君、終の夜に会いたること

いくま

初話 友、夜に草庵を訪ねたること

 もはや身体を動かす力は無く、起き上がることもできない。固く冷たい寝床でゆっくりと死を待つばかりだ。


 月明かりが草庵の隙間から差し込み風で舞い上がるホコリが反射して輝いている。時折、強く吹く風で壁が揺れて今にも倒れそうになっている。


(この粗末な草庵も私自身と同じだ。

 立派な構えをしても役割を終えれば衰え滅びていく)


 もう何日も食べ物を口にしていない。

 草庵には食料らしき食料の備蓄はなく、都に近い本寺から届けられる食べ物で糊口をしのぐ日々だ。その食料も昨年からの飢饉で途絶えるようになった。


(なに。私は元々、世に捨てられ出家した身。

 もはや恐れるものなど何もないさ…)


 もう10年前になる。

 都は最大勢力を誇る藤原家の一族がまつりごとを独占し、他の氏族を排斥していた。古代の氏族の末裔、武門を司る宇部そらべの兼依かねよりという男が反発し、藤原家へ不満を持つ氏族を集めて挙兵した。俗にいう『宇部の乱』だ。


 私は『宇部の乱』へ加担した罪で官位を剥奪され、出家を迫られ、都から追放された。今は世話になっている本寺近くの山に籠もり誰にも迷惑を掛けない粗末な生活をしている。


 私と繋がるものを炙り出し殲滅しようとする魂胆か、常に藤原の手の者に見張られ、私は生かさず、殺さずの生活を続けている。


 苦痛の日々も今晩で終わりだろう。

 10年の歳月を耐えるのに疲れ切っていた。



 5月の夜。全身は脱力し身動きも取れず、床に臥せったまま目を瞑り、周りの音を聞いていた。


 風で木々が揺れる音。

 山犬の遠吠え。

 小川のせせらぎ。

 虫の羽音。

 自分の呼吸。



 そして別の音が聞こえてくる。

 少しづつ草庵に近づく足音と衣が擦れる音。

 人間だ。


 足音は一つ、おそらく一人だろう。

 藤原家の監視が草庵に近づくことは無い。

 音の主は本寺からの使いか。

 あるいは夜盗のたぐいか。


 段々と近づいてきた音は草庵の前で止まった。

 次に聞こえたのは倒れかけた戸を乱暴に引き開け、私の傍らに座り、刀を置く音だった。


「やあ、みなもとのたまきよ。

 もうくたばったかい?」


 落ち着きのある声の主は藤原ふじわらの時沙ときすな

 私の唯一の友。

 『宇部の乱』鎮圧の功労者にして藤原祥家一族を纏める筆頭。

 そして私を出家へ追い込んだ男……


 彼は二藍ふたあい色に染められた衣を纏い、穏やかな笑顔を称えて私の顔を覗きこんでいた。垂らした前髪の奥には切れ長の瞳。まるで二十代のような張りのある肌。源氏物語から飛び出してきたような男が昔と変わらない姿でいた。


 動けない私が害を及ぼすことがないことを見越してか護衛の気配は無い。


「時沙、すまない。飢えで力が入らず身体が動かせないのだ。臥せたままで失礼する」

「ああ、そのまま楽にしていなさい。今動こうとしても辛いだけだよ。それに私への礼など今更不要さ」

「こんな身になっても私を対等に扱ってくれるのか。臥せたままで接客とは申し訳ない」

「だからこその親友だろ?」


 親友……

 そうか、時沙は私のことをまだ親友と云ってくれるのか。


「わ、私は……」

「私は?」

「私はまだお前の友なのだろうか?」

「幼き頃からの付き合いだ。当たり前だろう」

「お前に刃を向けたのに、か?」


 続く言葉は聞こえず、沈黙が訪れる。

 少しづつ時沙の方へ身体を向けていくと手元に花らしきものが見える。


「その花は……」

「ん?この花かい?

 君の見舞いに詰んできたニリンソウの花だ。

 君は覚えているか?」

「???」

「忘れてしまうとは薄情な奴だ。

 どうだい、小さくて可愛いだろ?」

「ああ、そうだな。

 最後に愛でるにはちょうどいい」

「最後?何の最後かね?」

「私の最後、さ」


 私が何を云っているか分からないかのように垂れた前髪を指で玩び、爽やかな微笑みを崩さない。



(自分が課した罰で友が滅びる様を

 見届けに来たのだろうか?)



 止まない風に草庵は揺れ続けていた。

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