1.黒骨の騎士と飽食の街
運命の子ハルサラーナは、長きに渡る恐怖政治を民に強いたテリドア帝国の皇帝グリシュナの十三人目の妾の腹から生まれた。精霊たちを統べる王プレグライアを継ぐと予言される小さな王女は、テリドア帝国陥落の夜、黒の称号を持つ騎士フォンザー・ベルエフェによって白魔法使いクレリア、元サーカス団員ディミトラ、歌う弓士アレッキオの元へと逃がされた。
そして彼らを追う魔法剣士マインラートの
テリドア帝国カリダラ王朝の血を引く白騎士ジークハルトことジークフローラは、黒騎士フォンザー・ベルエフェを追い黒魔法の使い手マインラートと一時行動を共にし、精霊へと昇華したファヴイールの導きを受け元ピグルーシュ王国首都パスバハへと向かい始めていた……。
「もう無理……誰か代わって」
神に愛された歌声を持つ背高族トーラーの弓士アレッキオは、すっかり眠ったはちみつ色の髪の姫、ハルサラーナを胸にくくり付けたままガニ股でしゃがみ込んでいた。場所はヴォナキア王国の離島シルベルフを遥か彼方に離れた、東部の深い森を通る裏街道の一つだった。
「だらしないねえ。男だろう?」
小人族テラムンのディミトラが横から口を出すも、アレッキオはぐったりと首をもたげて動こうとしない。
「五歳の子供って結構重いんだって……頼むから誰か代わって……」
「あたしは体格的に無理だよ。姫さまを引きずっちまう」
「アタシ代わるよ」
ディミトラの横で口を開いたのは女傭兵パーミラ。彼女は幼馴染のマテオと共にヴォナキア王国の北部の田舎、大里ガナ・スタヒシから旅の一行に加わった。今はディミトラの弟子となった、まだ若い背高族トーラーの女性だった。
「さんきゅー……」
「起こさないようにね、そっとだよ」
「分かってるよ」
パーミラは何とか立ち上がったアレッキオからおんぶ紐ごとハルサラーナを受け取ると体の前にくくり付けていく。
「そっとね、そーっと」
静かに眠る姫を起こさぬようにと図った従者たちの心遣いは、近くで上がったキツネらしき鳴き声により無下にされる。ハルサラーナは獣の鳴き声に気付いて頭を持ち上げてしまい、瞼をこする。
「ん……」
「あー、もう。キツネめ」
従者たちの落胆のすぐ後、樹々がその腕を大きく振りざわめく。何だろうと彼らが周りを見渡すと木陰から出てくる者がいた。
カラスの羽根のマントに夜空色の一枚着、腰巻きの代わりに剣帯を巻き付けた一見トーラーに見える黒い短髪の男。宝石のように煌めく黄金の瞳は人ならざる竜の証。闇竜ファヴイールこと、黒骨の騎士フォンザーだ。
ハルサラーナ姫の守護者たる夜の精霊は従者たちの前に裸足で歩いて来る。
「おっと、お帰り」
「うむ」
ファヴイールはパーミラに短く答えると半分起きてしまったハルサラーナを抱き上げ、小さな背を叩いてあやす。
「パパ……」
「寝ていなさい」
「うん……」
ハルサラーナは南の海より鮮やかな青い瞳を瞼にしまうと再び深い眠りにつく。
「ありがと。せっかく昼寝が出来そうだったのにって嘆くところだった」
「アレッキオが音を上げた辺りで戻っては来ていたのだが、生物界に降りるか悩んだ」
ファヴイールは竜人族ドラゴニーズの肉体を失ったあと精霊となっており、一行が妖精の国シルベルフを発った後からは基本精霊界から仲間を見守っていた。
「やっぱり今まで通りフォンザーに姫さまを抱っこしてもらうのがいい気がするよ……」
「そうだねえ。あたしらだと何かあった時さっと姫さまを庇えないからねえ。フォンザーなら体も大きいし今なら魔法もたくさん使えるし」
「その辺りは考えものだな……。だが、」
ファヴイールは腕に抱いたはちみつ色の髪の小さな女の子を穏やかに見つめる。
「……振り下ろされた剣からすぐに姫を庇うならこちらにいる方が正解だな」
「そうだろう?」
「アレッキオは頻繁に音を上げるしな」
「あのね、五歳の子供がどのくらい体重あるか分かってる? 小麦粉の粉袋より重いよ? その重さ抱えて山道は無理だって……」
「そう言うものか」
「体力が阿呆みたいにある竜からすると姫さまなんて軽々なんだろうけどね……。あー、やっと軽くなった」
一行のやり取りを静かに見守っていた妖精族エルフィンの血を引くトーラーの白魔法使いクレリアは、ファヴイールが胸の前に姫君をくくり付けるのを手伝いハルサラーナが山風に吹かれて寒くないようにと毛布を被せる。
「小麦粉で思い出しましたが、そろそろ教会に立ち寄ってまたパンを調達した方がよいですね」
「そうだな。以前と違って俺の分は必要ないが、旅の連れも増えたからな」
ファヴイールはそう言ってチラッとパーミラとマテオを見やる。
「ただ飯食らいにはならないよう気を付けるよ」
「姫さまのあまーい白パンが食べたいぞー」
「マテオっ」
ファヴイールはふっと微笑むと姫君を抱え一行の一歩先を進み始める。
「……アタシもフォンザーが近くにいてくれる方がいいと思う」
「私もそう思います。姫さまの心のためにも」
クレリアとパーミラは頷き合うと、仲間と共にフォンザーの後を追った。
「安いよ安いよー! 腸詰肉が大特価! 領主さまの大〜盤振る舞い!」
「こっちは去年採れたばっかりのブドウで作ったワインだ! 腸詰肉と一緒にどーだい!? そこの綺麗なお嬢さん! 寄って行って寄って行って!」
ヴォナキアの東部の街パンプトメルトへ訪れた一行は祭りでもないのに異様に賑わう街中を見て目を皿のようにした。
「な、なんだぁ……? 庶民が普段から肉食っていいってことか?」
「領主が相当に裕福なのでしょうか……?」
ねえ? と隣に立つファヴイールに話を振ろうとしたクレリアは、精霊たる彼が怖い顔をして街の様子を睨んでいることに気付く。
「……フォンザー?」
「お前たち、ここでは物資調達だけにしろ」
「え? なんでさ?」
「宿泊はするな。飲み食いも最低限にしろ。それから姫はこのまま俺が預かる。この街には近付けたくない」
「何それ?」
理由を問おうとした仲間を置いて闇竜ファヴイールは踵を返し、街から数歩離れると早々に体を黒い霧へと変化させ精霊界へ戻っていった。
「あっ、ちょっと!」
「何だぁ? 何が悪いんだ?」
「分かりません……。精霊が怒るような何かがあるのかも知れませんが……」
「白魔法使いのアンタにもちょっとわかんない?」
「はい……。私には賑やかな良い街に見えるのですが……」
「そうだよねえ? 領主と平民の差がなくて近しいならいいことだよね?」
取り残された従者たちは肩を竦めつつ街の探索へと踏み出す。
「明るい良い街だよな……?」
「そう見えるけど……」
「おっ! 旅のお嬢さん! どうぞ見ていって! このプルップルのブドウ! お肌にいいよ〜」
クレリアとパーミラは自分たちを呼び込む一軒の露店に立ち寄った。荷車の上に棚が積まれた露店には芋やニンジンに限らず様々な旬の果物が並んでおり、非常に美味しそうに見える。
「おいくらですか?」
「ブドウなら一房三十ギニルだよ!」
「えっ!? そんな安いの!? ブドウでしょ!?」
「パンプトメルトじゃ普通の値段さ! さあ買って買って! あ、味見! 味見するかい!?」
「ブドウを味見!? そんな貴族じゃないんだから……」
驚きが止まらないパーミラをよそに露店の店主は女性二人にブドウを一粒ずつ手渡す。二人は恐る恐るブドウを口にしたが……そのブドウは芳醇な香りと蕩けるような甘さがあった。
「う、うま……」
「……これはどなたが栽培を?」
「領主さまさ!」
「領主が自分の土地で作ってんの?」
「そうだよ? パンプトメルトだからねえ」
「へえ……」
「さあ一房三十ギニル! どうだい!?」
二人は顔を見合わせた。
「買っちゃう?」
「ええ、まあ一房なら」
「まいど! さーあさあさあ買った買った領主さまの生ブドウ! 一房三十ギニルだよ〜!」
ブドウをポンと手渡されたクレリアとパーミラは目を丸くしながら踵を返す。
「アタシ、ブドウ初めて食べたよ」
「私もさすがに生のブドウは初めてです。美味しいですね……」
「これだけ新鮮ならそりゃ、肌にもいいよね?」
「そうですね」
ハルサラーナの従者たちは露店街を練り歩き大衆食堂へと辿り着いた。彼らは恐ろしいほど安い食材をそれぞれ荷に加えていて、目を丸くしたままお互いの様子を伺った。
「ビックリするほど食べ物安くない? ここ……」
「ブドウが一房三十ギニルでしたよ」
「ええ!? こっちは腸詰肉が一連五十ギニルだったぞ! 一個じゃねえよ!? 一連だぜ!?」
一行はお互い買った物をテーブルに並べる。長く連なった茹でたての腸詰肉、生のブドウ、綺麗な白パン……。
「街中で白パン売ってんの!?」
「ビックリしたよねえ。黒パンがないんだよ、ここ」
「ええ……?」
「あたしはふすま入りでもパンならありがたいってのに、こうも簡単にホイと買わされるとねえ……こう、ありがたみがないと言うか……」
サーカス団員だったディミトラは黒パンすらろくに食べられない生活を強いられた時期が長く、ハルサラーナ姫が小さな手で一生懸命捏ねた白パンを最初は宝物のように扱って口にするのも躊躇っていた。その彼女が今、簡単に手に入った白パンを見て思うのは「嬉しい」よりも「おかしい」だった。
「変な街だよ、ここは……」
「いやまぁ食材が異様に安いのはそうだけど、変……いやどうなのかな?」
「まだ何とも言えませんね」
「白パンはあんたたちでお食べよ。あたしはいいから」
「え? 何で? せっかく白いのに」
「あたしは工具類を見たら先に姫さまと合流するよ。姫さまの荷物を貸しな。フォンザーに持って行くから」
「あ、ああ……」
姫の残りの荷物をカバンいっぱいに担いだディミトラは何も口にせず大衆食堂を出て行った。その背を見て後を追うか悩んだ他の従者たちだが、ビールが届くと食欲に負け食事を頼み出す。
「うわ、やっす……」
「一品が安すぎる……。何で? 食材が安いから?」
「食材が安いから加工の手間を加えても安い……のでしょうね」
「見なよこれ、腸詰肉の大皿だって。頼んでみる?」
「まあ、一皿なら……」
一品なら、一皿なら。そう言いつつ従者たちはいつの間にかテーブルに空けた皿を積み上げていた。
「美味しい……」
「うまいが尽きないってすげえな……どこから出て来るんだこんなに?」
「店の裏に氷蔵があるのでしょうか?」
「そうだとしてもこんなに積んでおける?」
「どうなんだろ……」
お腹を満たした従者たちは再び街の探索に戻った。彼らはあちらでもこちらでも食材を売っているのに、畑は見当たらないことに気付く。そして……。
「……感じていた違和感に気付きました」
「ん? なに?」
安いからと再び買ったブドウを食べながら歩いていたパーミラにクレリアは困惑した表情を見せている。
「このパンプトメルトには教会がありません」
「え?」
残った従者たちが辺りを見回すと、確かに教会のとんがり帽子の形をした屋根はどこにも見当たらない。
「あ、あれ? 本当だ」
「普通町に一個は教会があるよね? ヴォナキアなんだから」
「ヴォナキアでなくても片田舎ですら教会はありますし、多神教国家なら寺社があるはずです。ですがこうも見当たらないとは……」
クレリアは仲間に待ってもらい一人で露店商の一人に教会へ祈りを捧げたいので道を教えてくれないか? と尋ねる。
「お祈り? ああ、それなら領主さまの屋敷にお行きよ」
露店商は街から見える小高い丘の上にポツンと家が建っているのを指差す。
「この街では領主の屋敷が教会代わりなのですか?」
「教会代わりじゃないよ、教会なんだよ。そもそも領主さまは魔導士さまなんだから」
「えっ」
困惑を抱えたままクレリアは仲間たちの元へと戻る。
「あー、白魔法使いが領主を兼ねてる時あるよね」
「だとしても、魔法使いがそのまま領主になることはあり得ません。事実上そうだとしても、名義上は貴族か豪農が領主となっているはずです。一神教の国では権力が偏らないようにするためこの二つの職を混ぜないよう法律で禁じていると、前にフォンザーが言っていました」
「そうなの?」
「うん。政治と信仰はどちらも国に大切な物だけど、信仰心を政治の道具にするのは随分昔に禁じられたって。なんでもひどい暴君が精霊王の信徒から出て、精霊たちが怒って一晩で国が消えた話があるんだ。吟遊詩人の詩の一つにあるよ。古典だけど」
「へーえ……。じゃあ何でこの街では魔法使いが領主してんの?」
「わかりません。いっそ訪ねてしまうのが手っ取り早そうなのですが」
「じゃあそうしようぜ?」
クレリアたちが丘の上の領主の屋敷を目指していた頃、ディミトラは街から出ると森の中へと踏み入った。しばらく歩けばそこには泉があり、闇竜ファヴイールと昼寝から目を覚ましたハルサラーナ姫、そして泉の乙女が楽しげに話をしていた。
「ディミトラ!」
はちみつ色の髪の姫が紅葉のような手を大きく振ると、ディミトラも手を振り彼らの元へ近付く。
「先に戻ったのか」
「白パンが二束三文で売ってたから食べるのはやめたよ」
「やはり奇妙に感じたか」
「ええ、まあね。ご機嫌よう精霊さま」
「ご機嫌よう岩土の子」
腰巻き以外を一糸纏わぬ泉の乙女は小人族テラムンのディミトラに美しい顔で微笑む。この泉の乙女は聖剣をなくした乙女とはまた別者のようで、あの乙女と顔立ちは似ていたが瞳の色が違った。
「姫さまの荷物を預かって来ましたよ。お鍋とか服とか」
「ありがとうディミトラ!」
ハルサラーナ姫は荷物を受け取ると小鍋を取り出して既に組み上げていた石のかまどで調理に取り掛かる。
「火はあたしがおこしますよ、姫さま」
「うん! ありがとう!」
姫は切り株の上で石のナイフを使いながら野山で採ったキノコやハーブを刻み、泉から頂いた清らかな水をディミトラがおこした火で沸かすと干し肉で出汁を取る。
「姫さま、料理がお上手になりましたねえ」
「先生のおかげよ!」
姫の言う先生とは主に魔法の師であるクレリアだったが、ディミトラやアレッキオを指すこともあった。シルベルフを発ってからはパーミラも先生に加わっていて、ハルサラーナはたくさんのことを覚え始めていた。
「いいえ、先生がよくても覚えが悪い子もおります。姫さまが素直に物事を覚えるから、お上手になったんですよ」
ディミトラに褒められた姫君は頬をリンゴのように赤く染めた。
姫君は完成させたスープを祈りと共に精霊たる泉の乙女と育ての父ファヴイールに捧げ、二人が彼女の気持ちを受け取ってからディミトラと分け合った。
「美味しゅうございます姫さま」
「よかった!」
ハルサラーナとディミトラが食事を終え、他愛のない話を皆でし、その後姫君が再び養父の腕の中で眠りにつくと大人たちは顔を見合わせ小声で話を始めた。
「あの土地はやはり奇妙だそうだ。泉の乙女曰く、そもそも街のある場所は獣たちが足を取られる酷い沼地だったらしい」
「ここから見ると綺麗な小高い丘に見えるけど、元は違うんだね?」
「うむ」
精霊二人とディミトラは丘の上に立つ広々とした屋敷を見上げる。
「問題はいつからこの姿になったかだが、乙女たちにも分からぬらしい。ある日気付けばこうなっていたと」
「何か仕掛けがありそうだねえ……。大きな魔法ってのは、早々人には使えないんだろう?」
「うむ。野山の景色を変えてしまうような大いなる力は、エルフィンやドラゴニーズでも相当な研鑽を積んだ魔法使いでなければ出来ぬし、研鑽を積んだ魔法使いならまず安易にそんなことをしない」
ディミトラはカバンの中から街で手に入れた白パンを取り出し、闇竜ファヴイールに差し出す。
「念のため、一個持って来たんだよ」
「うむ」
ファヴイールは白パンを手に取り、割って中身が美しくふわりとしていることやニオイを嗅いで異常性がないか確かめる。
「一見綺麗な白パンだよ。害はなさそう」
「うむ……」
白パンを受け取ったディミトラは口に入れずにまた布にくるんで膝へ置く。
「一つ十ギニルだってさ、白パンが」
「いくら何でも安すぎるな」
「ああ。いくら領主が気持ちのいい奴だって白パンなら三百ギニルより低い値段で売るはずないし、売るつもりがないなら丸ごと教会に捧げてそのまま民へ配るだろう?」
「そのはずだな」
「たった十ギニルって言う、銅貨一枚の値段ってのが気にかかってね……。物は安けりゃいいってもんじゃない。高すぎるよりはいいかもしれないけど、今のあたしは……姫さまが白パンを作る姿を見たあたしはそうは思わない」
「うむ」
「ひもじい思いをしてた昔のあたしなら……この街は宝の山に思えただろうね。たった十ギニルで白パンが食える、神の国だってね。でも、そうじゃない。そうじゃないのさ。白パンが高いのは、小麦を水車で粉にする工程が難しいから。水車を日頃点検する土地と金が必要だから。そして、小麦粉が虫とネズミに食われないよう管理するのが大変だからさ。中には小麦粉に高い税金をかける酷い領主もいるさ。でも、そうじゃない。手間賃だ。手間がかかるから、そこで働いた者に金を払うから出来上がった白パンが高いのさ」
「そうだ、その通りだ」
「あたしは姫さまが作ってくれた白パンがどれだけ美しいか、街でパンを見かけるたびに思ったよ。みーんなが食べやすいように、大きすぎず小さすぎない大きさにして、木の実で甘くしたり野菜を混ぜたりしてさ……」
ディミトラはハルサラーナの白パンを思い浮かべながら、膝に置いた白パンが入った包みを見る。
「街中で売ったとしたら姫さまのパンは五百ギニルはする。そのくらい手間がかかってる。それを……これはたった十ギニルだよ? ……馬鹿にしてるよ」
「うむ」
「だから安くても嬉しいとは思わなかった。変だ、絶対に変だよ。金がいらないなら配ればいい。でもそうじゃない、そうしないのさ、あそこの領主は。何が変なのか……まだわからないけど」
「お前のその違和感は正しい」
「ああ、そうだね。でもフォンザー? それならそうと話してよかったのに、どうして黙って森へ引っ込んだんだい?」
闇竜ファヴイールは黄金の瞳でパンプトメルトの街並みを睨む。
「領主に“話を聞く”なら夜の方が良さそうだったからな」
クレリアたちは元々魔法使いだと言う領主の三階建ての屋敷へ足を運んだ。小高い丘の上からは街が一望出来、そこでようやく彼らはパンプトメルトが綺麗な円形をしていることに気付いた。
「街が真ん丸だね」
「珍しい形してんなぁ……」
「いえ、これは……」
「ん?」
「……何でもありません。中へ入りましょう」
白魔法使いクレリアがノッカーを打つと大きな両開きの扉は独りでに開き始める。
「うおお! 魔法か!?」
クレリアはここでやっと厳しい顔をして屋敷を見上げた。
「皆さん」
「ど、どうかした?」
「必ず私の後ろにいてください。単独行動もしないで。必ずですよ?」
「わ、わかった」
「おーけい」
身の丈ほどの大杖をつくクレリアの後ろにパーミラとマテオ。アレッキオはさらにその後方に並び領主の屋敷へと踏み入った。
広い玄関を抜けた一行を迎えたのは美しい水の花園。部屋が丸く切り取られペリスタイルのように円柱に支えられた中庭の中央には陽の光が注ぎ、大きく掘られた丸い池がある。そして池は人が入れるほど広く深く、白い睡蓮が咲き乱れ……一糸纏わぬ乙女たちが水の中と外で寛いでいた。
乙女たちはクレリアたちに気付くと皆さっと視線を向けた。お喋りも止まり、アレッキオはその瞬間パーミラとマテオの頭を掴んで下を向かせた。
「なっなにすんの!」
「しっ! 彼女らと目を合わせないように……」
クレリアも視線と膝を落とし、杖を掲げないよう低く持つと乙女らに恭しく膝をついた。
「ご機嫌よう精霊さま」
(精霊!? まさか全員!?)
(一箇所にこんなにいるもんなのか!?)
(いやぁ早々こんなに集まらないよ……)
白魔法使いが動かぬのでパーミラたちも固唾を飲んで頭を下げていると、乙女たちは彼らに興味を失くしお喋りを再開した。そして屋敷の奥からコツコツと靴底が響く音が聞こえ、トーラーの初老の男性が顔を出す。
「どうぞこちらに」
男性は物腰柔らかく、白魔法使いクレリアを中庭の奥の部屋へ案内する。クレリアたちは物音を立てないように中庭をすり抜け客間に案内された。
客間も広々としていて柔らかな灯りと大きな敷物、慎ましいながらも良い物と分かる椅子とローテーブルで彩られていた。
「綺麗な部屋ぁ……」
パーミラがうっとりとすると領主らしき男は満足そうに微笑む。
「ありがとうございます。お気に召していただけたようで」
二人の会話を遮るように白魔法使いクレリアは一歩前に出て恭しく膝を落とす。
「お初にお目にかかります。白き花蔓のクレリアと申します」
「これはご丁寧に。この街では領主と呼ばれておりますが、青き睡蓮のパンプトメルトと申します」
(えっ!? この人の名前だったの!?)
(あー、クレリアの言う厄介な部類……)
(な、なんだそれ?)
(後で説明するよ)
「パンプトメルト様、この街の名でもあることから長くここにお住まいだと存じます」
「ええ、そうなのです。もう三百年ほど……。ああ、どうぞお掛けになって」
「ありがとうございます」
クレリアは仲間に目配せをして、彼らと共にふかふかの長椅子に腰掛ける。
(うわ気持ちいいソファ……)
(尻上げたくなくなるな……)
「パンプトメルト様の庭園は大変素晴らしい物ですね。精霊の声を聞く者として非常に尊敬いたします」
「ああ、ありがとうございます。ですがこれは私だけの努力ではないのです。精霊さまのお力あってのもの。そして人々の営みがあってこそ……」
初老の魔法使いパンプトメルトはにこりとした。
(なんか感じのいいお爺ちゃんだけど……)
パーミラがそう思っていると召使いらしき女性たちが一列に並び盆を掲げて一行の後ろに立ち、横から飲み物や食べ物を差し出した。その料理や飲み物のなんと美しいこと。陽で輝く様々なベリーのジュース、旬の果物と焼きたての肉や野菜……そしてこがね色に輝く美しい白いパン。
「うわっすっご!」
「すげー! 見たことねえ料理!」
「どうぞ寛いでいってください。旅でお疲れでしょうから」
飲み物と料理に目を奪われたパーミラとマテオは差し出された物に手を伸ばす。しかし、庭園の方からゴーッと吹いた強風が、夜風の香りをさせて彼らの髪と服を乱す。
パーミラとマテオはその香りに闇竜ファヴイールの気配を感じて、ハッとして手を引っ込めた。
「おや、こんなに強い風が……珍しい」
「あっ、そう言えばアタシたち街でご飯食べたよねえ!?」
「おっおお! そうだったそうだった! 満腹だから食えねえよなあ!?」
パーミラとマテオがわざとらしく笑い合うものの、パンプトメルトはニッコリと微笑む。
「それはようございました。この街の食べ物はどれも素晴らしいので、ご堪能いただけたのなら幸いです」
「ごめんなさいね、せっかくいただいたのに!」
「いえいえ」
白魔法使いクレリアはさっと立ち上がった。仲間もつられて慌てて立ち上がる。
「申し訳ございませんパンプトメルト様。祈りを捧げたいので聖なる場への出入りをお許しください」
「ああ、ええ、もちろんですとも。祈りの場でしたら……そうですね、二階へどうぞ」
クレリアは仲間を連れて先導するパンプトメルトへついて行く。二階には中央の池を望みながら祈りを捧げられる小さな祭壇が存在し、クレリアは至って普段通り祈りを捧げる。仲間たちもその後ろで手を組み合わせ、祈りを終えた。
「無礼にも慌ただしく屋敷を後にすることをお許しください」
「巡礼の旅でしたら無理もございません。貴女がたの旅路に精霊さまのご加護がありますよう」
「ありがとうございます」
クレリアたちは足早に円形の街パンプトメルトを離れ、森の泉で待っていた闇竜ファヴイールとディミトラ、養父の膝で眠るハルサラーナの元へと戻った。
「戻ったな」
「止めてくれたよね! ありがとうフォンザー!」
「礼はいい。仲間を掠め取られてはかなわんからな」
「あの屋敷に着いてあなたが警戒した意味が分かりました」
「うむ、詳しく擦り合わせよう。姫を起こすのは忍びないが……仕方あるまい」
従者たちは目をこするハルサラーナがしゃっきりするのを待って、それぞれの話を始めた。
「どこの街でも白パンなら三百ギニルはするはずだろ? それが十ギニルだよ? 子供の小遣いで買える」
「そうだよね、いくら何でも安すぎた……。でも安いから買っちゃうんだ!」
「食い物自体は普通だったぞ? めちゃくちゃ美味いけど……」
「その安い、と美味い、がある種の仕掛けなんだ。お前たち、あの街で盗みをする者や貧困者を見たか?」
「え? ええと……」
パーミラとマテオは街の様子を思い出す。みんな笑っていて、食べ物が溢れ、酒場も大衆食堂も賑わい……。
「……いなかった、ような」
「一人もいないはずだ。どの街にもどの村にも貧困者は出る。これは誰かが金を持てば誰かはあぶれる……残念ながら当然のことだ。それが一切ない街と言うのは不自然なんだ」
「そ、そう? そう言うもん?」
「お前たちも路銀が尽きて道中苦労しただろう? もしもの話だが、あのまま路銀が手に入らずどうにも立ち行かなくなったらどうする?」
「えーと……考えたくないけど盗みをするかな。芋をこっそり畑からもらっちゃうとか……」
「そうだ、生き物は飢え死にする前必死の抵抗をする。生きるためにな。では飢え死にしかけたお前たちがそのあと、旅の果てに一見何もない村でたくさんの食い物にありつけたらどう思う?」
「えっ? そりゃ幸せだなぁって……馬鹿みたいに食べるかな」
「その食い物が次の日もその次の日も尽きなかったら?」
「え、もう村から出たくなくなるよね?」
「お、おう……。そんなに食べる物があったらどこにも行く必要ないよな」
「この街はそう言う者たちが集まって出来たはずだ。別の場所で飢え、死にそうになりながらここへ辿り着き……豊富な食い物にありついて最初は涙しながら何もかも食べ尽くす。そして食い切れぬ分が出来て、遠く離れた家族や親戚を呼び込む。または行き倒れた人々を招き手厚く介抱する……」
「いいこと、じゃん?」
闇竜ファヴイールは厳しい目でパーミラとマテオを見た。
「飢えを忘れるほどの飽食は生きる気力を奪う。例えば、美しい女と酒を飲みたい。たくましい男に毎日愛の言葉を囁かれたい。毎日着飾りたい。そう言う人の欲は争いの種にもなるが、生きる活力そのものだ。それを奪われたら、人は人とは呼べぬ」
「え、えーと……?」
「その人の欲、生きる力を吸い取り魔法陣の一部として活用しているのがあの街の実態です」
「魔法陣? そんなのあった?」
「街があり得ないくらい綺麗な円形に収まっていたのに気付いたでしょう?」
「……え、ちょっと。まさか街がそのまま魔法陣なの?」
「そうです」
「ど、どう言うこった……?」
「あの街は、魔法使いパンプトメルトの屋敷の中央にあった円形の池を中心とした巨大な魔法陣なのです」
「うむ。人の欲を吸い上げ、それらの力を中央の水場に溜めておく。その力を精霊に捧げ、精霊たちは池が心地よいので留まる。留まった精霊の力により周りは潤沢な資源を持つ大地へと姿を変える……。長い年月をかけて土地の形を変え、その魔法使いは己が使いやすい力場を完成させたのだな」
「りきば?」
「魔法を行使するためには自分の周りの魔力を整えておく必要があるのです。工房とも呼びますが、繊細な魔法を仕込んだり大きな魔法を使うためには必ず必要とするのです。精霊さまの大いなる力を借り、自然へ働きかけるためには大きな力場が必要となるのです」
「あれは街の形をしたパンプトメルトの工房だろう」
「そ、そんなでっかい魔法陣作ってどうするっての?」
「さあな、目的は知らん」
「ええー」
「この工房作り自体は悪いことではない。特にアケヒノ皇国などは土地の形を整え大きな結界を作り出し、悪いものが街へ入らないように工夫していると聞く。パンプトメルトの場合よくないのは……」
「精霊さまを閉じ込めてること」
大人たちの話を静かに聞いていたハルサラーナは重い表情でそう口にすると立ち上がった。
「精霊さまは自然のもの。魔法陣の中に閉じ込めちゃダメなの。ダメなのに、パンプトメルトは精霊さまをお池の中に閉じ込めてるの!」
「そう。姫の言う通り、そんなことをしてはいけないのです。川の精霊は川に、海の精霊は海にいるべきですし、泉の精霊は泉の間を行ったり来たりするものなのです」
「そ、そっか……」
「事実、この泉にいた乙女もあの街へ行った己の姉妹が百年は帰って来ていないと嘆いていた」
「そんなに!」
「精霊を敬うはずの魔法使いが精霊を仕掛けの一つとして利用し、工房に閉じ込められた者たちは精霊も人も気付かない……恐ろしい場所です」
「精霊さまをお外に出さなきゃ!」
ハルサラーナ姫は従者たちに決意に満ちた表情を見せる。従者たちは一人ももれなく頷いた。
「ハルサラーナ姫、貴女が解放して差し上げるのです。乙女らを、民を。いずれ精霊の王となる貴女さまが」
「でも、どうすればいいの?」
「まずは夜を待ちましょう。精霊界からあの街を見れば異様さが際立つはずです」
陽が沈み、闇竜ファヴイールと白魔法使いクレリアの指示で従者たちは白い紐をぐるりと胴に巻き付け、その紐が途切れぬようにクレリアを先頭に一列に連なる。
「決して外さないでくださいね、命綱ですから」
「わ、わかった。姫さまはいいの?」
パーミラが様子を伺うとハルサラーナ姫はいつものおんぶ紐を胴に巻き付け、その先端は闇竜ファヴイールの手首にしっかりと巻き付けられていた。
「サラーナは私が守護しているから大丈夫だが、念のため結んでおこう」
「うん!」
「では参ろう」
ハルサラーナ姫を抱っこした闇竜ファヴイールは従者たちに向かって星空の翼を広げる。夜風が舞い、トーラーの似姿であったファヴイールがカラスのような四つの脚と鉤爪、翼を持ち、その頭に立派な槍のような鋭いツノを持った姿となる。大いなる精霊、夜の子であり夜そのものであるファヴイールが降臨すると周囲の空気がより湿ったものへと変わる。
竜の力を通し精霊界へと降り立った姫と従者たちは、ファヴイールの羽根越しに露わになったパンプトメルトの工房を見て目を皿のようにした。
「な、なにあれ……光の壁?」
パンプトメルトの工房たる円形の街は、街と外の境、住宅地の切れ目、パンプトメルトの屋敷の周りに薄い光の壁を形成していた。その光は屋敷に近付くほど強くなり、池がある屋敷の中央からは光の柱が立ち昇っていた。
「す、すげー……」
「あれが人から吸い上げた活力と精霊の力だと聞いたら、この街がどれほど恐ろしいか分かろう」
「お、俺たちもあの光にされるところだったのか?」
「端的に言えばそうだ」
マテオはゾーッとして思わず己を抱き締めた。
闇竜ファヴイールは前脚で器用にハルサラーナを抱っこしたまま、鳥のようにのそのそと歩き出す。
「行くぞ。あの結界を上手く破って乙女たちを外へ逃さねば」
「おっ、おう!」
「で、なんで待機?」
クレリアを先頭としたパーミラ、マテオ、ディミトラにアレッキオの隊列は中央の光の壁までは行かず三つある光の壁のうち真ん中の手前で留まった。その前方ではファヴイールに抱えられたハルサラーナが屋敷までのそりのそりと進んでいる。
「円と言うのは力を内側に留めておくのに有利な形状なのです」
「ふーん?」
「姫さまとフォンザーの力の強さなら中央の光の壁を破壊出来ますが、真ん中も突き破らなければ精霊さまが外へ出て来れません。なので私が真ん中の壁を破壊します」
「これからそんな大それたことすんの……?」
「もちろん」
クレリアはパーミラたちに振り返り微笑む。
「簡単とは言いませんが、こう見えて七十五年修行していますから」
パーミラとマテオは言葉を失って、大いに驚いた。
「なっっっ七十五年!?」
「あれ、二人ともクレリアの歳知らなかったっけ? 今年で八十だよ」
「ウソぉ!?」
「そんな……そんな肌ぴっちぴちなのにか!?」
「クレリアはあたしの倍生きてるからねぇ」
「ディミトラの方が年下なの!?」
「あたしはまだ四十よ、四十」
「ええ!?」
「姫さまの従者で見た目と歳が合ってるの、俺とディミトラだけだったもんねえ」
「そうだねえ。フォンザーでさえ二百過ぎてたからね」
「二百!?」
「あいつそんなに爺さんだったのか!?」
「ドラゴニーズの中でも半竜だとうんとこ長生きらしいからねぇ……」
「ええー!?」
従者たちが賑やかに待つ中、ハルサラーナはパンプトメルトの屋敷の横でゆっくりとファヴイールに降ろされた。姫君は腰巻きをぐるりと回すと、その小さな体に似つかわしくない小剣を、水晶で鞘をあしらった華美な剣を引き抜く。剣は金属ではなく黒曜石で出来ていた。剣身に夜空が映り、ファヴイールの羽のように輝く。
「姫。壁にヒビが入ったら、精霊へ語りかけてください」
「わかったわ」
ハルサラーナは両手で柄を持ち、祈るように刃を下へ向ける。姫は一つ深呼吸をして……カーンと石畳みに剣を突き立てた。
パリン! とガラスがひび割れるように、陶器が欠けるように光の壁にヒビが入る。
「精霊よ! 我が声を聞きたまえ! 我はイェル・アル・サリーナ! あなたたちの声を聞く者!」
ひび割れた光の壁から魔力が溢れ、波の形を取ってハルサラーナたちを飲み込む。
「おおおおおい何か来たぞ!!」
「大丈夫です! 水に見えますがあれは力の……!」
「説明してる余裕あるの!? 大丈夫!?」
力の奔流に飲まれる中、ハルサラーナは声を上げる。
「精霊よ! 聞いて! あなたたちはそこに何百年もいるの! あなたたちの妹さまが、お姉さまが帰って来ないって泣いてるわ! お願い出て来て! 魔法使いの道具になっちゃダメ!」
姫君の声を遠くに聞きながらクレリアも石畳みに杖を突き立てる。
「我は白き花蔓のクレリア! 精霊よ聞き届けたまえ、神々よその裾を開きたまえ……。我が主、イェル・アル・サリーナのため我はここに破壊の力を求めん……。猛き獅子の如き爪をここに、トールの雷撃をここに!」
クレリアの詠唱により暗雲が立ち込め、彼女の杖に向けて雷が落ちてくる。光の壁の二つ目にヒビが入ると力の波はドーッと押し寄せ三つ目の光の壁へと向かう。
「精霊さま……!」
ハルサラーナが泣きそうな声を出した時だった。乙女の一人が、ハルサラーナの前へ現れる。彼女は小さな姫君の額に口付けると外を目指す。乙女はそのままクレリアたちの横も通り過ぎた。
「やった!」
「このまま全員で押し寄せてくれれば三つ目の薄い壁は突破出来るはずです……!」
乙女らは次々に顔を出した。みんなはちみつ色の髪に口付けて、白く小さなおでこに口付けて一人また一人と去って行く。
そしてやはり、異変に気付いたパンプトメルトが表へ出て来た。闇竜ファヴイールは姫君を支えながら老人を睨み付ける。
「何だ!? どうなっている……!」
パンプトメルトは何年振りかに大杖を持ち出したのだろう。ハルサラーナが精霊界側から作った結果のひび割れを見つけると埃が積もった大杖を体の前に掲げる。
「精霊よ、我が声を聞きたまえ……」
「ダメ! パンプトメルトの声を聞いちゃダメー!!」
ファヴイールは夜空の羽根を大きく広げた。そして……。
「我は夜に連なる子、夜となりし者。遥かなる者よ聞きたまえ、遠き輝きよ聞きたまえ。パンプトメルトなる男、パンプトメルトなる人の子はその身で天界へと足を掛けし不届き者なり。遥かなる者よ聞き届けたまえ。遠き朝に、新しき夜から請い願う……」
ハルサラーナ、パンプトメルト、そしてファヴイールの詠唱合戦となる中クレリアたちは力に飲まれぬよう踏ん張りながら光の壁に穴を開け続ける。
「う、ぐぅ……!」
「クレリア大丈夫!?」
「もう少し、もう少しだから……!」
クレリアは自分に言い聞かせるために杖を握りしめていた。その手に血が滲み、赤い雫がしたたり落ちる中……マテオとパーミラは真横を歩いて通るローブ姿の老人を見た。
「えっ……?」
「お、オジジ……!?」
濃灰色のローブ、フードを目深く被り二羽のカラスを肩に乗せた老人はクレリアたちの横を通り過ぎ、何でもないようにファヴイールとハルサラーナ、パンプトメルトの元へ歩いて行き……老いた魔法使いの前で足を止めた。
「魔法使いよ」
「なっな……何だあんたは!?」
「光の柱なんか作って、どうするつもりだ?」
老人は老人らしからぬ物言いで口元をニマリと歪ませる。
「どうする、だと!?」
「おおよ。それなりに理由があるだろ? 何を作るんだ? 神にでもなるのか?」
「私は……私は選ばれし者のはずだ! なのにあいつらは! 魔法協会の組合員たちは私を追い出した! この力が疎ましいからだ!」
「んー、追い出された奴って大体そう言うよね」
老人は濃灰色のローブを脱いだ。するとその下から現れたのは、膝まである血のような真っ赤な長髪、燃え滾る太陽の瞳を持つ、赤い革のコートに銀の鎖をジャラジャラ付けた、この時代にはあり得ないパンクロック風の男だった。
「な、なんだお前は……」
赤い男は天を指差した。
「そんで、星空に向かって光を打ち上げてどうするの? こんにちはー神さまって、するの?」
「そうだ……そうだ! そうする気でいた! 何が悪い!? 私は選ばれたのだ! 神」
「じゃ要らない」
赤い男はパンプトメルトの額をデコピンした。パンプトメルトは馬に轢かれたような勢いで弾き飛び、己の屋敷の壁を破壊して屋内へ突っ込んだ。
ハルサラーナの開けたヒビからは最後の乙女が流れ出て、それと共に光の壁は薄くなって徐々に消えていく。
精霊が横を通り抜けたのを見たクレリアは力尽き、力の波に流される。パーミラとマテオが彼女を支え、従者たちは乙女たちと共に結界の外へと流されていく。
「オジジ! オジジー!!」
マテオの叫びも虚しく、彼らは遠く森の中へと流されていく……。
赤い男は一瞬の静寂の中、ハルサラーナとファヴイールに振り向く。神は穏やかに微笑んでいた。
光の壁が完全になくなった途端、さらなる力の奔流がドッとハルサラーナとファヴイールを襲った。ファヴイールは人の姿へ変わるとハルサラーナをしっかりと懐へしまい、ハルサラーナは父の腕にしっかりしがみついて……竜と姫も森へと流されていった……。
夜が去り、パンプトメルトの丸い街には変わり果てたパンプトメルトと倒壊した屋敷、枯れた畑と木の枝で出来た牛や羊が柔らかな日差しの中照らし出されていた。
街の人々は虚な目をしていたり眠りこけたりしていたが、見た限り命が果てた者はいないようだった。
「これ、どうしようね」
パーミラたちはすっかり変わってしまった街を眺め、小麦粉の役割をしていた細かい砂を手で掬う。
「パンプトメルトは土や木や石を魔法で他の物体に置き換えていた。恐らく周辺の村では収穫した物が土や石塊に変わる怪異が起きていただろう」
「結局よそから物盗ってたんだな、あいつ」
「うむ。豊富な物質を、何もないところからは生み出せぬ。神でもなければ摂理に反することは早々出来んよ」
「神……」
パーミラとマテオは一瞬見たローブ姿の老人を思い出した。
「やっぱり、オジジのことは夢だったんかな?」
「夢じゃないわ」
マテオとパーミラが足元を見るとハルサラーナが二人を見上げている。
「嵐の王さまはパパの……パードレの呼ぶ声に答えて来てくれたのよ。夢じゃないわ」
「で、でもよ……俺たちには何も」
「王さまは笑ってたわ」
ハルサラーナ姫はマテオとパーミラに微笑んだ。あの時の嵐の王のように。
「笑ってた。だから、二人のことも大丈夫よって、そう言ってくれた気がするの」
「……そう」
姫と従者たちが街を眺める中、アレッキオだけは一人忙しく羽根ペンを走らせていた。
「で、アレッキオは何してるの?」
「ちょっと黙って」
「アレッキオはお仕事なの」
「仕事……?」
「この街であったことを詩にし、次の村や町で他の吟遊詩人と共有するんだ。そうすれば足をつけずにヴォナキア兵へ知らせられる」
「なーるほど!」
「静かに!」
「ご、ごめん……」
旅すがら旋律を決めるアレッキオを先頭に、姫と従者たちはまた旅を再開する。アレッキオは甘い声で神を讃え、精霊を讃え、人の業を嘆く。誰しも自分のことばかり考える。でもその中で、誰かのために身を投げ出す者もいる。包帯を巻いたクレリアの手を労りながら、ハルサラーナは前を向いた。そして小さな姫君は、いつもと変わらずファヴイールの腕の中にいた……。
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