第7話
それでも警備の問題や学習と生活の場を分けるために、一度校門を出てから改めて寮のある敷地の門をくぐらなければならない。
ついでに寮についてもう少し詳しく説明するなら、建物は大きく分けて3つに分かれていて、手前からそれぞれ男子寮、教職員の独身寮、女子寮らしい。ただ、彩華高校は男子生徒の数が圧倒的に多いので男子寮は女子寮や教職員寮に比べて約2倍の広さがある。
校舎と同じく白を基調としているためか、それとも寮の玄関とは思えないようなガラス張りの入り口だからか、外見はどこかの大学病院みたいだ。
晃から数学準備室を追い出された俺達は寮母さんと引越し業者に頭を下げ、なんとか大量の荷物を寮のエントランスから美鳥の部屋である220号室に運んでもらった。
そんなわけで放課後になった今、こうしてせっせと荷解きをしている。
「……やっぱり、寮って広さじゃないよな?」
「僕も入寮した時は驚いたな。」
部屋については晃が送ってくれたパンフレットで把握はしてはいたが、じつは半信半疑だった。
そもそも相部屋とはいうものの、個人の部屋がきちんとある。しかも食堂があるらしいのに、小さいながらもキッチンが存在しているのだ。
玄関を開ければパンフレット通りの2Kの部屋がそこにあって、逆に驚いた。
さすが、ど田舎の私立高校。
半信半疑でパンフレットの間取りから計算して部屋に入るギリギリの荷物を送ったわけだが、それらはきっちり計算していた通りに収まってくれた。
本当ならピアノを運び込みたいところだったが、そこは我慢するしかない。
「櫻井君、そろそろ休憩する?紅茶、入れたんだけど。」
ポケットにねじ込んでいたスマホを出して時間を確認すれば、もう随分と作業に没頭していたようだ。確かにここらで一息つきたいところだ。
「そうだな。」
とりあえず必要なものは全て出し終えたし、片付けは後でもいいだろう。
お言葉に甘えて、俺達は狭苦しい部屋を脱出して隣の美鳥の部屋に移動した。
「広いな……」
「櫻井君の部屋と同じ広さのはずなんだけどね。」
クローゼットを挟んでシンメトリーな作りになっているはずなのだが、この差はなんだ。
美鳥の部屋は広々とくつろげる空間になっていた。備え付けのベッドと勉強机の他に折りたたみ式の小さなローテーブルを置いているにもかかわらず、俺たち2人がカーペットの上で足を伸ばしてくつろぐことが出来ている。
「綺麗に使ってるよな。」
「物を置いてないだけだよ。まだ僕もここにきてそうたっていないし。」
美鳥はそう言うが、壁際の棚には本と大量のCDが置かれていた。
それでも部屋が雑然とした感じを受けないのは、やはり美鳥がきちんと整理整頓をしているからだろう。
……ちなみに、並んでいるCDの中に何枚か見覚えのありすぎる物を発見したが、そこは見なかったことにしておく。
「ミントって、大丈夫?」
「ああ。」
美鳥はローテーブルにあらかじめ準備してくれていたティーカップにポットを傾ける。白磁のカップに琥珀色の透き通った紅茶が注がれ、ミントティーの爽やかな香りが部屋に広がった。
手渡されたカップを一口。
茶葉がいいのか、入れ方が上手いのか、清涼感と共に雑味のないスッキリとした味わいがすっと喉を通り抜けていく。
あ、うまい。
なんの捻りもない感想はしっかりと口に出ていたらしく、美鳥は嬉しそうに口の端に笑みを浮かべた。
「今日は本気で色々迷惑かけたな。」
「とんでもない。僕の知らない物が沢山あって楽しかったよ。」
全く関係ないのに美鳥は俺の隣で寮母さん達に頭を下げ、荷解きを当然のように手伝ってくれていた。
朝練していたって事は部活とか、他にも何か用事があったりしたんじゃないだろうか。多分、聞いたところで正直に答えてはくれないだろうが。
なんかこう、おっとりしてるというか、ぽやんとしてるというか。人を疑う事を知らない馬鹿が付くレベルのお人好しなんだろうなと、今日一日一緒にいただけでもわかった。
「櫻井君は音楽が好きなんだね。ピアノ、弾けるの?」
「あ、ああ。まぁ、な。」
その瞳がキラキラと輝きを増したのは気のせいだろうか。テーブル越しに前のめりにこないでほしい。純粋な瞳の圧が、怖い。
とにかく何でもいいから話を逸らそうと、俺は部屋に入ってきたときから気になっていたものについて尋ねてみることにした。
「な、なぁ、あれって……スケート靴だよな?」
美鳥の部屋に入ってまず目に付いたのが、机の脇に掛けられていた白いスケート靴だった。 普通の高校生の部屋ではまず見かけないものだ。たいして目立つ場所に置かれているわけでもないそのスケート靴は、どうしてもこの部屋から浮いて見えた。
美鳥は俺の指さす方を振り返り間違いないと頷く。
「小さいころからスケートをやってて。駅の近くにリンクがあるんだけど、ほとんど毎日滑ってるよ。」
「へぇ、毎日ねぇ。」
その細い体でスポーツをやっているというのがどうにも信じられない。
というか、そのおっとりした性格で氷の上なんて走れるのか?それも毎日……
「………………まいにち?」
ティーカップ片手ににこにこしかながら話すから危うく聞き流すところだったが、今絶対とんでもない事を聞いた。
「毎朝登校前に駅まで走ってリンクで練習してるから、早朝に物音とか迷惑かけちゃうかも。」
「は?……ま、毎朝!?」
ちょっと待て。駅までって結構な距離だぞ。
しかもそこから更に滑るのか!?今朝顔を合わせたあの時は、もしかしなくてもひと滑りしてきた帰りだったのか。
「放課後も同じように滑って帰ってくるから、食事とかシャワーとか、僕の事は気にしなくていいからね。」
笑顔でさらりととんでもない事を言っている自覚が本人にはないのだろうか。
「……それって、部活なのか?」
「ううん。僕個人でやってるだけ。」
「……、」
なん、なんだ。
どこにも所属せず、個人で毎日それだけの練習をするなんて……
そもそもおかしいんだ。今は五月末。一ヶ月前に美鳥が転校してきたという事は、進級してすぐのタイミングだったという事になる。
よほどの事情がない限りそんなタイミングで学校を移ったりするか?
一体何者だ……?
「どうかした?」
「あ、いや。……なんでも。」
聞けるわけない、か。多分これは単なる好奇心で聞いていい話ではない。
……なぁ、お前は何でここに来たんだ?
その一言がどうしても言えずに、俺は言葉を濁すと、カップに残っていた紅茶を一気に飲みほした。
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