4-23 平和な国
急逝した皇帝アルデフォンソの後を継いだのは、領土を広げることに熱心だった兄に比べると穏健な政治を好む弟エルベルトだった。
新皇帝エルベルトの意向によって、オルキデア帝国とユルハイネン聖国の戦争は急速に終結に向かい、最終的には二国間の講話が結ばれる。
国力の劣るユルハイネン聖国が戦争を続けることは難しかったので、オルキデア帝国の皇帝の姿勢が変われば和平はあっさりと成立した。
戦争の終結に従って、周辺の国々の状況も変わった。
グラユール王国の内乱も二つの大国の戦争を背景にしたものだったので、その対立が解消されてしまえば争いも自然と収まっていく。ユルハイネン聖国からやって来た扇動者が目的を失って姿を消せば、農民たちは素直になって王都から派遣した使者との交渉に応じた。
交渉が成功するまでの、時間稼ぎの小競り合いで負けずにすんだのも幸いである。
こうしてグラユール王国は、イェレを玉座に据えたまま、何とか平和を取り戻した。
「だがオルキデア帝国は、逆に混乱しているようだな」
「はい。エルベルト様を皇帝と認めない方々が現れて、内乱が始まってしまいましたから」
城を背にして庭園に立ち、ギジェルミーナは再会したカミロに尋ねる。
オルキデア帝国の様子を見聞きしてきたカミロは、ギジェルミーナに自分の知っている情報をまとめて伝えた。
呑気で面倒くさがり屋の男であるエルベルトは、皇帝として尊敬される人物ではなかった。そのため今のオルキデア帝国は、新皇帝エルベルトを支持する勢力と、前皇帝アルデフォンソの遺児を担ぎ上げる勢力、そして自らが皇帝になろうとする有象無象の皇族出身者の勢力に分裂し、争っている状態であるらしい。
(まあオルキデア帝国も、大きくなりすぎたのかもしれないな)
カミロの報告によって現状を見通したギジェルミーナが、無責任な感想を抱く。
内戦の発端を作ったのは確かにギジェルミーナなのかもしれないが、ここまで大きな争いになると自分が原因であるという実感もわかない。
良くも悪くも兄を殺したことによって、世界を変えた。その達成感は確かにある。
しかし同時に、結局自分は大きな歴史のほんの一部でしかないのだと、自身の身の小ささも感じる。
侵略した土地で成り立つ大帝国は、いつかは分裂して崩壊する。以前歴史の本で読んだ気がする原則が、たまたま今起きただけなのだとも、ギジェルミーナは思った。
「ここまでよく働いてくれた。お前は戻らずに、しばらくこちらで過ごせ」
一通り話を聞いたギジェルミーナは、ここまで裏切ることなく従ってきたカミロを労った。内乱中のオルキデア帝国には戻りたくないだろうと考え、気を利かせてグラユール王国での滞在も命令する。
「ありがとうございます。かしこまりました」
丁重にお礼を言って、カミロはギジェルミーナにお辞儀した。
カミロは今のオルキデア帝国で流されている血の多さを知っており、その混乱の起点にはギジェルミーナがいることを、暗殺の命令を受けた者としてよく理解していた。
だからその瞳は何かを言いたげにしていたが、結局カミロはギジェルミーナを批判せずにその場を去る。
カミロと別れて庭園に残ったギジェルミーナは、深く息を吸った。
庭園のいたるところでは木苺が赤く実り、遠くでは一人の使用人の少女が果実の収穫をしている。ギジェルミーナはその風景を眺めながら、もう一度祖国のことを考えた。
(オルキデア帝国は世界で一番強大な国であったからきっと、一番恨まれている国でもあった。だからこの世界のどこかで虐げられていた誰かは、オルキデア帝国の崩壊を望んでいたんだろう)
ギジェルミーナには、戦争や貧困の悲惨さを知る機会がなかった。だが自分が手に入れている豊かさの裏にある犠牲を、多少は想像できるくらいの知性は持ち合わせている。
隣国を焼いていたはずの炎が自国を焼き、謝肉祭で立場の上下が反転するように、大国だったオルキデア帝国が分裂していく。
おそらく帝国の繁栄の犠牲となった大勢の者たちは、いつか帝国の民も不幸になるよう、呪い続けていたはずである。その願いは叶えられ、今のオルキデア帝国は戦火の中にあった。
ギジェルミーナの頬を、生暖かい初夏の風が撫でる。
なぜかそのとき、ギジェルミーナの脳裏には、ぼろぼろの服を着ている赤毛のやせた少女の姿が思い浮かんだ。十二、三歳くらいに見える幼い少女は、石の床にしゃがみこみ、手を合わせて必死に何かの偶像に祈っている。
ギジェルミーナはその少女は、オルキデア帝国を呪う犠牲者の一人なのだと理解した。
(だけどそれは、私には関係のないことだ)
考えることが煩わしくなったギジェルミーナは、木苺の熟す庭園に背を向けて城の室内へと戻る回廊を歩き出した。
ギジェルミーナは王を殺したいから殺しただけで、別に平和を望んでいたわけでも、戦争を望んでいたわけでもなかった。
根からの善人ではないギジェルミーナは、自分が良い統治者である必要性を感じていない。だから自分と無関係ではない問題を投げ出し、突き放しても、良心が痛むことはそれほどなかった。
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