4-17 約束
反乱発生から、数週間後。
ギジェルミーナの雑な期待に反して、交渉をしても反乱は続き、反逆者たちは勢力を広げて王都に近づいている。
しかしそれでもギジェルミーナは、本当の意味では危機感を抱かずにいた。
(元はと言えば、この反乱の原因はオルキデアとユルハイネンの戦争にある。だから兄上に頼んでオルキデアの軍を送ってもらって、ユルハイネンの息がかかった反逆者たちを蹴散らせばいい)
長兄アルデフォンソに書簡を送るため、朝食後に自室の書記机を前にしてペンをとる。
可愛げのない妹であるギジェルミーナは、アルデフォンソに愛されてはいない自覚があった。しかしまた同時に、自尊心が強い長兄は妹が反逆者に殺されることを許さないだろうとも踏んでいた。
自分を優秀だと驕っているわけでもなく、無能だと蔑んでいるわけでもないギジェルミーナは、身内に頼ることを恥とは思わない。だから祖国を頼るのは、当然の選択だった。
(グラユール王国に軍を差し向けることは、オルキデア帝国の防衛のためにも必要であるはずです……、と。文章はこんな感じでいいだろう)
上等な羊皮紙に深い褐色のインクを使い、ギジェルミーナは書簡をしたためた。
書き上げたところで、ドアをノックし年若い侍女が入ってくる。
侍女はギジェルミーナがペンを手にしているのを見ると、邪魔をしたのかもしれないと謝った。
「申し訳有りません。お仕事中でしたか」
「ちょうど終わったところだ。用はなんだ」
ギジェルミーナはペンを置き、侍女の方を向く。
すると侍女は困り果てた様子で肩を落とし、ギジェルミーナに助けを求めた。
「あの、陛下がお目覚めになったのですが、また何もお召し上がりにならないと言っています」
侍女が話すのは、やはりイェレのことである。
イェレは風邪か何かをひいたようで、今朝はギジェルミーナが起こしても調子が悪いと言って寝ていた。
最近はギジェルミーナの不在時にイェレが機嫌を損ねる機会は減っていたのだが、やはり不調時には扱いが難しいのだろうと思われた。
「わかった。今行こう」
書き終えた書簡を引き出しにしまい、ギジェルミーナは立ち上がって部屋を出た。
そして侍女を廊下に残し、夫婦の寝室に入る。
イェレは綴織のカバーのかかった毛布を被ったまま、背を向けてベッドで横になっていた。
こちらからは起きているのかどうかわからなかったが、侍女が言うからには目は覚めているんだろうと考え、声をかける。
「おはようございます、陛下。今日は気持ちがいい天気ですね」
そう言ってから窓の外をみると、どんより曇っているわけでもないが、まっさらに晴れているわけでもない微妙な天気だった。
猫のように身体を丸めて寝ているイェレは、何も言わない。
侍女が掃除はしてくれた清潔感のある部屋を見ると、近くの丸テーブルには軽めの朝食が一式載っている。
そのうちのまだ冷めてはいないスープ皿を手にして、ギジェルミーナは再び話しかけた。
「このスープ。私も朝食に食べたのですが、大麦が入っていて美味しいですよ。一口だけでも、どうですか」
ギジェルミーナはイェレの近くに寄って、ベッド脇の椅子に腰掛けた。
そこでやっとイェレは、毛布の中からかすれた小さな声を発した。
「……でもこのしろに、こわいひとたちがくるんでしょ?」
イェレは風邪で気が弱くなっているのか、反逆者たちを妙に怖がっている。
「来ませんよ。そうなる前に、私の祖国の軍を呼びますから」
祖国に頼れば万事問題はないと考えているギジェルミーナは、無駄に自信を持ってイェレの不安に答える。
しかしイェレはその返答では安心できず、寝返りをうって毛布から顔を出し、熱で潤んだ水色の瞳でギジェルミーナを見つめた。
「だけどもしも、ギジェルミーナもしんじゃって、ぼくがまたほんとうのひとりぼっちになっちゃうなら……」
幼いままでいることで生き延びたイェレは、そのたどたどしい言葉の続きを言えない。
だが少なくともイェレよりは大人のギジェルミーナは、イェレが望んでいることをわかっていた。イェレはギジェルミーナが死んで再び一人になる日が来るのなら、そうなる前に殺してほしいと頼んでいるのだ。
(イェレは私に、殺されたがっている)
不憫な王の懇願は、ギジェルミーナに憐憫の情を抱かせると同時に、仄暗い喜びも与える。
伝える言葉も奪われながらも死を望む、小動物のような青年の弱った姿を、ギジェルミーナはどうしようもなくいじらしいと感じた。
だからイェレの赤い頬に、手を添えた。
「私はあなたよりも先に死にませんよ」
撫でた頬はやはり熱があるのか、冷えたギジェルミーナの手には熱かった。
しかしその冷たさが心地よいらしく、イェレは辛そうな表情をかすかにゆるめる。
「うそじゃない? やくそく、してくれる?」
「はい、誓います。私はあなたより長く生きます」
念を押すようにイェレは、ギジェルミーナを凝視する。
その眼差しを受け止める言葉は、自然とすらすらと口をついて出た。まるで詐欺師のようだと、自分でも思う。
ギジェルミーナは理由もないのに、自分もイェレもすぐには死なないと信じていたし、自分は誰より長く生きる気持ちでいた。
だがその適当な誓いにすっかり救われて、イェレは素直に微笑んだ。
「じゃあ、スープもたべる」
もう酷い目にあわずにすむなら、生きて食べてもいいのだと、イェレはギジェルミーナが手にしているスープをせがんだ。そして雛鳥のように口を開けて、餌を待つ。
「はい。食べて元気になったら、二人でどこか遠出をしましょう」
ギジェルミーナはイェレに生きる許可を出す気持ちで、匙を手にしてほどよく冷めたスープを与えた。
手にした皿からは、スープに使われている牛乳の甘い匂いがしていた。
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