戦の花道
ふく
咲く花散る花 ①
薄暗い、水槽の底のような静寂で満たされた密室。ディスプレイから放たれる淡い光だけが部屋の輪郭を縁取っている。簡易なベッド、収納棚、壁に取り付けられたデスク。
「私の勝ち」
鋭い一声が部屋の空気を震わせる。声を発した少女は背もたれ付きのチェアに身体を預けて、デスクに置かれたチェス盤を見下ろしている。
「これで何回目?」少女はディスプレイに向かって口を動かす。
『1670回目になります』
ディスプレイに映し出された少女のアバターがAI音声で答える。髪は茶色で、ボブカット。両目とも琥珀色に輝いている。
「そうなんだ」
少女は満足そうに笑みをこぼす。再びチェス盤に目を向けて、そっとキングの駒を摘んで持ち上げる。
「君はね、これから先何度だって私に負けるんだよ。私が勝者で、君は敗者でしかない。そのことを肝に銘じておくように……いいね?」
20XX年、日本。長年に渡って行われた “極ゆとり教育” により、子供たちの能力は緩やかに退化していた。漢字が読めない、地図の見方が分からない、簡単な方程式すら解けない。学校教育というシステム自体が崩壊しかけていた。
そんな状況を打開すべく新たに導入されたのが、“戦国式教育” である。ファイティングスピリッツ、つまりは野心こそが新たな時代の扉を開くのだと高らかに謳い、国民の支持を集めたのはとある若手の政治家だった。彼は新たな教育制度を急ピッチで制定し、施行することに成功したのだ。それが今から5年前のこと。
そして、この新制度にいち早く目をつけたのが由緒正しき名門校の私立桃谷学園だった。
国から制度についての詳細が発表されるやいなや、すぐさま規定に応じた施設を取り揃え、学園独自のシステムを構築したのだ。
生徒たちが等しく目指すのは、天下統一。
同学年の生徒同士で競い合い、最終的に天下統一を成し遂げた “天下人” には、輝かしい将来が約束される。
無限の夢と野心を抱き、今年も二百人もの新入生が桃谷学園の門をくぐるのだった。
碁盤の目のようにぎっしりと並べられたスチール製の机。無菌室を想起させる、無機質な四方の白壁。ここは桃谷学園1年C組の教室、席に座っているのはもちろんこの春入学してきた新入生たち。
清水陶香もまた、この学園に入学したばかりの一年生だった。
陶香は小さくため息をついて、後方の席から教室全体を見回す。今は自己紹介が行われている最中だ。
前の方で一人の生徒がすっくと立ち上がる。自分の名前と、これからの学生生活への意気込みを手振りを交えながら語っているようだった。が、話の内容は耳を通り過ぎていき、何も頭に残らない。陶香の意識はあてもなく彷徨っていた。
自己紹介が終わると、ぱらぱらと拍手が起こる。陶香もそれに合わせて、無心で手を動かす。
まもなくして次の生徒が起立した。
「名前は千波凪です。千の波が凪いる、と書いて千波凪。私は……絶対に天下統一して卒業して、それでこの国の教育制度を変えるのが夢です。三年間、よろしくお願いします!」
陶香は顔を上げて、千波凪と名乗った生徒の背中を見つめる。栗色の髪を左耳の横で一つにまとめており、顔まではよく見えなかったが、快活そうな少女だ。
少し遅れて、拍手が起こる。陶香は手を動かさずに、一心に凪の背中を見つめていた。
(この国の教育を変える、か)
心の中でそう繰り返す。
(……そんな余計なことしなくていいのに)
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