第16話 ほんとうにそうだったのかな?

 ディグレスさんは屋敷に戻ってきたばかりだというのに、また壁の中の都市へと出発していった。まるでとんぼ返り。


(……私が仕送り渡すの頼んじゃったからかなあ)


 もう少し、のんびりしていてもよかっただろうに。ディグレスさんは人間の文化を面白がっているようではあったけれど、慣れ親しんだ住居を離れて一人異文化で生活するには、苦労やストレスもあるだろう。

 つい、やっと仕送りを渡せる! とはしゃいでしまったけれど、ディグレスさんにもう少し気を遣うべきだったと後悔する。もちろん、自分のためにディグレスさんが急いで両親の元へ向かっていってくれたことは──嬉しいけれど。


 最悪、自分の足であの都市の門まで赴いて、良い顔はされないだろうが、門番になんとかお願いして渡してもらおうと考えていたのだ。パーシー、オルソン、リカルドに念押しはしておいたけれど、はたしてそれが本当に遂行されるかは定かじゃなかった。ディグレスさんになら、安心して頼める。


「……お父さん、お母さん、元気かなあ」


 彼ら二人が調子の良い時なんてない。でも、ただ、生きてさえいてくれればと願う。


「……エミリーも、大丈夫かしら……」


 ディグレスさんに、「ついでに聖女エミリーの噂があったら教えてください」と言おうか、言わまいか悩んで、結局やめてしまった。ただでさえ、わたしのわがままを聞いてとんぼ返りさせてしまったのだし……。


 草原に出て、魔物狩りをしていると、彼女のことをよく思い出す。彼女は今、この草原のどこかに……いいえ、城郭都市の北にある関所を目指すルートを、今もいろんな人を引き連れて頑張っているんだろうか。


 魔王さまや、イージスと一緒に狩りをして、屋敷に戻らずその場でキャンプみたいなことをすることがたびたびある。イージスの調理した新鮮な魔物肉はおいしいし、みんなで外でご飯を食べるのはとても楽しいのだけれど、ふと、こういう温かい料理をエミリーは食べられているのかしら、と気にかかる。


 ご飯を食べるわたしの手が止まっていると、魔王さまはいつもそれに気がついて、わたしを心配そうに見つめてくださっていた。視線を感じて、俯いた顔を上げると、いつも魔王さまと目が合う。


 最初のうちは気まずそうに目を逸らされてしまっていたけど、最近、わたしが頻繁に顔を俯かせるようになってからは、目があった後も魔王さまはそのままじっとわたしを見つめていた。


 きれいな青い瞳は、わたしが自分でも気づかないような、心の奥底までも見透かしてきそうでちょっとドキリとするのだけれど、でも、その眼差しはとても温かで、優しかった。


 魔王さまは、優しい。……と思う。


 本当にこの人が、大昔、人間を侵略しようとして当時の聖女に存在を封印されたのだろうか? と疑問に思ってしまうくらい。

 魔族のところに、しかも魔王さまのところに転がり込むなんて、いくらお金に困っているからって、わたしったらどうなっちゃうのかしらと思っていたけれど、魔王さまもイージスも、ディグレスさんも、魔族はみんな優しかった。ちょっと人間とは感覚が違うのかな、と思うことはあっても、この人たちが、少なくともわたしを害そうとするとは、とてもじゃないけれど考えられなかった。




 ……そういえば。


 ふと、わたしは居間でくつろいでいた魔王さまに尋ねた。


「魔物って、魔王さまの配下だったんじゃないんですか?」

「……ああ、そういう時期もあったな」


 だけど、草原にいる魔物たちは魔王さまのことも襲ってくる。いわば、雇用主に対する反逆だ。


「今の俺には、コイツらを支配するだけの力がない。いわば、野生の魔物とでもいうべきか」

「今はフリーの魔物……ということですね? 魔物からしたら、自分たちの生存圏を侵されたから、防衛のために襲いかかってくる……んでしょうか?」

「自発的に襲っている、というよりもその方が近いだろうな」


 だから、俺にも襲いかかってくるのだと魔王さまは言った。そういう生存本能が強い生き物たち、なのかしら。


「魔物も魔力を糧として生きている。俺が魔王だった頃は、自分の魔力を分け与えることで奴らを従わせる契約をしていたんだが……もうアイツらを制御できるほどの魔力が今の俺にはない」

「……家畜として飼っている魔物もいますよね?」

「ああ。アレが今の俺の精一杯だな」


 魔王さまは屋敷の近くに家畜小屋を構えていて、そこに牛や鶏と似た姿の魔物を飼っていた。彼らはおとなしくて人間のわたしが近づいても攻撃してきたりしないいい子たちだ。

 あの子たちは魔王さまと魔力で契約しているから大人しいのね。


「魔物が人間を襲うようになったのは、俺が力を失ったからだ」


 ぽつりと、魔王さまが口を開く。


「俺の力による支配がなくなり、自由になった魔物が無秩序に人間を襲っているだけだ。とはいえ、魔物からすれば、自分の縄張りをズケズケと荒らされて、自己防衛のために襲っているに過ぎない。別に、魔物に人間を積極的に襲う習性はない」

「魔王さまにも襲いかかってくるくらいですもんね」


 わたしが言うと、魔王さまは頷いた。『人間』という種族だから、という理由で人を襲うわけではない、らしい。


「……あの、魔王さまが支配されていた時の魔物って……」

「……わざわざ人間を襲わせるなど、そんな面倒な指示は出していない」

「……」


 もしかして、魔王さま。そして、魔物たちって。


(……別に、本当は悪いことってしてきてないんじゃ?)


 そんな憶測が、ぽっと胸に湧いてきた。


 だからなんだ、どうした、ということもないんだけど、そうだったらいいな、と思う。


 でも、もしもそうだったなら、どうしてこの人たちはわたしの国で凶悪な存在として語られてきたんだろう、というのは疑問だけれど。


「……どうした?」


 魔族って悪い人たちじゃなかったんじゃないかな、と思って顔をにやつかせたり、なんでその人たちが悪く言われているんだ? と思ってしかめっ面したり、一人で忙しなくコロコロ表情を変えているのを、魔王さまが怪訝な顔で見ていた。


 整った眉を下げ、本当に心配そうに顔を覗き込んでくださっている。


「あ、いえ、色々、考えちゃって」

「そうか」


 魔王さまは少し目線を彷徨わせて、なんだか難しい顔をされていた。


「……メリア」


 逡巡する様子を見せていた魔王さまは、やがて低い声でわたしの名前を呼ぶ。


「……おまえには、言わなくてはならないことがある」

「? はい」


 どうしたんだろう、ときょとんと答えてから、わたしはハッとする。


(ままままままま、まさか、クビ!?)


 あり得る。だって、ろくな仕事をしてきてないのだ。そのわりにちゃっかり、今月分の給料はしっかりもらってしまった。

 クビ、のちの追放かもしれない。


 魔王さまに追い出されたら今度こそ、どうやって両親の仕送りのお金を稼げばいいかわからなくなってくる。こうなったら、草原を歩くあくどい商人や違法な傭兵に声をかけて闇社会をズブズブになるしかない! かもしれない。


 唾も飲み込めないほど緊張したわたしの顔を魔王さまがじっと見つめる。普段はそんなこと思わないのに、恐怖心から整ったきれいなお顔が今は威圧的に見えてしまう。


「メリア。お前には特別な力がある。だから、これから俺たちがやろうとすることに協力してもらうことになる」

「え……あっ!!! はい! 喜んで!!!」


 クビじゃ、なかった!!!


 ホッとするあまり、声が大きくなる。顔を輝かせたわたしとは対照的に魔王さまの表情は重々しいままで、わたしは首を傾げる。


「魔王さま?」

「お前は、自分が持っている力の正体を知っているのか?」

「いいえ……。聖女と、呼ばれてましたけど、本当の聖女は他にいましたから……。自分でも、この力が何なのか、サッパリです」


 本当は、きっと、『魔力』なんだろうとは思っているけど、でも、なんで自分に『魔力』があるのかはわからない。

 魔王さまの青い瞳が窄められる。


「お前は、王の命でここを訪れたわけではないのだよな」

「まさか! だってわたし、王太子殿下直々に国外追放されたんですから!」

「そうか。……いや、そうだったな」


 何かを、確認されようとして魔王さまは張り詰めた声でわたしに言った。

 わたしが否定すると、こわばった顔をしていた魔王さまは、ようやっと瞳を柔らかく細められて、優しい声をあげた。その声の響きに、わたしもなんだかホッとする。魔王さまの、こういう顔とお声、好きだなあ、と。


「……ディグレスが戻り次第、今後の話をさせてくれ」


 魔王さまのオーダーにわたしは「はい」と力強く答えて頷いた。




「──おーい!!! ロイドー! メリアー!!!」


 と、ここで、居間にまで響き渡るほどおおきな音を立てて玄関の扉がバン! と開かれ、イージスの大きな声が屋敷中に轟いた。


「なんかさー、落ちててさー! おーい!!!」


「……アイツは。騒々しいな」

「どうしたんでしょうね?」


 魔王さまと二人、顔を見合わせて、イージスの声がする玄関まで向かう。


 そこで、イージスの片手に握られたソレを見て、わたしはギョッとする。


「コイツ、外に落ちててさぁ。メリアも面白かったじゃん? なんかとりあえず拾ってみたんだけど」

「……イージス。人間を簡単に拾ってくるな……」


 尖った犬歯を見せながら大きく笑うイージスに、魔王さまはため息混じりに頭を抱えた。

 そう、人間。イージスが拾ってきた……というのは、人間だった。


 ただの人間ならわたしもこんなにびっくりはしないんだけど。


「……王太子殿下……?」


 わたしを追放した、壁の中の国の王子さまが、イージスに首根っこ掴まれてボロ雑巾のような姿でそこにいた。

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