第九膳 回答『再会のメニュー』

 タマと再会できた空想の場面は夢幻の如く消え失せ、わたしはうねりを上げる光の渦の中に漂っていた。

 何も分からないが、何もかもどうでも良くなっていくかのようだ。

 何かと一体となり、緩やかに溶け込んでいく心地よさに身を任せる。


 ここは、ムー大陸の核の中だ。


 なぜ、こんなことになってしまっているのか?

 ムー大陸に突入してからの場面が、スライドショーのように光の中に次々と浮かび上がる。

 わたしはその時の記憶を辿った。


 🍷🍷🍷


「ヒーハー! どうだ、関川さん? エレクチオン号は最高だろ!」

「ヒ、ヒィイイイイ!」


 繊細に振動させながら飛び続けるエレクチオン号、その乗り心地は……生きた心地がしなかった。

 音速を超える速度によるGに加え、急旋回、乱高下によって意識がなくなりかけた。

 しかし、尾骨の奥を刺激するような振動による痛みで無理矢理意識を覚醒させられる。

 痛みと恐怖心によって、このまま墜落して死んでしまった方が楽なのではないかと思い始めていた。


「ヒャッハー! ワラワラ迎撃しに出てくるワイバーン共が邪魔だぜ! だが、エレクチオン号は止められねえ! さあて、突っ込むぜ! フェード・イン!」 

 

 まるで脳内麻薬アドレナリンが分泌されているように瞳孔が開いているカノ―さんは雄叫びを上げる。

 そして、ムー大陸最深部への入り口、卑猥な形状をした洞窟へとエレクチオン号が突っ込んでいった。


 わたしとカノ―さんはムー大陸の地に降り立った。

 この洞窟の内部は、まるで人体の中にいるように奇妙なところだった。


「ここが、ムー大陸」


 わたしがゴクリとツバを飲み込むと、隣に立つカノ―さんはニヤリと不敵に嗤った。


「クックック。ビビんなよ、関川さん? 焦ってんのはヤツ……おっと、もう邪魔が来ちまったみてえだな」


 洞窟の奥からウミウシのような奇怪な海洋生物たちが現れた。

 後ずさるわたしを尻目に、カノ―さんは一歩前に出て両腕を触手に変化させた。


「七海雄、か。……関川さん、ここは私に任せて先にいけ!」

「ちょ! カノ―さん、それ死亡フラグ……」

「おいおい、平行世界のあんたの決め台詞じゃなかったか? フラグってのはへし折るもん、だろ?」


 カノ―さんはニッと口端を上げ、触手を振るい、道を切り開いた。

 わたしはその隙にムー大陸の最深部へと進んだ。


🍷🍷🍷


 再び、光の奔流の中へと意識が戻ってきた。


 気が付くと、わたしはテーブルに座り、赤ワイングラスを傾けていた。

 目の前には大きなホットプレート、すでに焼けるほどの熱気が伝わってくる。

 タマが大きなボウルを抱えるようにエッチラと歩いてきた。

 その中には、刻んだキャベツが乳白色の生地の中に絡っている。


「ほう? それは『お好み焼き』かな?」


 わたしが感嘆の声を上げると、タマはにっこりと笑顔で頷いた。

 そして、生地を熱したホットプレートに伸ばし入れ、ジュウっと気持ちを弾ませるような心地よい音とともに湯気が立ち上る。

 二つの楕円が夜空に浮かび上がるようだ。

 

 タマは手際よく、揚げ玉、刻み紅生姜、豚バラ肉を上に敷き並べ、下部が焼き上がるタイミングを真剣な眼差しでじっと待ち、ひっくり返す。

 わたしはその様子を静かにグラスを傾けながら微笑む。


 お好み焼きが焼き上がり、それぞれの取皿に分けられたところで、再び蜃気楼のように全てが消えた。


 わたしはまた独り、光の奔流へと漂う。


🍷🍷🍷


 わたしはカノ―さんに背を任せ、洞窟をひた走っていた。

 そこら中に、恍惚な表情で悶え苦しむ異形の者達が地面に転がっている。


 逢生蒼師匠と女帝のコンビが通った後のようだ。

 道に迷うこともなく、最深部、ヤツの元にたどり着けるはずだ。

 おそらくそこに、鈴月、タマもきっといるに違いない。


 巨大な肉壁で出来た両開きの扉がすでに開かれていた。

 わたしはその間を駆け抜けた。


「……ここが、最深部?」


 息を上げながら呆然と見上げると、まるで心臓のように巨大な塊が脈打っていた。

 

「そう、ここがムー大陸の最深部、そして、僕の神の力の源さ」


 人を小馬鹿にしたようなおどけるような口調、道化師のように大きくニヤけるような口元と白塗りの化粧、人をやめたことでその背には六枚の翼が生えている。

 この男を決して忘れることはない。

 わたしからすべてを奪い、世界を恐怖で支配する男、出刃だった。


「何しに来たのかな、関ちゃん? ただの人間の君が来ても何も出来ないよ?」


 ニタリと嗤う出刃の足元には、変態の館最精鋭の男たちが血だらけで倒れていた。

 逢生蒼師匠も肩で息をして膝をつき、女帝の鞭も力なく地に垂れている。

 その前には虚ろな表情で返り血を浴びて佇むタマがいた。


「……相変わらず、自分の手を汚さないようだな、出刃? 子供を使うとは卑劣なことを!」

「うえっへっへ! 勝てばいいんだよ、勝てば。どんな手を使っても良いに決まってる。戦争に綺麗も汚いもないのだよ」


 わたしは出刃の言葉を無視してタマに語りかける。


「帰ろう、タマ? 一緒に料理して、美味しい物を食べて穏やかに暮らしていこう」

「無駄無駄無駄! 下界での記憶はリセットしたよ! 今のそいつはただの殺戮兵器、世界中の軍隊を葬り去ったムー大陸最強にして最終兵器さ!」


 わたしはさらにタマに向けて一歩踏み出す。

 タマはピクリと反応を示した。


「チッ! そいつを殺れ!」


 出刃の命令に反射的に動き出すタマ、消えたと思ったと同時にわたしの懐に飛び込んでいた。

 

「ガハッ!」


 鮮血が舞う。


「うははは! 殺ったぜい!」

「せ、関川くん!」


 逢生蒼師匠の叫びも虚しく響き渡った。

 タマの爪はわたしの腹に突き刺さっていた。

 しかし、わたしは吐血しつつも微笑みながらタマを抱きしめた。


「ふふふ。やっと、再会できたな、タマ?」


 タマの虚ろな瞳に光が戻ると同時に、ハッとして身体を震わせた。


「大、丈夫、だ。また一緒に料理をして、楽しく、笑い合おう?」


 わたしの意識が途切れる寸前だった。

 心臓のようなものが激しく鼓動し、わたしとタマが光に包まれていった。


「な、何だと?! こ、これは……鈴月、裏切ったのか!」


 鈴月はわたしたちを見て自愛に満ちたように笑い、一筋の雫が頬を濡らしていた。

 その手が触れる先には、心臓のような物に埋め込まれているわたしたちの娘タマヨの眠る透明なカプセルがあった。


「裏切り? 私は始めから二人の心が繋がる瞬間を待っていただけですよ?」

「おのれぇえええ!」


 出刃は憤怒の形相で鈴月に襲いかかろうとしていた。

 しかし、全ては光に包まれて消えていった。


 そして、わたしは光の奔流に飲み込まれたのだ。


🍷🍷🍷


「……そういうこと、だったのか。タマは『タマヨ』だったんだな?」


 わたしたちが座っていたテーブルは、和室のちゃぶ台に変わっていた。

 お好み焼きの取皿もいつの間にか三つになっている。

 三つ目の席には、人間に戻った鈴月が座っていた。


「そうよ。タマはタマヨの思念体なの。この娘が大好きなパパに逢いたいと強く願った奇跡。そして、自分の意志で下界に出て行った」

「そうか。でも、出刃はタマが殺戮兵器だって……」

「ええ、ムー大陸の核と同化したばかりの頃は自我を失っていたわ。世界を憎むあの人の思念に影響を受けていた。あの人もまた、核と同化していたの」

「だが、どうして、そんなことをしようと?」

「仕方がなかったのよ。タマヨは病魔に侵されていて、余命が残されていなかったの。その時に、あの人がタマヨを助ける方法があるって」

「それが、ムー大陸の核との同化、か」

「そう。私は、タマヨを助けるのに必死で何も見えていなかった。この身体も魂も売ってでも助けたいと願った。たとえ、世界が滅びようとも」

「やっとわかったよ。君はタマヨを生贄に捧げたんじゃなかった。わたしの勘違い…「ニャー!」…」


 長々と話を続けるわたしたちに、タマが痺れを切らしたようだ。

 両手に金属ヘラを一本ずつ握って頬を膨らませている。


「アハハ、ごめんよタマ。折角美味しそうに焼いてくれたのにな」

「ええ。それにしても、本当に美味しそうね。いつも二人だけで楽しんでいたなんて」

「ごめんね、鈴月。でも、これからはずっと一緒だよ」

「ううん。それは、できないわ。これが私達家族の最後の晩餐よ。世界を元に戻さないと。でも、その前にタマの手料理を楽しみましょう?」


 鈴月は小さく首を振りながら寂しそうに笑った。


 そうだな。

 わたしたちには、世界を元に戻す義務がある。

 でも、その前に、ちょっとだけ家族の団欒を楽しんでもバチは当たらないだろ?


 わたしたちは愛の結晶である愛娘の手料理に舌鼓を打った。

 

 豚肉とキャベツ、お互いに別々の個人だった二つは出会い、お好み焼きという我が子のような料理を生み出した。

 

 わたしたち家族の再会のメニューによって、今、奇跡が起きようとしていた。

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