4-16 農民たちの反乱
例年通りなら謝肉祭は一週間続いて終わり、日常が戻るはずだった。
しかしその年のグラユール王国は例年と同じではなかったらしく、ギジェルミーナは祭り明けの眠りをドアのノックによって妨げられる。
(夜明け前に、一体何だ)
ギジェルミーナは安らかな寝顔で眠っているイェレを起こさないように毛布をのけて起き上がり、ベッド脇にかけてあった上着を不機嫌に羽織った。
窓の外はまだ暗くて何も見えず、よほどの急用でなければ人を起こさない時間に思える。
完全には目を覚ませない暗闇の中、内履きを何とか見つけてドアへと移動して開ければ、外にはヘルベンが立っていた。
「王妃様。伝令からの急ぎの報せです。大変なことが起きました」
ヘルベンは深刻そうな顔色で、いつもとは違う早口だった。普段はきちんと着ている黒い高襟の
その焦った様子からただ事ではないとわかったギジェルミーナは、小声でヘルベンに指示をした。
「わかった。イェレが眠っているから、隣の部屋に」
音を立てないようにそっと外の廊下に出て、ギジェルミーナは隣の部屋を開ける。
ヘルベンは黙って頷き、ギジェルミーナに従って隣室に入った。そこは寝室と同じように、明かりの消えた暗い部屋だった。
寝癖のついた髪を手ぐしで直し、ギジェルミーナは改めてヘルベンに向き合う。
ドアを閉めて振り返るとヘルベンはまた、切羽詰まった様子で話し出した。
「謝肉祭中の国境沿いの農村で重税に抵抗する反乱が起こり、千人単位で人が集まっていると報告が来ています。彼らは都市を襲って領主を焼き殺し、今後は王都へ進軍すると言っているそうです」
そのまま続くヘルベンの報告を、ギジェルミーナはじっと聞いた。
突然で理解できないことばかりであったが、ヘルベンの顔色の悪さを見れば事態の危うさだけはすぐに実感できる。
(あ、そうか。殺された領主とは、あの以前に謁見室で会った中年の男か)
ヘルベンが挙げた名前に聞き覚えがあったギジェルミーナは、それが誰であるかに気づいて暗い気持ちになった。
その土地で行われた謝肉祭では、人形ではなく本物の支配者が焼き殺され、上と下の立場が反転していた。
「いやだが、なぜそんな大規模な反乱が起こるんだ」
ギジェルミーナは誰に責任があるのかを掴めないまま、とりあえずヘルベンを問いただす。
反逆者たちの勢いが強いことはわかったが、そうした事態を招いた原因はよくわからない。
余所者のギジェルミーナよりは事情がよく見えているヘルベンは、反乱の背景についても的確に情報をまとめた。
「ユルハイネン聖国から流民が流入しているという話がありましたが、その一部に扇動者が混ざっており、都市に住む貴族に対する農民たちの憎しみを煽ったようです」
流民が争いの種を作ったというのはよく考えてみれば予見できてもよかったはずの事情で、説明されればギジェルミーナも深く納得した。
(アルデフォンソ兄上が気をつけろって言っていたのは、こういうことだったのか)
ユルハイネン聖国から間者が来ていないか注意しろという祖国の兄の忠告を思い出し、ギジェルミーナはもっと真剣に対処しておけば良かったと後悔する。
「では、反逆者たちを操る者の目的は……」
「おそらくオルキデア帝国寄りの王権を排除し、ユルハイネン聖国にとって都合のよい存在に王をすげ替えることでしょう」
夜明け前の暗闇の中で、ヘルベンは静かに答えた。
ヘルベンが言わなくても、ユルハイネン聖国の狙いはギジェルミーナにも見えていた。
オルキデア帝国とユルハイネン聖国の戦争は長年続き、その影響は周辺国にも及んでいる。ユルハイネン聖国はグラユール王国をオルキデア帝国の影響下から外すことで、戦況が有利になることを期待しているのだろう。
北のユルハイネン聖国は歴史の古い大国だが、南のオルキデア帝国に比べると貧しく弱い。だからこうして小手先の策略でごまかすのだと、ギジェルミーナは思う。
だいたいのことを把握したところで、ギジェルミーナは長椅子に座り頬づえをついた。
「グラユールの軍は、扇動された民に対処できるのか」
ギジェルミーナが率直に尋ねると、ヘルベンも正直に答える。
「反逆者は重税の免除を掲げてますから、交渉でごまかすことは可能かもしれません。しかし、武力で鎮圧するのは難しいです」
ヘルベンは即答で、グラユール王国の軍隊はあまりに役に立たないと打ち明けた。しかしその答えはまったく希望がないわけではなく、現実的な解決策を指し示している。
その提案に素直に従い、ギジェルミーナは声だけははっきりと響かせて指示を出した。
「ではまずは、最初に反逆者たちを迎え撃つことになる砦に兵を集めた上で、とりあえず交渉ができる人物を送り込め」
「かしこまりました」
ヘルベンは震える声で頭を下げ、急いだ様子で部屋を後にする。王ではなく王妃が命令を出すことは、ギジェルミーナが嫁いでからのグラユール王国では珍しいことではなかった。
(これで何とかならないだろうか)
段々と闇に慣れてきた目で、ギジェルミーナはドアを開けて出ていくヘルベンの後ろ姿を不安な気持ちで見送った。
ギジェルミーナは現実は甘くはないことを多少は知っている。
しかしその一方で、ギジェルミーナは世界で最も強大で豊かに栄えるオルキデア帝国の皇女として権力に守られて生きてきたので、ヘルベンほど深刻に危機感を抱けないところもあった。
ギジェルミーナはイェレのように幽閉されたこともなければ、内戦を経験したこともない。グラユール王国で生まれ育った者に比べると、ギジェルミーナはどこか呑気で鷹揚だった。
だからギジェルミーナにとっては、農民が領主を焼き殺したのもどこか遠い場所の話で、反逆者が王都に来ることはありえないし、反乱もそのうち勝手に終わる気もしている。
それが根拠のない間違った見通しであったとしても、ギジェルミーナは心の底では楽観的に物事を捉えていた。
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