とあるゲームライターの終活

適当

第0話 これはゲームのレビューではなく、ゲームの想い出

 ※この物語は、虚実入り混じったフィクションである。


 ◇


 今から、ゲームの話をするので聞いて欲しい。 


 ビデオゲームの話だ。アナログゲーム、テレビゲーム、家庭用ゲーム、PCゲーム、ゲームとつくものなら何でも良い。そう、ゲームだ。


 私は、世間一般でいうゲームライターだ。

 デジタルゲームを中心に記事を書き、わずかな賃金をもらっている。

 他人が作った物を評価して、勧めて、ときには批判して、日々の糧を得る。


 クリエイティブではなく、何ひとつ生みだすことのない仕事ではあるが、そのゲームが好きだった人の共感を得て喜びを増幅することや、はたまた、そのゲームに傷ついた人の怒りを代弁して憎しみを癒したりすることは、ごく稀にあるかもしれない。


 自分自身が好きなゲームを広めるために思考をめぐらし、自分自身が許せなかったゲームの欠点を言語化することで、より良い作品が出るように願う。ゲームの魅力を文字で伝える。その一端しかできない職業であり、最近はゲーム動画やVtuberなどに存在意義を奪われかけている職業だ。将来的には、たぶんAIに取って代わられるかもしれない。人よりも多くゲームを遊んできたことしか、特色がない存在である。


 だが、誰が何を言おうが、結局のところゲームの魅力は文字よりも動画で見るほうが伝わりやすく、実際に遊ぶ方がもっとわかりやすい。しかし、今は娯楽があまりにも多すぎるから、時間の面でも金銭面でも人はハズレを引きたがらない。ゲームを自分で遊ぶよりも、他者が楽しそうに遊ぶ姿を見ることで満足する層も増えているし、だからと言ってそれが間違いだと否定することもできないほどに、この世は娯楽で満たされている。自分自身も専門のインディーゲームに絞っても遊びきれず、取りこぼしている作品は両手でも数えきれない。この世には、あまりにもゲームが多すぎる。


 曲がりなりにもゲームライターとして生きてきたので、他人よりもゲームを遊んできたことだけは自負している。人生の貴重な時間を24時間ゲームに捧げ、寝ている時と原稿を書いている時以外は、ゲームを遊び続けてきた。そんな人間でさえ、もはやすべてのゲームを追うことはできない。個人製作からメーカー製まで、ありとあらゆるゲームが多すぎて、追いきれない。おそらく、自分は死ぬ直前までゲームを遊び続けていると思うが、それでもこの世にあるゲームの1割も遊びきれないだろう。


 まだ見ぬ楽しいゲームがあまりにも多すぎるし、ふとした時に、また遊びたいと思うほど楽しかったゲームもある。想い出に紐づいた名作が、時には他人が駄作と言うけれども自分は好きな作品があまりにも、あまりにも多い。多すぎて窒息しそうだ。


 そう考えたとき、1つの疑問が私の頭をよぎった。

 

 自分は、死ぬ直前にどのゲームを遊んでいるのだろう、と。


 死刑囚のラストミール(最後の食事)のように、もしも人生の最期に遊ぶゲームを選べたら。その時、自分はどのゲームを選ぶのだろうか。レトロゲームなのか、それとも最新のゲームなのか。これまで遊んできたゲームなら、何を選ぶのだろう。


 だから、ゲームの話を聞いて欲しい。


 自分がいつか死ぬ前に、心の底からもう1度遊びたいゲームを再確認するために。

 

 さて、最初はどんなゲームを語ろうか。語りたいものはたくさんある。趣味でも、仕事でも、遊んできたゲームは両手では数えきれない。面白い物はたくさんある。面白くないけれど、否定の言葉を心に閉まったものも山ほどある。だけど、これは自分の振り返りなのだからゲームのレビューじゃない。気軽に思いついたものを語ってもいいはずだ。まずは思いついたものから語ろう。直近の辛い想い出を癒すために。

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