第15話 思うままにならぬ
メリア。
王宮にて、『聖女』として勤めてきたという少女が自分の元に訪れて、しばらく経つ。
元来、明るい性格なのだろう彼女はよく笑い、細やかなことによく気がついた。陳腐な表現であるが、彼女がいると、場が華やぐ。
「魔王さま! おはようございます!」
俺の朝は彼女の声と共に訪れる。目を開けば、ニコリと笑う彼女。
(……かわいい……)
反射的に、脳が彼女を『かわいい』と認識する。魔力回路もさながら音を立てながらの勢いで稼働し、魔力が身体中に巡る。実際に音が出るわけはないのだが。
『かわいい』という感情で脳が支配されて惚けている俺に、メリアはニコニコと笑いながら色々と話しかけてくる。顔も可愛らしいが、声も可愛らしい。少し舌足らずな『魔王さま』という響きもよかった。
幸いなことに、表情筋が固い俺はいわゆるポーカーフェイスというやつなのだろう。内心でそんなことばかり考えているとは、彼女は思っていないはずだ。
彼女がここを訪れた次の日、眠る俺を彼女が起こした。まさか俺が起きるとは思っていなかったらしい彼女が掛け布団の端っこを持ちながらびっくりしていた顔はよく覚えている。かわいかった。
何か仕事をさせてくれと求める彼女に思わず「毎日起こしてくれ」と言ってしまったのは、自分でもどうかと思うが、しかし、毎日目覚めと共に彼女の顔が見られることはとてもよかった。メリアもイキイキと起こしに来てくれるから嬉しい。
──彼女がいれば、自分は魔力が無くなることを恐れなくてもいいし、眠ったまま二度と目覚めが訪れない心配をしないですむ。
毎日、夜に眠り、朝に起きる生活をできるようになるとは、思っていなかった。
本当は、彼女のことは警戒すべきなのだろう。
まさか彼女を、あの壁の中に引きこもる人間たちが手放すなど、考えられない。よほど阿呆なのか、それとも罠か。考えるべき可能性は、後者の方だろう。
こうして彼女を潜り込ませて、油断をさせて、もう一人の、本物の『聖女』を使ってもう一度封印を試みているのかもしれない。
もう少し、彼女の動向を見守るべきだ。そう思いながら、ふと彼女の顔を見る。
しっとりとした艶を持つ栗色の髪、小さな頭、白い肌。大きな蜂蜜色の瞳。目が合うと小さな唇がにこ、と微笑む。
(……かわいい……)
魔力回路はざあっと音を立てながら身体中を駆け巡り、その激しさに心臓は高鳴らせられていた。思考は霧散した。
間抜けのようにただひたすらと、彼女を『かわいい』と思ってしまうのは、きっとこの早鐘のせいなのだろう。頭が正常に動いていない。
彼女に対して体がこういった反応を示すのは、あくまで彼女の身に宿された力によって魔力回路が活性化するからに過ぎない。
もっと冷静に彼女を観察し、警戒すべきだと分かっているのだが、いざ彼女の微笑みをみると、声を聞くと、脳みそが勝手に『かわいい』で支配される。
数百年封印されているうちにボケてしまったのかもしれない。
しかし、そのうちに、この錆び付いていた魔力回路が『これくらい魔力が巡っているのが普通なのだ』と認識できるようになれば、この支配は解けるだろうと期待していた。
そうではなかったら、困るのだ。
この間、彼女を宝物庫に連れて行ったときは危なかった。
彼女が自分の胸にふらついて、飛び込んできたのだ。
抱き留めた体の小ささと柔らかさが忘れられない。今でも彼女の姿を目にすると、ふとフラッシュバックする。
胸元から、自分を見上げるメリアのかわいらしさが目に焼き付いている。
はあ、とため息をつく。
傍らにいるメリアが小首を傾げた。
その仕草もまた、かわいらしく、また悩ましいのだった。
◆
「……メリアにあの服を着せたのはお前の入れ知恵だろう、ディグレス」
「おや、何か不都合でも?」
しれっとした態度でディグレスは眼鏡のフレームを軽く曲げた人差し指で上げた。
「なんでも、我が王は彼女に侍女的なお役目をしていただいているということでしたので。ふさわしい衣装をご紹介したまでですが」
「……何も、『侍女』にさせているわけじゃない。服なんて、なんでもいいだろう」
「……でも、かわいらしかったでしょう?」
レンズの向こうで金色の目を弧を描くように細めながら、ディグレスは微笑んだ。
それは当然、かわいらしかった。メリア自身がかわいいのだから、それは当たり前だ。かわいい女の子がかわいらしい服を着ていれば、『かわいい』のは必然だ。己のしかめっつらをニヤニヤと狐のような顔で見守るディグレスが子憎たらしい。
「ふふ、お気に召していただけたようで」
「……俺の彼女への好感度を上げてどうするんだ。完全なる余計なお世話だぞ」
「おや、そういえば、確かに。彼女の我が王への好感度上昇には貢献していませんでしたね……」
ため息混じりに言えば、ディグレスが目を丸くして手をポンと叩いた。さも、今気づきました、とばかりに。それが本当にそうなのか、いい加減なだけなのかはよくわからない。この男の考えは配下ながら、いまいちよくわからない。
「まあそれは次への反省に活かしましょう。まだ魔王さまの春は始まったばかりのようですからね」
「……お前は思い違いをしているようだが、俺のコレはそういうのではない。彼女が側にいることで、魔力回路が活性化した結果心拍が上昇しているだけのことだ。ディグレス、お前もそうだろう?」
「そうだろう、というのは、魔力回路の動きのことですか? それはそうですが……。別に私は彼女に胸のときめきは覚えませんが」
「……だから、俺も彼女に対してそういう感情があるわけではない。身体の反応がそういった感情がある時と似た反応を示すものだから、脳が混乱しているだけだ。それで彼女に好意があるだとか……そういう風に捉えて考えてしまうのは、彼女にも失礼だし、よくないだろう」
「なるほど。よくご自身のことを分析なされているのですね」
ディグレスは頷きながらも、小さく首を横に振った。
「……魔王さま。人間たちの歌劇では、もっぱらこのように歌われます。春は、気づいたときには去ってしまっているものだと」
「……つまり?」
「春の命は短いのです。魔王さま。あなたの春が、あなたがお気づきになるまで、長い間続きますようにと私は願います」
ずっとしかめていた眉をさらに吊り上げる。言いたいことはわかるが、なぜそれを俺に言うのかがわからない。彼女を目にしたときに起きる己の反応は、そういった感情に起因するものではないのに。
「……春を長引かせる。そのためと思えば、今回のメリアさんのドキドキ♡ いつもと違う仕事着でときめき大作戦♡も間抜けな失策ではなかったと取れますね」
「お前は……。いや、まあ、いい。もう面倒だ」
ディグレスは大真面目な顔と声で、なぜだか胸を張って狂言じみたことを言った。この男は忠臣ではあるのものの、少し変だ。しかし、変なのは今に始まったことではない。もういい、放っておいて、好きなようにさせておこう。
「ディグレス、今すぐあの国に行って、メリアの両親に仕送りを渡してやってくれ」
「……? よろしいのですか? もう少し、今回の潜入の方針など決めなくても……」
「構わん。メリアが両親のことをとても気にしているんだ。まずは彼女を安心させてやりたい」
「……ええ。もちろん、承知いたしました」
なんだか含みのある笑顔に、いい気はしないが、その文句は呑み込んだ。
「ついで、とは言ってもなんだが、もしも両親に直接会えるようだったら、彼らの様子を確認してくれないか」
「それは……構いませんが、なぜ?」
「メリアは病気と言っていたが、俺はおそらく、違うのだと踏んでいる」
ほう、とディグレスは口元に手をやり、ギラギラ光る金色の瞳で俺を見上げた。
「メリアが生まれてすぐ母が倒れ、その看病をしていた父もまた、病床に臥したらしい。メリアはもう十七歳だ。……十年、いや、もっと長い間ずっと治りもせず、しかし、死にもしない病魔というのには疑問がある」
「……そうですね。この国における医療の技術はさほど高くはありません。いかに手厚く看護されていようと、十年以上も病にかかりきりであれば、体力の低下は免れず、すでに死を迎えている方が自然でしょう」
「俺の推測だが……おそらく、彼女の両親は病気ではない。『呪い』がかけられている」
「……なるほど」
ディグレスは眼鏡の縁をクイ、と持ち上げた。
「しかし、私も魔力を失い、この瞳はポンコツです。ですので、あくまで経験と知識による判断になることはお許しいただきたい」
「ああ。『千里眼』で見ずとも、病気か呪いかくらいはわかるだろう?」
「それは信頼されているのでしょうかね? 我が王からのプレッシャー、しかと受け取りましたとも」
胸に手を当て、ディグレスは恭しく礼をした。
「……ディグレス。お前が戻り次第、今後の方針を決める。すでに同胞はほとんどが死に、今さら『国』などはどうでもいいが……。彼女の問題は、解決してやりたい」
「……魔王さま……あれほど、面倒くさい、もう勝手にさせとけ、どうでもいいとばかり仰っていたのに……!」
ディグレスがよよ、としなを作りながら大仰に驚いてみせる。
メリア。彼女はおそらく、あの国の仕掛けてきた罠では──ない。彼女は自分自身が何者なのかも知らないのだろう。醜悪なほど卑しく、浅ましいあの国と、そして自分たち魔族の被害者だ。救うなどと言うのも烏滸がましいが、今まで彼女を縛りつけ、一方的に奪われた居場所くらいは返してやりたい。
そして、今度は彼女が自由に生きていけるように場を整えてやるくらいのことはしてやりたい。自分たちには、それができるのだから。
(……俺たちが力を取り戻せば、あの『結界』だけは厄介だが……)
魔族であるディグレスがあの結界に阻まれずに壁の中に侵入できるのは、彼が魔力を失ったままであるからだ。正確に言えば、生命を維持する最低限の魔力だけは残っているのだが、結界に阻まれるほどの脅威と認識されていない。
だが、あの国の罪を暴くには力を取り戻すことは必須だろう。自分とイージスはともかく、最低でもディグレスには『千里眼』を取り戻してもらわなくてはならない。
思案に耽っているところを、ぽんと肩を叩かれた。どうしたんだ、と怪訝な目を向ければ、ディグレスがレンズの向こうで目を狭め、ニヤニヤと涙袋を膨らませていた。その表情に、反射的にげんなりする。
「……魔王さま。よいですか、人はそれを春と呼ぶのですよ」
「……お前、結構しつこいよな……」
今、彼に伝えたことのどこに『春』があったのか、全くわからない俺は、ただ眉を寄せて彼の生暖かい笑みを見つめるしかなかった。
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