14日目(4/27)人は傷を抱えて生きていく

 4月27日。離島に来て2週間が経った。


 熱はまだ下がらない。何度測っても37.5度である。それしか表示できないんじゃないかと思うくらい同じ数字ばかりだ。母が測ったところ普通に平熱だったので、どうやら壊れてはいないらしい。


 昨日の夜と今日の朝と、ふつうのごはんを食べたらお腹がキリキリちくちくしたので、しばらくはおかゆ生活が決定する。おかゆ、嫌いじゃないけどそろそろ飽きてきた。


 実は私には、1歳8カ月で死んだ弟がいる。イニシャルをとってKちゃんと呼ぶ。

 Kちゃん。先天性の病気をもって生まれた子。私にとっては2回しか会ったことのない、縁の薄い弟。けれど、母たち一家にとっての大きな傷跡だ。


 今日の朝、家の裏で小さなバナナが熟れていたのを、チビたちが見つけた。「食べていい?」と最初に訊くでもなく、妹と弟は、迷いなくバナナをKちゃんの写真の前に供えた。

「Kちゃん、バナナ好きだったんだよー」

 屈託なく笑う妹の顔が、なんだか悲しい。Kちゃんが亡くなったとき、妹はまだ3歳だった。


 弟の顔には小さな傷跡がある。「これね、Kちゃんが引っ掻いた跡なんだよ」と、弟はどこか嬉しそうに言った。「ぼくの顔の中に、Kちゃんの生きた跡があるの」

 Kちゃんが亡くなった時、弟は小学校低学年だった。Kちゃんのことを「お兄ちゃん」らしくかわいがってあげていた弟は、Kちゃんが亡くなったばかりの頃、感情を抑えられなくて癇癪を起すことや、急に泣き出してしまうことが多かった。一時は児童心理士さんのもとにも通っていた。今ではだいぶ落ち着いてきているのが救い。


 昼過ぎ。オンライン学科を消化しつつ、「就活クソッタレ備忘録」を書き進める。休憩をしようと居間に出ると、母が甘いミルクティーを作ってくれた。

 こんな記事を書いてるんだ、と紹介すると、母は「そう」と笑った。就活の時に苦しかったこと、やたら自己犠牲を求められる風潮。そんなことを話しながら、母は突然、神妙な顔で言った。

「母親は、子どものことになると自己犠牲をいとわないものとか、亡くなれば我を忘れて泣き伏せるものっていう風潮も、お母さんは好きじゃない」

 ミルクティーに口をつけ、うん、と私は頷く。

「Kちゃんの時も、もちろん悲しかったけど、我を忘れて泣くなんてできないんだよ。生きて行かなくちゃいけないから。やることいっぱいあるしね。面倒見なきゃいけない子どもだっている。だから、どこかで冷静だった」

 そうだよね、と思う。どんな言葉をかけていいかわからないけれど。わかるよ。


 今日は筆が乗って、「就活クソッタレ備忘録」を最後まで書き進められた。一時期は死のうとまで思ったほど追い詰められたときの記憶だから、書くのは少し苦しかった。就活は、私にとっての初めての挫折であり、ある意味では実家以上のトラウマだ。

 書き終わった時、ちょうど夕飯時になった。夕飯のメニューはチキンライス。私だけおかゆ。


「今日は、Kちゃんの月命日なんだよ」

 フライパンでオレンジ色のごはんを混ぜながら、母は言った。

「Kちゃんは離乳食のチキンライスが好きだったの。食いつきがよくてね。だから毎月27日は、チキンライスの日なの」


 おかゆを食べ終わった後、チキンライスを少しだけもらった。母の作っていた料理の味。私の味覚を作った味。しみじみとしながら、少量を時間をかけて味わった。


 Kちゃんが死んだのは私が高校生の時だ。だからもう、あれからゆうに5年以上が経つことになる。戸棚に飾られたKちゃんの写真。母とおじさんがお揃いの待ち受けにしている、3兄弟(弟、妹、Kちゃん)の写真。夕飯のたびにKちゃんの分のごはんをよそうこと。Kちゃんがいた跡は残っていても、一家は普段、ほとんど悲しみを表には出さない。


 それでもまだ、この一家は、生々しく悲しみを抱えたままでいる。


 誰しも傷を抱えていて、少しずつ傷を癒しながら、たまに傷が開いたりしながら、人は生きていくのかもしれない。

 就活と、Kちゃんと。ふたつの傷について考えながら、そう思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る