第42話 大人のプライド

「父を、やはりご存じなんですか?」


 加佐見がすぐに聞き返すと、驚いたような顔をして安藤父は返事をする。


「知ってるも何も、君の父には随分と働いてもらったからな。ああ、そうだ、加佐見君にはたくさんお金を貸していてね。亡くなったと聞いて、昔の働きもあったから借金はあきらめようかと思っていたが、そういえば家族がいるのであれば、君のその借金を請求しようか」

「父はいくら、お借りしていたのですか?」

「五千万円ほどだ。もっとも、ほとんどが遊び金だが。晩節をどう過ごしたのかは知らんが、あれほど金と欲にまみれた、腐った人間は見たことがない」


 余裕をなくしかけた安藤父の顔に、精気が戻る。

 加佐見を盾に、何か交渉をしようとする腹が透けて見える。

 すかさず桐生が割って入ろうとしたが、それを加佐見は手で制止する。


「加佐見さん……」

「いいの桐生君、大丈夫」

「……わかった」

「安藤さん、私の父は確かに人間としては最低だったと思います。父親としても、経営者としても。もしあなたにもご迷惑をかけていたのであれば娘として代わりに謝罪します。ただ、父のしたことに目をつぶってもらう代わりに悪事を見逃すという選択肢は私にはありません。一生借金を返すことになっても、それはそれです。あなたや、息子さんがやってきた悪事はきちんと償ってください。それだけです」

「ほう、随分と誠実な子に育ったものだ。父親を反面教師にして、というところは桐生君も一緒かな。しかし、いいのか? 君が背負う借金によって、人並みの幸せすら得られなくなるぞ」

「そんなものは、求めてないので」

「まだ世間知らずの若造だな。君はこの先大人になる。当然、好きな人間もできれば結婚して子をなす日もくるかもしれない。しかし、そういった者たちにまで、君の父親の負の遺産を背負わせるのか? それとも、そうさせたくないからという理由で、愛する者を自ら遠ざけるか? 今ならそのどちらもせずに、遠く離れた場所で人並みに暮らしていくことくらいはできるぞ」


 安藤父の強気な口調に、妃や桐生は苛立ちを覚える。

 女子高生相手に、かつて日本を裏で牛耳っているとまで言われた権力者が見せる姑息な交渉。

 まるで人の上に立つ器ではないと、声を上げようとしたときに加佐見がはっきりと。


 しかし安藤父にではなく。

 桐生に向かって、言う。


「桐生君、私が借金だらけの女だったらちゃんと見捨ててくれる?」

「……ずるい女だな、加佐見さんって。ていうか俺、借金まみれの男なんだけど」

「あ、そうだった。ね、二人で働いたらどれくらいかかるかな」

「うちはあと三千万。五千万増えたらそれこそずっと、借金払い続ける人生だな」

「だね。私は、桐生君にそんな負担を背負わせたくない。でも、一緒にいたい」

「そんなもんだよ。俺は五千万円で加佐見さんの人生をもらうってことで、割り切るよ。一緒にいるんだろ? 俺、約束を破る人間は嫌いだから」

「……うん。わかった」


 加佐見は少し目に涙を浮かべて、そっと指で涙をぬぐう。


 そのあと、安藤父の方を見て、笑う。


「ふふっ、この通り借金があっても私、幸せなんです。だから、別にもう何もいりません。私にお金を要求するならどうぞご自由に」

「……君の父親が桐生鹿黒に何をしたか、知らないのだな」

「すべては知りませんが、ひどいことをしたのは後で知りました。桐生君も、それを知っています。私も、隠す気はありません」

「ふむ、その様子だとまだ知らないのだな。君、桐生鹿黒を連れ去って殺したのは誰か、知っているのか?」

「……殺した? なんの話です?」

「この現代日本でいい大人が十年も行方不明で生きているなんて、そんな都合のいい話はなかろう。桐生鹿黒は死んでいる。そして、殺したのは加佐見君、君の父親だ」


 安藤父が話す、あまりに衝撃的な事実。

 それに対し、さすがの妃も動揺を隠せない様子で机に手をつく。


 ただ、桐生はまっすぐ安藤を見たまま。

 何も言えず目を泳がせる加佐見の手をそっと握る。


「桐生君……」

「大丈夫だよ。大体、予想はできていた。それに、どっかで生きてるなんて都合のいい夢物語を期待してはなかったし」

「で、でも……」

「いいから。安藤さん、俺は加佐見の父が俺の親父を殺したってこと、知ってましたよ」

「何?」


 桐生の父が死んでいる事実も、殺したのが加佐見の父だったという事実もまだ誰も受け入れられず動揺する中で、なぜか当事者である桐生だけが落ち着いていた。


 そして、笑った。


「父は望んで死んだ。加佐見さんの父親の借金が、自分が死ぬことでなくなるのならって、そう思って自ら死を選んだんだ」

「な、何を根拠にそんなことを」

「あんたとそう会話したって内容が、父の日記に残ってました。残念だけど、死ぬように仕向けたのはあんただ。そして、親父を殺すように加佐見さんの父に命じたのもあんただっていうなら、殺したのは……お前だよ」


 ここで初めて、桐生は感情をあらわにする。

 怒りを通り超えた呆れ。

 そんな目で、自分より年齢も立場も目上のはずの人間を、見下す。


「……そうか。ならいい。しかしそんな日記が証拠にはならん。私が加佐見に殺しを命令したことだって、今となればどこにも証拠なんて」

「ほんと、安藤一族は脇が甘いんですね。自分の身の保身しか考えていないから、足元を掬われる」


 ポケットから、ボイスレコーダーを取り出す。

 それを見て、安藤父は今までにない動揺を見せる。


「な、ろ、録音してたのか?」

「当たり前だろ。ちなみにここにいる全員がレコーダーは持ってる。取り上げても無駄だ」

「い、いやしかし」

「残念だったな。大人しく会社を明け渡すだけで終わっていれば、殺人罪にまで問われることはなかった。しかし、今度こそもう終わりだ。人殺しを擁護する奴はいない。それにあんたの息子も、一転殺人者の息子になる。今まで俺が味わってきたものの比じゃない日々を送ることだろうな」

「……君は知ってて私を嵌めたのか?」

「さあ、ただ事実を述べたまでです」

「そうか。もう、終わりだな」


 安藤父は、ゆっくり立ち上がると何も言わずそのまま部屋を出て行こうとする。


 その時、妃が声を上ずらせながら問う。


「あなたは加佐見や桐生へ謝罪の言葉もないのですか? 一言くらい、けじめがあってもいいでしょうに」

「ふっ、しっかり者に見えても生徒会長さんも若いな。私のような人間は時に、ルールやマナーよりもプライドを優先する。ガキに頭を下げるくらいなら、死んだ方がマシだ」

「……そうか。なら、地獄の底でもがいてろ、下衆が」


 安藤父は、妃の挑発的な言葉にも動じず、笑みを浮かべたまま廊下へ消えた。


 そして、静寂に包まれた教室で。


 桐生も加佐見も、その場に座り込んでしまった。

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