4-11 語られる過去(2)
「イェレ国王は、よく寝るお方なんだな」
無事にイェレが眠りに落ちたのを見届け、ギジェルミーナは部屋に置いてあったソファに腰掛けて、ちょうどよい固さの背もたれに身体を預ける。
居座るギジェルミーナを前に、ヘルベンはイェレが起きないように小声で答えた。
「陛下はお疲れになりやすい体質ですので。でも今日は王妃様がいたので、比較的お加減も良く過ごされていたと思います」
あれで普段よりは調子が良かったのかと、ギジェルミーナは今後が心配になる。
「でも、昔はもっと普通だったんだろう?」
「そうですね。この国で内戦が始まるまでは、陛下は母君を早くに亡くされてはいても健やかに成長されていました」
ギジェルミーナはヘルベンが語るイェレの過去が気になりつつも、ソファの近くの丸テーブルの上に置かれたティーセットを一瞥した。
おそらくイェレが寝る前に飲み物を欲しがったときのために、用意されたものだろう。
その視線に気づいたヘルベンは、仕方がなさそうにカップを一つとってポットの中のお茶を注ぐ。
「すべてが変わってしまったのは、陛下のお父上である先王が崩御されたあの年。先王の二番目のお妃様が、自らの実子を王位につけるために一部の貴族を味方につけ、最初のお妃様のご子息であった陛下を幽閉してしまった十三年前のことでございます」
ヘルベンはイェレが幽閉される原因となった内乱のきっかけに触れながら、ギジェルミーナにカップを渡した。
銀のカップの中にはやわらかなリンデンの香りのするハーブティーが入っていて、眠る気のないギジェルミーナの眠りも誘う。
(最初の妃は確かイェレを産んですぐに若くして死んで、昔の愛人だった女が二番目の妃になって揉め事の種になったという話か)
回りくどい話が苦手なギジェルミーナは、ほどよい温かさのお茶が冷めないうちに核心をついた。
「やはりイェレ国王がおかしいのは、幽閉されていたことが原因なんだな」
「はい。まだ六歳の王子だった陛下は、牢獄に繋がれ、粗末な食事以外は何も与えられずに育ちました。そんな状況で人が生きるには、正気を失うしかありません」
ヘルベンは非常に抑制した言葉を選んで、イェレの受けた仕打ちについて語った。言葉で聞くだけでも十分に酷いのだが、実際に起きたことはきっとそれ以上に悲惨なのだろう。
「だが、殺されはしなかった」
カップをテーブルに置いて、ギジェルミーナはベッドで眠っているイェレの方を見た。
事の深刻さをわかっているからこそ、ギジェルミーナはイェレが生きていることが不思議だった。
もしもギジェルミーナがイェレを幽閉した人物だったのなら、痛めつける前にイェレを殺していたはずだと思う。
そうした素朴な疑問を抱いたギジェルミーナを、ヘルベンは一瞬だけにらんだ。その目には、不幸な子供よりも政治や自分の都合を優先させる権力者への憎しみが込められていた。
「二番目のお妃様は先王の寵愛を巡って最初のお妃様に大変嫉妬していらしたので、その息子を楽に死なせるよりも、と考えたのかもしれません。そういう感情で動く女性だったので、結局二番目のお妃様は対立していた軍閥貴族の勢力に敗北し、子どもたちとともに処刑されました」
ヘルベンがやわらかい言葉を使って説明しても、それは美しい城や王都の様子からは想像しづらい血塗られた残酷な歴史だった。
「そうしてやっと陛下も牢獄から助け出され、本来継ぐはずだった王位を継ぎました。それが五年前のことです」
他の誰かの死によって、イェレはやっと救われた。
しかしそれで幸せに終わるわけがないので、ヘルベンは言葉を続ける。
「約八年間の幽閉生活によって陛下の心身は深く傷つけられましたが、お身体の問題は時間をかければ大分回復いたしました。笑うこともなければ泣くこともなかったころに比べれば、とてもお元気になったと思います。しかし奪われたものをすべて取り戻せたわけではなく、陛下のお心はまだ幼子のままです」
ヘルベンは顔を曇らせ、目を伏せて立ち尽くした。
内容の陰惨さはさておき、ギジェルミーナは得られた情報には満足する。
「なるほど。状況はよくわかった」
もらったお茶を飲み干し、ギジェルミーナは自分の立ち位置についてよく考えた。
イェレが過酷な子供時代を過ごしていたことは理解したのだが、元々は部外者であるギジェルミーナにとってはそれはまだ他人事でしかなく、過度に同情するのもどうも違う気がする。
だからあえてギジェルミーナは、少々距離を置いた態度をとった。
「大変痛ましい話だったが、済んだ過去のことだ。きっとこれからは、もっと幸せな未来があるはずだろう」
ギジェルミーナは爽やかに夫の心の問題について考えることをやめ、強大な世界帝国からやって来た王妃らしく尊大に微笑む。
その強引さに、ヘルベンはただ黙って頷いた。
「では私は、大広間で行われている食事会の様子を見に行きますので」
ヘルベンはお辞儀をすると、部屋を出ていった。
気づくと、ギジェルミーナはイェレと寝室に二人っきりになっていた。
(婚礼の日に寝室で夫婦が二人になったら、本当ならもっとこう……)
ギジェルミーナはソファから立ち上がり、仰向けに寝ているイェレの顔を見た。
皇女として育ったギジェルミーナには、それほど人の寝顔を見た経験はない。それでも普通に眠っていればイェレはごく普通の青年に見え、穏やかな表情は悲惨な過去を感じさせなかった。
ハーブティーには入眠作用があったらしく、ギジェルミーナは少々の眠気を感じてイェレの隣に横になる。
薄絹のカーテンの付いたベットは人が三、四人は横になれそうなほど大きなものだったので、ギジェルミーナはイェレに密接しなくても寝転ぶことができた。
豪奢な花嫁衣装がベッドの上に広がり、イェレの被るシーツにふれる。
(だけど私は好きになれそうな気がする。このすべてを奪われ続けた可哀想な国王を)
口づけも愛撫もない、ただ側にいるだけの時間の中で、ギジェルミーナは目を閉じた。
だがイェレと同じように、本当に寝てしまうことはなかった。
ギジェルミーナには祖国にいる長兄への手紙を書いて、従者のカミロに持たせて送る必要がある。
また後で部屋に届くことになっている食事のことを、ギジェルミーナは忘れていなかった。
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