第五膳 答え『おでかけとちらし寿司』
変態の館は天を貫くような摩天楼であるが、その周辺にはかつての高層ビル群が建ち並んでいる。
しかし、その姿は朽ち果て、触手のような蔦が絡まっている。
黒い地面を突き破り、緑の鮮やかな樹々が再び大地を支配していた。
ムー大陸の復活とともに大地は活力を取り戻し、人の文明を飲み込んだのだ。
人がどれほど傲慢に万物の霊長と自称しようとも、栄枯盛衰の理から逃れることなどできなかった。
もちろん、世界各国、大国も独裁国家も例外なく、古代文明に戦いを挑んだ。
が、最新鋭の兵器を総動員しても、尽く返り討ちにあった。
核兵器ですら完全に無効化され、天空を制したムー大陸から次々と襲い来る魔導生物による制裁によって、世界は、いや人の文明だけが崩壊したのだ。
1999年7の月に現れた恐怖の大王によって。
🍷🍷🍷
「ウニャー!」
タマは、物思いにふけっていたわたしを見上げて毛を逆立たせる。
一緒に買い物に行こうと言っておきながら、相手にされていなくて拗ねてしまったようだ。
「ああ、すまない、タマ。お詫びにジュースも買おう」
「ニャン!」
わたしがタマの頭の上にポンと手を置くと、ニャンとも良い笑顔が帰ってきた。
さて、文明が崩壊したとはいえ、人々は意外と逞しい。
変態の館内では文明の利器が生きているし、周辺も城下町のようにそれなりに機能している。
これから買い物に向かうのは、近所のスーパー、というよりも闇市のような露店だ。
理想通りではなかったが、それなりに食材を揃えることができた。
背伸びしたいタマは甘酒、わたしはお手軽白ワインも手に入れた。
館に戻り、早速調理開始だ。
タマは興味津々に目を輝かせて、わたしの料理を見ている。
買い物に行く前に炊いておいた米をボウルに入れ、すし酢を加えたら、しゃもじで切るようにかき混ぜる。
次に、漬けマグロを仕込む。
柵取りされた赤身の直方体を熱湯にサッと通す。
表面の色が変わったらすぐに取り出し、氷水にブチ込む。
この作業を霜降りといい、素材の臭みをとって、旨みを逃がさないようにするための下ごしらえのことだ。
キッチンペーパーで水気を切ったら、刺し身サイズにそぎ切りにし、しょうゆと白ワインをブレンドしたタレの中に漬け込む。
本来は酒だが、ワインの方が酸味が強いのでスッキリした味わいになると思う。
他の具材もすぐに用意だ。
錦糸卵を作るため、フライパンに薄く溶き卵を焼き、千切りにする。
ハーブとともにプランター栽培している万能ねぎなどの薬味も取ってきて刻む。
酢飯の上に、十分に味の染み込んだマグロを並べ、そして、具材を散らす。
「よし、完成だ!」
「ニャーン!」
わたしがパンと手を合わせ、タマも嬉しそうに飛び跳ねると同時だった。
お腹がグーと鳴る音が『いただきます』の代わりだった……
🍷🍷🍷
ワインを嗜むわたしの真似をするように、タマが甘酒を口に含み、ふーっと気取った息を吐く。
その口元には、ちらし寿司を夢中で貪った後に残ったご飯粒がついている。
漬けマグロのちらし寿司を御気に召してくれたようだ。
わたしもまた、心和むひと時を過ごすことができた。
だが、どうして忘れていたのだろう?
娘タマヨの誕生日を祝い、全く同じメニューを作ったことがあった。
本当に喜びを全身で表現してくれ、心洗われるような笑顔で抱きしめてくれた。
その傍らには、人間だった頃の元妻・鈴月も柔らかく微笑んでくれていた。
わたしにあったのは、惨めな結婚生活だけではなかった。
幸せな一コマが、確かにあったのだ。
わたしは、鈴月との血塗られた再会を思い出す。
🍷🍷🍷
「うふふ。久しぶりね、関川くん? 残念ながらウンバチは留守よ」
人間をやめた鈴月は、永遠の二十歳のように若々しさを保ちつつも、円熟味を帯びた淑女のように妖艶に嗤う。
わたしを裏切り、愛娘を喪わせた憎むべき相手、のはずなのに、月明かりに照らされ「美しい」と思ってしまった。
「……ねえ、関川く……はっ!?」
無造作に近づいてきた鈴月は、口を開こうとしたが、何かに警戒して軽やかに横に跳んだ。
と同時に空気が弾ける炸裂音とともに、一面の強化ガラスが吹き飛んだ。
「ハッハッハ! やるねぇ、お嬢さん?」
カノーさんがエレベーターから降り、悠然とこちらに歩いてきた。
右腕を触手に変態させ、鞭のようにしならせている。
「こ、これがウンバチ……」
鈴月は冷や汗を流しながら、ゴクリとつばを飲み込む。
首を一振りしてから虚空に浮かぶ上がる。
わたしは、鈴月が逃げるつもりだと気づき、一歩踏み出す。
「ま、待て!」
「うふふ、今回は撤退するわ。また会いましょう、関川くん」
鈴月は浮遊するムー大陸へと去っていった。
🍷🍷🍷
あの後、カノーさんから聞かされた。
変態の館とムー大陸の全面戦争のことを。
わたしも戦列に加わってほしい、と。
だが、わたしは断った。
わたしから全てを奪ったヤツに対する憎しみは、決して消えないだろう。
しかし、それ以上に大切なモノがある。
今度こそ、指の隙間から零れ落とさないようにしないといけない。
尊い寝顔のタマを穏やかな気持で見下ろしながら、そう心に誓った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます