動していく。

 青年は片肘をつき賑やかさを増す傭兵団へ再た顔を向けたが、細められた瞳の奥に結ばれるのはではない。

 彼らは[隊(チーム)]だった。共に仕事をする中で意気投合して、いつしか当たり前に顔を揃えるようになっていた一匹狼をよしとしていた相当に個性的な面子の中心がガイツだった。傭兵として比類なく強かった・・・わけでは全くないが、口の減らんガキと罵りつつもいつの間にかそんな子ども(がき)を二人も面倒をみていたことに象徴される人の好さ――人を収める器の深さの中に、集うことができていたのだ。

 必然、ガイツが傭兵生命を絶たれると、彼らを収められる「袋」は喪くなり、個人的な友誼は変わらずとも、[隊]は自然消滅の道を辿った。

 その後、数年一人で傭兵しごとをして・・・。

 焔華酒の杯が下げられて、葡萄酒用の椀が置かれる。

 斜め前に置かれたボトルのラベルを見た青年は頬を奇妙に引きつらせ、主人を窺ったが、

「サクレ産は嫌いか? 戦で焼かれた葡萄畑も復興してきたらしいな。昨年あたりから、再た安定して流通するようになってきた。」

「・・・ああ、」

 何に向けているのか掴めぬ苦笑いを刹那走らせ、青年は酒が満たされた椀を取り上げた。目顔で主人に相伴を勧めた。

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