4-24 羊と王(1)
ギジェルミーナとイェレが結婚してちょうど一年がたった晩夏のある夜、グラユール王国の城では豪華な晩餐会が開かれた。
オルキデア帝国の内乱から距離をとることに成功したグラユール王国は、国境はともかく王都は平和で、城には大勢の貴族たちが招かれて来た。
闇深い新月の、星空の美しい夜が城を包む。
その宵の暗さを打ち消すように水晶のシャンデリアが輝く大広間には、豪勢な料理の載った真っ白なテーブルクロスのかけられた食卓がいくつも置かれていた。可能な限りの贅を尽くした食卓を前にした客人たちは、立派な背もたれのついた椅子に腰掛けて、王国の平和を祝福する。
「グラユール王国の平安が末永く続き、イェレ国王陛下とギジェルミーナ王妃殿下のご結婚がいつまでも幸せなものでありますように」
一年前の婚礼の儀式でも祝いの言葉を述べていた貴族の代表格の青年が、堂々と胸を張って声を張る。
ギジェルミーナとイェレはその大広間の前方の、一際華やかに花で飾られた食卓に二人で並んで着席していた。
隣でにっこりしているだけのイェレの代わりに、ギジェルミーナは青年に応えて杯を掲げた。
「グラユール王国に、永久の栄光を」
ギジェルミーナの凛々しい祝辞が、大広間の丸天井に朗々と響く。
その声を合図に「乾杯」と口にして、正装で着飾った客人は次々と杯を空にした。
「かんぱい、ギジェルミーナ」
イェレも慣れない手付きで、ギジェルミーナに杯を近づける。
「乾杯。イェレ国王陛下」
自分の杯をイェレの杯に軽く触れ合わせると、ギジェルミーナも中のワインを飲み干した。
豊穣な香りが広がり、心地の良い冷たさがのどを通る。グラユール王国特産の白ブドウを使ったワインは口当たりがしっかりとしているのに、湧き水のように澄んで飲みやすかった。
(私は美しい姿には生まれなかった。でも私はきっと、世界で一番美しい王と並んでいる)
ほろ酔いになったギジェルミーナは、誇らしげに横を見る。
卓上の華燭に照らされたギジェルミーナとイェレは、同じ藍地の
イェレは地面を引きずる長さの
涼やかな目元に、弓なりの眉。鼻筋の通った顔立ちに、形の良いあご。何も言わずに微笑んでいれば高貴で麗しいイェレの美貌に、ギジェルミーナは見惚れている。
一方でギジェルミーナは、胸元の金細工のブローチで留めて広げた藍色のローブの下に、青く小さなリラの花の文様が織り込まれた白地のドレスを重ねて着ていた。地味な顔にはやや濃い目の化粧を施し、黒髪は編み上げて額は宝石のついた鎖で飾る。耳にはもちろん、イェレに贈ったものと同じ形のルビーの耳飾りをつけた。
「どれからたべたらいいのか、わかんないや」
ワインを飲んで頬が淡く赤くなっているイェレが、たくさんの料理が並んでいる食卓を見つめて迷う。
ひよこ豆とセロリのサラダの載った大皿に、ポロネギのスープが入った器。オーブンから焼き立てで運ばれてきたじゃがいもの肉詰めに、薄く切ったパンの添えられた豚肉のリエット。
薄紫色の花で飾られた食卓には、城の料理人が腕によりをかけて作ったイェレの国とギジェルミーナの国の献立が、たっぷりと用意されている。
「ワインとよく合うので、まずはリエットはどうでしょうか」
ギジェルミーナはまず、取っ手のついたココット皿に入ったリエットに手を伸ばした。リエットは豚肉を煮込んで作ったペーストのことで、その白練色には刻んでふりかけられたバジルの緑が映えている。
ギジェルミーナはペーストに突き刺してあった木のヘラを手にして、二枚のライ麦のパンの薄切りに塗った。一枚は自分のためで、もう一枚はイェレのためである。
「うん、しょっぱくてワインがおいしい」
リエットを塗ったパンをもらうなり、イェレはすぐにかぶりつき、ワインの入った杯を手にした。
空になった杯には、給仕の少年がすぐに
(これと一緒にワインを飲めば当然、良いものになるに決まっているだろう)
ギジェルミーナはイェレよりもよく味わって、ゆっくりとリエットを塗ったパンを口にした。
煮込まれた肉の繊維が確かな塩気とともにほろほろと崩れて、その濃厚な味わいをライ麦のパンの酸味が支える。
切った後にさっくりと軽く焼かれたパンの熱で脂が溶け、豚肉の旨味がよりまろやかに広がるのが美味しくて、ギジェルミーナはそっと舌を転がした。
(元々美味しいワインが、より美味しくなるな)
肉の後味とワインの風味が重なるように、ギジェルミーナは時間をかけて杯を傾ける。濃い塩味のついた白身の豚肉には、しっかりとした味わいの白ワインがよく合った。
それからギジェルミーナとイェレは、もう二、三枚のパンにリエットを塗って食べた。リエットを前菜に思う存分ワインを飲んだところでやっと、他の料理に手をつける。
「このスープ、やさいがやわらかくてすき」
「卵の揚げ物も、中の具が凝っていて美味しいですよ」
好きな料理を、好きなだけ食べて言葉を交わす。
イェレの言った通り、スープはポロネギやにんじんなどの野菜が食べやすい大きさに切って煮込まれていて、どの具もやわらかいのに鮮やかで濃い自然の味がした。
鶏がらの風味が香る山吹色のスープを匙ですくって飲めば、野菜の旨みが溶け込んだ美味しさは優しくて温かい。
きつね色の衣が香ばしい卵の揚げ物は、半分に切ったゆで卵にパン粉をつけて揚げたものである。黄身の部分は角切りの塩漬け肉とホワイトソースを混ぜて詰め直されていて、ナイフで切るととろりと淡黄の中身が姿を見せた。
ギジェルミーナは切った揚げ物からソースがこぼれないように注意して、フォークに刺して口に運ぶ。
思ったよりも揚げたてだった卵はまだ熱く、上等なバターと牛乳でできたなめらかなソースが弾力のある白身と香ばしい衣を包む一口にはなんとも言えない妙味があった。
「ギジェルミーナといっしょにたべると、なんでもおいしい」
挽き肉の入った皮付きのじゃがいもを平らげながら、イェレが明るい声で話しかける。
ギジェルミーナは口の中いっぱいに揚げ物を頬張っていたので、無言で微笑んでイェレに応えた。
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