第二十三話 テンペスト

 何が起きているのか――。

 ウォルトは全身の痺れで動けず、破壊された建物の廊下でうつ伏せに倒れ込んでいた。

 ウォルトは状況を理解していた。これが自分の引き起こした事態であることも、取り返しがつかないことも。

「はあ……はあ……はあ……うぐぅっ……」

 ウォルトは時々訪れる激しい体の痛みに身をよじって耐えていた。病気や怪我をして動けないのとは異なる痛みだ。体の内側から湧き上がってくる痛み、細胞1つ1つに極細の針を刺されるような耐えがたい痛みだった。

 ウォルトの体を蝕んでいるのはウォルトのコピアではない。この異常な反応はウォルトの体に適合しない旧型のコピアによるものだ。

 霞んだ視界の先には瓦礫の山がある。防護服の片足だけが瓦礫から突き出ていた。

 爆発の直前に防護服を着たリズが見えた。あの防護服の片足はおそらくリズのものだ。片足以外は完全に瓦礫の下敷きになっていた。

「僕が……やったんだ……」

 ウォルトはやるせなさと自分への嫌悪感に苛まれた。その感情の起伏が暴走したコピアにさらなるエネルギーを与えているとも気付かずに。


*      *     *


 数分前。

 リズはごわごわした防護服に身を包み、ゆっくりとした足取りで旧研究所の廊下を歩いていた。

 暗い廊下を歩くのにヘルメットに取り付けられた懐中電灯が役に立った。目線と光線が合致するので狭い視界が余すところなく照らされる。リズは誰かがいそうな場所を探して廊下を歩き続けている。

 監視システムのコピア活性度の表示がいきなり跳ね上がった。最近のウェイストランドのコピア活性度は5~13%でこれは全くと言っていいほど人体に影響が出ない。コピアガンナーがコピアガンを撃った時の活性度は最低でも20%以上になる。現在のコピア活性度は45%だった。

「これはウォルトのコピアガン?」

 リズは最も楽観的な答えを口に出した。もしもそうでなければ次に安全なのはアマンダのコピアだ。最悪なのは滞留している旧タイプのコピアが活性化していた場合だ。だが、この簡易な監視システムではコピアのタイプや所有者まで割り出すことはできなかった。

ウォルトのコピアにしては以上に数値が高い。普段のウォルトは周囲に悪影響を及ぼさないために弱めに撃つ。廊下を進んでいくうちにみるみる活性度が上がってきている。もう60%を超えた。いくら何でもおかしい。

「これ、ちょっと、マジでヤバいやつなんじゃないの?」

 リズは活性度が上がる方向を探って走った。そして、ついにウォルトを見つけた。

「ウォルト!」

 腹這いになって遠くで光るコピアガンに手を伸ばすウォルトがそこにはいた。

「リズ!?」

黒マントの人物がウォルトの手を踏みつぶそうと足を上げていた。荒野で見かけた父親にそっくりな人物がまとっていたのと同じ黒マントだった。

「パパ! やめて!!」

「リズ!! 来るな!!」

 リズは咄嗟にタブレットを振り捨てて走った。黒マントの人物は足を振り落とした。

「うあああああ!!」

 ウォルトが悲鳴を上げる。だが、それは手を踏みつけられたからではなかった。全身を痺れさせていた電撃のような衝撃がいよいよウォルトを完全に侵食した。タブレットに映し出されたコピア活性度が80%に達した。途端に周囲で大人しくしていたコピアがウォルトを中心に爆発を起こした。


*      *     *


 チーフガンナーの緊急招集で全コピアガンナーが旧研究所に集められた。ウェイストランドで活動中だったコピアガンナーの他、数名のコピアガンナーが護送車に乗って駆け付けた。護送車を運転するのはカズラだ。動きにくいはずの防護服を着ていてもいつもと変わらずエンジン全開で最短最速でカズラは旧研究所に到着した。

「ウォルト・ナット、ピート・ナットの捜索が最優先! アマンダ・ネイルがいたら身柄を確保してください!」

 サルサがコピアガンナー達に指示を出す。コピアガンナー達は自分のコピアガンを構えて旧研究所に突入していった。

 カズラは現場に来てからは何もできない自分に苛立ち、運転席から出て周囲を見渡す。周囲は何もない荒野が広がっているだけだ。動物も近寄らなければ草木も生えない旧研究所周辺を防護服に身を包んで歩いていると、まるで別の星に迷い込んだような心許なさを感じた。

 と、視界の端に1台の車が映った。

「何であんなとこにリズの社用車が止まってんだ?」

 カズラは慌てて防護服に取り付けられたインカムでサルサに報告する。

「チーフ! リズも捜索お願いします!」

「リズも? どうして?」

「あんなとこにリズの車が止まってます! アイツ、中に入ったんじゃ……!?」

「何ですって!?」

 サルサは少し離れた所で大きく指をさすカズラを見て、その指の方向に目を向ける。たしかにそこにはリズがいつも乗っている社用車が乗り捨てられていた。


*      *     *


 ピートは必死に起き上がろうとするアマンダを抑えつけていた。

「どいてよ! ピート!」

「暴れんなっつってんだろ!!」

「うるさい!! アンタに言われたくないのよ!!」

「危ねえんだよ!! 床見ろ!!」

「何だっていうのよ!?」

 ピートは上体を起こしてアマンダが起き上がれる空間を作った。顔を上げたアマンダは目の前に広がる光景を見て、絶句した。

 ピートとアマンダがいる場所から2mほど先から向こう側が完全になくなっていた。建物が崩れ、はるか遠くの部屋の壁が見えている。

「嘘……」

「だから危ねえっつったろ」

「ど、どうしよう。これじゃ建物から出ることもできないじゃない……」

「ああ。だからな」

 ピートはアマンダを抱きかかえて立ち上がった。

「よっこらせっと」

「ちょっと! 何するの!?」

 ピートはアマンダの目を見て言った。

「お前、俺と一緒に死ぬ覚悟できるか?」

「は……はあ!!??」

 アマンダは今日一番の大音量で聞き返した。ピートはアマンダのその反応を見て少し冷静さを取り戻した。

「安心しろ、俺はこんな所で死ぬ気はねえよ」

 アマンダと2人絶体絶命のピンチだ。ピートはアマンダに焦りを悟られないように努めたが、内心は全く穏やかでない。一歩間違えれば2人一緒に瓦礫に押しつぶされて死ぬ。そうならないためには最善の選択を連続でいくつも選び続けなければならない。

 第三実験室は旧研究所の3階で少し奥まったエリアにある。天井は初めからなかったが、床も抜けてしまった。崩落した床を大ジャンプでまたいで建物内から外へ脱出するより、抜けた天井から屋上へ飛び乗って直接外に脱出する方が楽な気がする。

「な、何なの!? ねえ!!」

 アマンダはピートがしっかり抱き上げている。力の加減はこれがベストだ。これ以上力を入れたらアマンダの骨を折ってしまうだろう。ずっとこの感じをキープするとして、立ちはだかる障害物を乗り越えてもそれができるかどうか。

 ピートは助走のために辛うじて残っている床を移動した。天井からギリギリまで離れられる位置まで下がった。天井は2.5mくらいの高さだ。第四実験室側の屋上の状態がどうなっているかわからない。ジャンプの衝撃で崩れるかもしれない。それでもやるしかないとピートは決断した。

「行くぞ!」

「ちょっとおおおおおお!!!!!」

 ピートはアマンダの悲鳴を無視して走り出した。天井近くでドンッと床を踏み鳴らして舞い上がった。力加減は完璧だった。床は少しだけ揺れて端が崩れたようだがジャンプに支障はなかった。屋上が視界に飛び込んでくる。咄嗟にピートはアマンダを放り投げ、背中を丸めて転がりながら着地した。アマンダはふわっと宙に浮かび、屋上の床に投げ出された。

「何すんのよ!!」

「っしゃあ! 成功!!」

 ピートはすぐさま立ち上がってガッツポーズする。

「聞いてるの!?」

 アマンダは最高潮にご立腹だった。

「すごく痛かったんだけど! 何考えてるのよ!!」

「バカ、俺がお前をかばって強く抱きしめたら、肋骨が折れて死んでるところだったぞ」

「加減しなさいよ!」

 と言った瞬間、アマンダは自分の腰回りを探って青ざめる。

「どうしよう……」

 ピートは屋上を見回って床の状態と脱出ルートを確認している。

「よし、アマンダ。次、行くぞ」

 ピートがアマンダを再び抱きかかえようとするのをアマンダは阻止した。

「待って!」

「何だ?」

「コピアガンがないの!」

 ピートは呆れた声を出した。

「はあ? そんなもんほっとけ。今は生きるか死ぬかの状況なんだぞ」

「でも、私、コピアガンがないと……」

「お前にはまだそれを使う資格がない。さっきから言ってんだろ」

「でも、私には必要なの! 下にあるかもしれない」

「いいから来い!」

 ピートはアマンダを抱えて左肩に乗せた。

「やだ!! 下ろしてよ!! ピート!!」

 アマンダは両手でピートの背中を叩くが、ピートには全く効果がない。

 ピートは深呼吸をした。さっきは両腕が塞がっていたが、今度は片腕だけだ。バランスさえ崩さなければきっとこの複雑な形状の屋上を飛び越えて地上に降りることができるだろう。着地の瞬間に屋上の床が崩れなければの話だが。

「どりゃあ!!」

 ピートは屋上を走り抜け、1階分低い位置にある隣の棟の屋上にジャンプした。


*      *     *


 旧研究所の裏にある山脈の中腹に“選ばれた市民の集い”の野営地があった。そこはウェイストランドのはるか上空でコピアが届かない標高の地点だった。旧研究所からは人間がいることなど到底見えない高さだった。

 黒マントの人物が汗を大量にかき、息も絶え絶えで野営地に戻ってきた。

「エイジャか!!」

「大丈夫か!? その汗!!」

「導師様、エイジャを診てください!」

 導師はエイジャのそばへ行く。エイジャは導師の前でひざまずく。

「エイジャ。よく戻りました」

「導師様」

 導師はエイジャの頭に手をかざす。

「あなたにコピア汚染は見られません。安心なさい」

「ありがとうございます」

 導師は野営地から少し離れてはるか下に位置する旧研究所を見下ろす。

「そうか、トリガーはウォルトで、ピートはアマンダと一緒に……。わかりました」

 導師の独り言は一番近くにいたエイジャにも聞こえなかった。エイジャはタオルを渡されて大量に吹き出る汗を拭くのに集中していた。

 戻ってくると、導師は全員に向けて号令をかけた。

「帰りましょう。第一段階は終了です」

「でも、導師様。あの人達はどうするのですか?」

 会員の1人が導師に質問をする。

「彼らは大丈夫。放っておいても死ぬような人達ではありません」

 それを聞くと、会員達は野営の片付けを始めた。

 エイジャは導師の前に立ち、導師の次なる言葉を待った。

「エイジャ、ここでできることはもうありません。行きますよ、フレイムシティに」

「はい」

 エイジャも野営地の片付けに混ざった。

 導師は1人になると再び眼下の旧研究所を見つめる。アマンダを抱えて屋上を飛び退いて脱出を試みるピート・ナットを導師はじっと観察していた。

「彼のことはもう少しだけ野放しにしておくとしましょう」

 導師は踵を返して野営地へ戻った。マントから見切れる口元は笑っていた。


*      *     *


 旧研究所の前で待機していたサルサはピートがアマンダを抱えて屋上伝いにこちらへ向かっているのを発見した。

「ピートがこちらへ来ます! アマンダも一緒です! カズラ! 2人を頼みます!!」

「はいよ!」

 ピートは軽やかなステップであっという間に地面に到達した。

「ふうぅ、やり切ったぞ……!」

 ピートはアマンダを慎重に降ろして地面に座り込んだ。神経をすり減らしたのか少し疲れている。

 アマンダは地面に足がつくとフラフラとその場に倒れ込んだ。

「バカ……ピート……」

「おーい!」

 カズラがピートとアマンダの方へと歩いてくる。さすがのカズラも防護服では走れず、大股に歩くだけだった。

「大丈夫か、お前ら?」

「俺は平気っす」

「もうダメ……」

 カズラはアマンダが抵抗する余力もないのを見て取り、少しだけラッキーと思う。

「こっちに車回すから待ってろ」

 カズラは護送車に戻っていく。アマンダとピートはその場で座って待機した。

 少しして、ゴゴゴゴゴゴゴという地鳴りのような音がして、アマンダは顔を上げた。

「来る……」

「何だ?」

 ピートには何も聞こえていないようで、きょとんとした顔で聞き返した。

「さっきと同じ。今度はもっと大きいよ」

「ヤバいのが来るのか」

 サルサも何かを感じ取っていたようで、辺りを注意深く見渡していた。

 コピアガンナー達だけがその場の異変を感じ取っていた。何か恐ろしいものが来るという感覚だけがわかり、それが何なのかまではわからなかった。

「伏せて!!」

 サルサとアマンダが同時に叫んだ。

 ピカッと旧研究所の建物内から緑色の光線が放たれた。遅れて爆風が襲い掛かる。

 その場にいた人間も車も何もかもが数十m単位で吹き飛ばされた。爆風は旧研究所を中心に四方八方に広がっていった。

 しんと静まり返った時間が過ぎていった。

 大量に降り積もった砂埃を舞わせて、ピートが立ち上がった。

「アマンダ!! どこにいる!? アマンダ!!」

 アマンダはピートの数m先でうつ伏せに倒れていた。頭を起こしてはるか遠くの西の地平線を見据えていた。

「アマンダ! 大丈夫か!」

「今の爆風……」

「ああ、すごかったな」

「バークヒルズまで届いたのかな……」

「さすがにそこまでじゃないだろ。立てるか?」

「行かなくちゃ……」

「何だ?」

「皆の所に戻らなきゃ……!」

「バカ! 今行って何になる!? お前は俺と一緒にリヴォルタへ行くんだよ!」

 ピートはアマンダの腕を引っ張った。

「嫌だ!! 皆の所に行くんだ!!」

「いいから来い!」

「嫌あああああああ!!」

 泣き叫ぶアマンダを抱え上げ、ピートは旧研究所へ戻った。護送車が横転してすぐには出せる状態じゃなかった。

「とりあえずお前はここにいろ!」

 ピートは護送車にアマンダを投げ入れて扉をしめて鍵を閉めた。

「ピート!! 出して!! 出してよお!!」

 アマンダはガンガン扉を叩いていたが、ピートは構わず横倒しの護送車を元に戻す。

「痛い!! ピート!! ひどい!!」

 護送車の中で頭をぶつけたアマンダはまたも叫ぶ。

「ピート、アマンダは無事か?」

 いつの間にカズラが目の前にいた。

「はい。俺に文句言えるくらい元気です。カズラさんは?」

「この防護服すげえぞ」

 つまりカズラはピンピンしているということだった。

「ウォルト! リズ!」

 サルサの悲鳴に近い声が2人の耳に飛び込んだ。

「ウォルト!!」

 ピートは旧研究所からストレッチャーで運ばれてきたウォルトを見た。

「おい……ガチかよ……」

 ウォルトの目は開いていたが虚ろだった。指先が痙攣していて、時折呻いている。コピアガンナー達の呼びかけにも応答しない。

 続いて運ばれてきたリズは防護服で顔は見えなかった。ヘルメットの端にひびが入り、血がついていた。

「ピート、お前も乗れ! 全員この場から退避だ!」

 カズラがピートを呼びに来る。護送車の扉が開けられ、ストレッチャーが2台乗せられる。アマンダが奥でしゃがんでいるのが見えた。

 ピートが乗り、サルサが護送車の助手席に乗り、それで全員だった。カズラが車を発進させ、コピアガンナー達はリヴォルタへと帰った。


*      *     *


 バークヒルズから離れ、敵も味方ももう見えなくなって随分と時間が経っていた。ジークフリートは速度を落とさず全力で走り続けてくれている。ニッキーはグラグラと左右に揺れるアトラスに声をかけ続けていた。

「アトラスさん。敵はもういません。安心してください。あと少しで着きますからね」

 アトラスは冷や汗が噴き出て頭は熱っぽく、悪寒でぐったりしていた。昼に薬を飲んだのに全くよくなる気配がなかった。

「アトラスさん。聞こえてますか? 今から行く所は私もこの前初めて行った所なんです。ジョンとアマンダが昔そこにこっそり来てよく遊んだんですってよ」

「ああ、前はスティーブもいた」

「スティーブも……」

 ジョンの言葉にニッキーは感慨深くなる。

「小さい頃から通っているのに誰にも知られたことがないんですよ。すごいですよね。見たいと思いませんか? その場所。ねえ、アトラスさん」

 ニッキーは声をかけながら東の地平線をじっと眺めていた。ジークフリートの尻に手をついて、背中でぐっとアトラスを押し込み落ちないように支える。

 キラッと何かが光ったのはその時だった。緑色の光が遠くの地平線で一瞬、光って消えたのだ。

「何かしら、アレ……」

「誰か来たのか?」

 ジョンが警戒して横を見る。だが、当然もう光は消えている。

「何でもない。見間違いかも」

「そうか」

 ジョンが前を向く。と、その時、強烈な爆風が襲った。

 3人はジークフリートから投げ出された。ジークフリートも数m吹っ飛び、地面に横に倒れた。

 爆風はほんの一瞬で過ぎ去っていった。

「何!?」

 ニッキーがガバッと起き上がる。

「いってぇ……」

 ジョンがゆっくりと地面に手をついて体を起こす。

 アトラスは地面に倒れ込んでいた。

「アトラスさん!!」

 ニッキーはアトラスのそばに寄る。

「う~ん」

 アトラスは苦しそうに返事をする。

「ニッキー! 先行って準備してくれ! 俺がアトラス兄さん連れて行く!」

 ジークフリートは元気に立ち上がってジョンに向かってきていた。ジョンは足を怪我したのか立つのに苦戦していたが、問題なさそうだった。

「わかったわ」

 ニッキーは走って枯れ木小屋を目指した。枯れ木小屋の方向に吹き飛ばされたおかげで時間短縮になった。ニッキーは木に登って小屋から下に毛布を落とし、消毒液と包帯を探す。

 すぐにジョンも追いつき、アトラスを枯れ木の根元にもたれて座らせて毛布でくるむ。水筒の水をアトラスの顔にかけて拭いてやる。

「ジョン、あなたはこれで自分で応急処置して!」

 ニッキーが消毒液と包帯を投げて寄越す。

「おう」

 ジョンは消毒液と包帯をキャッチする。少し離れた所でズボンの裾をめくり、血が出ている箇所に消毒液をかけ始める。

 アトラスはちょっとだけ意識が戻ってきていた。目を開けて辺りをじっくり観察する。

「ここは……そうか……」

 アトラスは意識がはっきりしていなくても、ここがどこだかわかった。ここはまさしくアトラスが生まれた場所だった。かつて、ウェイストランド奪還紛争の時に野営地の1つとして使われていた時に産気づいたユリーカをバーク達が必死にここまで運んだのだった。

 大人になってからもたまに訪れて、誰かが入った形跡があると思っていたけど、それがアマンダ達だとは思ってもみなかった。

見上げると、腰に母親の銃をぶら下げた女子が木から下りてきていた。

「さあ、ゆっくり眠って」

 優しい声の女子の言葉にアトラスは聞き入っていた。

 火薬と血の臭い。それが生まれたてのアトラスが初めて嗅いだ臭いだった。冷たい水で全身の血を洗われ、汚い毛布に母子共にくるまれた。バークやギャバン、レアド先生などの男達が産後で体力の落ちたユリーカと赤子のアトラスを荷車で運んで、2晩寝ずに難民キャンプへ逃げ帰った。アトラスはそうして“紛争の申し子”として生まれてきたのだった。

「母さん……」

 アトラスは温かい毛布に包まれて、声を絞り出す。

「何?」

 声の主は聞き取れなかったのか、アトラスに笑顔で聞き返す。その慈悲に満ちた表情に安心し、アトラスは深い眠りについた。

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