戯言

春雷

小松さん

「小松さん、昨日はどういう物語を見たの?」

「昨日は映画を観たわ」

「どうだった?」

「最低な映画だった」

「どこら辺が?」

「最後にヒロインとその彼氏が死ぬところ。人が死ねばロマンチックになると思っているのよ。浅はかな考えよ」

 確かにそうかもしれない。

 僕と彼女は友達で、放課後に昨日見た物語を語り合うのが日課だった。

「俊希は昨日何を見たの」

「漫画を読んだよ」

「どんな?」

「少年漫画さ。最後に主人公が史上最強の敵と戦って相打ちになるんだ。そして平和が訪れる」

「安易ね」

「安易じゃないよ。王道だよ」

「俊希は真っ直ぐな物語が好きなのかしら」

「そうだね。そうかもしれない」

「はあ。あなたはきっと一生盆栽の価値はわからないと思う」

「君はわかるの?」

「わかるわけないじゃない。あんなのただの木よ」

 彼女は結構口が悪い。だからクラスでも浮いているし、友達も僕一人しかいない。でも僕はそんな彼女のことが好きだった。彼女はただ、不器用なだけなのだと思う。自分の気持ちを素直に表現することができないのだ。

「少年漫画はどうしていつも誰かと戦っているのかしら」

「うーん、人は結局何かと戦わずにはいられないからじゃないか」

「たとえばあなたは何と戦っているの」

「まず直近は中間テストだろうね。勉強と戦わなくちゃならない」

「そう言っている割にはいつも点数低いけど」

「全力で戦って駄目なら仕方ないさ」

「反省して工夫しなさいよ」

「逃げることも戦いの一種だと僕は思う」

 部活に入っているけど、熱心に顔を出していない僕は、いつも日が暮れるまで小松さんといろいろなことを語り合う。その時間はとても素敵で、きっと、今だけしか過ごすことのできない時間なのだろうなと思う。


「なあ、お前と小松は付き合っているのか」

 ある時クラスの男子に聞かれた。

「いや。僕らはただの友達だよ」

「本当か?」

「男女が仲良くしていたら、恋愛関係にあると思うなんて安易だよ」

「その口調、小松にそっくりだぞ」

「とにかく、僕らは付き合っていない」

 そしてそれは事実だった。


「昨日は探偵小説を読んだわ。耳の聞こえない老紳士が探偵なの」

「僕はアニメを観たよ。女の子の体重を奪う蟹が出てくるんだ」

「その映画では、ジョン・トラボルタがブルース・ウィリスに撃ち殺されて」

「小説を読んだ。夢を題材にした小説で」

「コントを観たわ。留守電にメッセージが入っていて」

「ドラマを観たよ。契約結婚をした二人がだんだんと互いのことを本当に好きになっていくんだ」


「ねえ、私たちって人生を無駄にしているのかしら」

「どうしてそう思うの?」

「だって物語をいくら見たところでどうにもならない」

「そんなことはないよ。物語には力がある。人がそれぞれ役割を持っているように、物語にもそれぞれ違った意味があるんだ」

「たとえば?」

「たとえば、僕らの物語。僕は君と出会ったことでちょっぴり人生が豊かになったんだ」

「そんなの錯覚よ」

「そうかもしれない。でも、僕はそう思うんだ。誰が何と言おうとも」


「交通事故のコントで、特にこんな状況なのに待ち受けを変えようとするところが」

「結局、主人公にとって檸檬という存在は」

「悪くない映画だったわよ。貧乏暮らしの家族がだんだんと裕福な家庭に取り入って」

「政治家をはじめとした、群像劇的な要素もありつつ」

「主人公は炎を身に纏って、極寒の世界で復讐に燃えるの」

「いわゆる叙述トリックで」

「宇宙船の中には10人しかいないはずなのに」

「七瀬はテレパシーを使うことができて」

「バスが一定のスピードを保つことができなければ」

「砂漠に飛行機が墜落したところから物語は始まるんだ」


「俊希は」

 ある日、彼女は僕に言った。

「何で、私の相手をしてくれるの」

「何でって、友達だからじゃないか」

「どうして友達になろうと思ったの」

「一緒にいて楽しいし、心地いいし、面白いし、そして何より、小松さんが好きだから」

 彼女は窓の方を見た。そして夕陽に目を細めた。

「でもクラスのみんなは私を嫌っている」

「他の人は関係ないよ。僕は小松さんと友達でいることをやめないよ。そこだけは僕も頑固になる」

「あなたは意外と頑固よ」

「そうなのかなあ」

「友達の私が言うんだから、間違いない」

 彼女は笑った。僕も笑った。


「ある日、彼は彼女を部屋に匿うんだ」

「小さい子の日常を淡々と描いているの。絵がとても上手で」

「宇宙人が地球を攻めてきてさ」

「結局、最後に彼は精神を崩壊させて」

「彼はへでもねーや、って言うんだ。そのセリフにとても感動して」

「古典部っていう」

「上司の悪口を上司の前で言うと言うところが、僕にはとても新鮮だったんだ」

「同姓同名の人の話で」


「ねえ、人生ってつまらないと思う?」

「そんなことはないさ。素晴らしいことで世界は満ちている」

「どの作品のセリフ?」

「さあ。どれだったかもう忘れてしまったよ」


「サメが竜巻に乗って人を襲っていく様が」

「私は嫌いな映画だったわ。家出した少年が」

「海底に住むスポンジの話で」

「人工知能が暴走するのよ。それはいいけど、どうしてこうもテンポが悪いのかしら」

「物語を作る意味に迫ったような漫画なんだ。彼はやはり天才だよ」

「主人公がことあるごとにやれやれと呟く」

「脱獄犯が神父になりすまして」


「私はみんなと同じでいたいのか、違っていたいのか」

「君の好きなようにやればいんだよ。自分らしさなんて一生わからないままかもしれないし」

「でも、時々どうしようもなく、自分を殺したくなることがある」

 僕は黙って彼女の話を聞いた。

「死にたいわけじゃないの。自分を殺したくなるだけ」


「猫がラーメン屋の店主で」

「アラブの話なの。彼は冒頭でバイクに乗っていて」

「主人公はクールなんだ。学ラン姿も格好良くて」

「酔えば酔うほどに」

「海賊は自由でいいよなあとか」


「そろそろ卒業だよ、小松さん。今までありがとう。僕と話をしてくれて」

 彼女は僕の顔を見ずに、窓外の景色ばかり見ていた。

「僕は小松さんとたくさんおしゃべりができて、とても嬉しかった。自分一人では知ることのできなかった世界を、たくさん知ることができた。小松さんがいなかったら、きっと僕は世界の美しさを知らないまま生きていたのだろうと思う」

「大げさよ」

「そうかな」

「うん」

 この頃、彼女は悪口を言わなくなっていた。退屈とか、くだらないとか、そういう言葉をあまり言わなくなった。それは彼女の中で明確な心境の変化が生じたのかもしれないし、あるいは単なる気まぐれかもしれなかった。

「小松さんは、僕と話して楽しかった?」

 彼女は風に揺れる木々を眺めながら、

「うん」

 とだけ言った。僕にとってはそれで十分だった。


 小松さんの結婚式に、僕は友人代表としてスピーチをした。人前で話をするのは苦手なのだけれど、彼女の願いだ。僕は喜んで引き受けた。誇らしい気持ちでいっぱいだった。

「僕は」

 マイクの前に立ち、詩を朗読するように言う。

「僕は、小松さんと友達でした。僕にとって唯一無二の存在でした。彼女と話したあの放課後の教室を、僕はきっと一生忘れないだろうなと思います。僕らはさまざまなことを語り合いました。あの時、僕にとって世界とは学校のことだったのに、小松さんと出会い、世界を良くも悪くも広げられたのです。僕はそのことを恨めしく思い、でも同時に感謝もしています。あの時間がなかったら、僕は世界に絶望していたかもしれません」

 小松さんの方を見る。泣きそうな、でも嬉しそうな、そんな表情をしていた。

「小松さんの第一印象は口の悪い人でした。当時、とにかく口が悪かったのです。口を開けば何かの悪口を言っていました。でも僕にはその悪口が面白くもありました。しかし、クラスメイトたちはそうは思っていなかったらしく、彼女はクラスで孤立していました。僕がいなかったら、彼女は学校に行かなくなったかもしれません。その点は感謝して欲しいです」

 小松さんは笑った。素敵な笑顔だった。目には涙が溜まっていた。

「でも彼女は実は、とても優しい人です。誰よりも思いやりの気持ちを持っています。ただ、不器用で、自分の感情を素直に表現することができないのです。でも大丈夫。僕が教育しました。今は素直ないい子です。花婿は僕に感謝してください」

 お婿さんは笑った。いい人だ。

「まあそんなわけで、彼女と結婚できる彼は、とても幸せ者だと思います。だって、彼女ほど素敵な人は世界中探しても、なかなか見つからないのですから。何億分の一という確率を引き当てた彼は、とても運がいい。これからの人生が素晴らしいものであると、保証されたも同然なのですから」

 僕はそこで言葉を区切り、お婿さんに向き直った。

「彼女を、幸せにしてください。大事な僕の親友なのですから」

 彼は力強く頷いた。

 僕は小松さんの方を向いた。

「小松さん。ありがとう。あなたのおかげで、今日までとても楽しかった。明日からは、そのエネルギーを、彼に向けてください。でも僕とも時々会って話をしてください。最初で最後の親友を、手放すなんて罰当たりです」

 彼女は頷いた。涙が溢れて止まらないようだった。

「人生も一つの物語です。僕らはどんな時も、このたった一つの、しかし非常に重要な一つの、作劇上のルールを忘れてはなりません。物語はいつか終わる。でも終わるその日まで、僕らは進み続けます。物語の意味なんかわからないままで、次なる展開に身を委ねます。大丈夫。僕らは、彼らに、そして皆さんに、これだけは言っておきたいのです。

 物語は、ハッピーエンドが王道だ。

 僕は王道が好きな人間です。だから、結婚式に相応しくないような、邪道なスピーチをするのは、彼女の悪い影響です」

 僕はつい涙が出そうになった。スピーチを締め括る。

「人生はいつだって幸せな方向へ転がっていく。僕はそう信じています。これからも彼らは幸せに生きていくでしょう。時には辛いことや悲しいことがあるかもしれません。でも、そんな強力な相手ですら、彼らの幸福のエネルギーには敵いっこない。特に小松さんは、最強です。そんな彼女の前では、どんな相手も、蹴散らされてしまうのです。彼らは、どんなことがあっても、幸福であり続けるでしょう。僕はそう確信しています。

 だらだらとまとまりのないスピーチをしてしまい、申し訳ありません。花嫁花婿の永遠なる幸福を願い、スピーチの締めとさせていただきます。ご静聴、ありがとうございました」

 拍手が鳴り響く。気分はタイタニックのラストシーンだ。

 エンドロールが流れ出す。

 僕と彼女の物語は、これで終わりではない。でもこれ以上書いたって、仕方がないという気がする。

 だって、僕らはこれから長い時間、生きなければならないのだから。

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