第九話 アトラス隊の日常

 バークヒルズの朝は早い。町で最も早く起きるのは農家だ。暗いうちに起き出して、日が出る頃には穫れたての野菜を町の中心部に運び終えている。ギャバンがその日の収穫物をチェックし、住民に平等に行き渡るように配分する。

 ちょうどその頃、学校には子供達が登校し、ギャングの宿舎前のグラウンドでは新人が訓練を始める。大工が各民家の屋根の雨漏りを直したり、木材屋がギャングの護衛を連れて遠くの森に木を伐り出しに行ったりする。鉄工所や縫製工場なども稼働する。清々しい一日で、当たり前の日常の始まりだった。

 そんなバークヒルズにただ一人、朝寝坊をする男がいた。

午前十時。

「まずいっ!」

 ギャングの宿舎の最奥にある武器庫で朝を迎えたのはアトラス・サンジェルマンだ。

 ギャングに入った当初からのアトラスの仕事は武器庫番だ。武器の手入れが好きだったアトラスはある事件がきっかけで武器庫番としてギャングに入った。それからずっと日々の武器の手入れはアトラスの仕事になった。

 アトラスは煤で汚れた服と顔を早くなんとかしなければと飛び起きて、隣の自分の部屋へ戻る。勉強家のアトラスの部屋はバークの部屋の次に蔵書数が多い。特に思想や歴史の本が多く、そこがバークとの違いだった。バークの部屋の本棚には実に様々な系統の本があるが、中でもナノマシン開発に関する論文集が目立っていた。おそらくコピア研究について調べようとした時期がバークにもあったのだろう。三番手はジェシーの本棚で、そこには医学に関する本がぎっしり並んでいる。

 アトラスの部屋の窓際に置かれた大きなテーブルの上には昨夜のうちに食堂からもらってきた半分にちぎったパンが無造作に置かれていた。その隣には洗っていないマグカップと気品のある絵柄の紅茶の缶がある。ライトブルーともミントグリーンともつかない絶妙な色合いの缶には“Patients”と書かれている。その紅茶はリヴォルタが出資している茶ブランドの商品の一つだ。紅茶は保存が効くのでリヴォルタの支援物資に頻繁に入らない。その上、略奪品としては優先順位が低いので略奪部隊は滅多に持ち帰らない。数ヶ月に一回その紅茶を見つけると、アトラスは自分の部屋で大事に保管して飲むのだった。

 うっすらと新人達のランニングの掛け声が聞こえてくる。アトラスは薄汚れたタオルを水瓶の水に浸し、顔の煤を綺麗に拭き取る。ひげは生えにくい体質なのでところどころサビたカミソリを顎に軽く当てるだけでいい。くしで髪を左右に撫でつけ終わった瞬間、アトラスの部下達が部屋へと入ってくる。

「アトラス兄さん! 大変です!」

 そっくりな見た目の3人の男達がアトラスの部屋になだれ込んでくる。アトラスの部下をやっているこの男達はハーディ、ローディ、コーディ・グラスの三人だ。そっくりだが兄弟ではなく従兄弟同士だ。一卵性3つ子姉妹のサンドラ、アミリア、ケイト・グラスがバークとの間にほぼ同時期に妊娠して生まれたので、3つ子のようにそっくりだった。アトラスはこの3人の能力を高く評価していたが、それ以上に彼らの人柄が好きだった。

「まあまあ、落ち着いて。何があったの?」

 アトラスは先程までの焦りを悟られないように笑顔で押し隠して3人に優しく声をかけた。

「町中で女同士のケンカがありました!」

 そう言ったのはグラス姉妹の長女サンドラの息子のハーディだ。生まれた順番も最初なので長男のような存在だ。三人のリーダー的な役割を担い、いつも三人いる時は代表して発言する。

「誰と誰?」

「エスメラルダおばさんとミランダさんです」

「本当に!?」

 アトラスは思わず声を上げてしまった。

 エスメラルダはバークとギャバンの妹であのバティラ兄弟を生んだ母親だ。そのエスメラルダがアマンダの母親であるミランダとケンカしているらしい。朝食がまだだったが、これは優雅に紅茶をたしなんでいる場合ではないと理解したアトラスは急いで現場へ行くことにした。


*     *     *


 町に一つしかない井戸には毎朝多くの主婦が集まってくる。

リヴォルタの事故でこの土地がウェイストランドとなる以前はバークヒルズ周辺は水道や電気が通るいたって普通の農村だった。しかし、インフラ業者が立ち入れなくなり、事故の影響で異常気象が多発した後は全ての設備が朽ち果ててしまった。以前は流れていたはずの川も干上がり、今はこのたった一つの井戸だけがバークヒルズの住民の生命線となっていた。

「ミランダ! あなたって人はよくこんな所へ顔を出せたものね!」

 井戸の順番待ちで並んでいるミランダ・ネイルに突然、女がキンキンと甲高い声で喚き散らし始めた。

「うちの息子は2人共、あなたの娘のせいで怪我をしているのよ! それなのに謝罪一つもなくて、息子達がかわいそうだわ!」

 この女はエスメラルダ・ロックというバークとギャバンの妹だ。幼少期から2人の兄に甘やかされたエスメラルダはかなり自己中心的な性格をしていた。息子達というのはあのスエックとトマスのことだ。兄弟の父親クエンティン・バティラはろくに仕事もしない男で、エスメラルダや息子達を世話することもしなかった。クエンティンは数年前、急性アルコール中毒で亡くなったが、一部ではエスメラルダをかわいそうに思ったバークが報復させたのではないかと噂が立っていた。両親の悪いところが似てしまったのか、スエックとトマスはケンカ好きの粗暴な男に育っていった。エスメラルダは息子が成長するに連れて1人では抑えられなくなり、ついにバークに泣きついてギャングに入れてもらったのだ。それなのに、報復部隊を騙ってデモ隊を煽った件で謹慎処分になり、半年間エスメラルダが住む家に戻ってくることになってしまった。スエックとトマスはエスメラルダの説教を聞くわけがなく、謹慎期間だというのにほぼ毎日のように朝からどこかへ出かけている始末だ。

 全ての事情を知っているミランダは一切取り合う様子もなく、黙って列に並んでいた。ミランダだけでなく、井戸に並んでいた女性達は関わったら負けだとばかりに無視を決め込んだ。アマンダの姉のビアンカもミランダと共に井戸の列に並んでいたが、黙って暴言を聞き流していた。

「大丈夫? 母さん」

「ええ、このくらいどうってことないわ。あなたも気にしないでいいのよ」

 ミランダとビアンカは小声で言い交わす。それが聞こえたのか聞こえていないのか、エスメラルダはさらに声を荒げてミランダに詰め寄った。

「ちょっと! なんとか言いなさいよ! あなたなんて兄さんの子供を産まなかったらここでこんなに優遇されることなんてない性悪女なのよ! あなたの娘もあなたに似て男に取り入るのがうまいだけじゃない! 兄さんの女じゃなかったらあなたなんてとっくにここじゃ生きていけないようにされてるわよ!」

 その発言を聞いたミランダはさすがに何も言い返さないでいられるほどできた人間ではなかった。ビアンカに列に並んでいるように言い、ミランダは一向に列に並ぼうとしないエスメラルダの方へと歩いていった。いつになく険しい目つきのミランダを見て、エスメラルダは少々怯む。

「お言葉を返すようですけれど、アマンダは私の言う事を聞くような子じゃありませんよ。そうでしたら今頃一緒に水汲みに来ていますもの。あの子を私から奪ったのは父親です。そう、あなたのお兄さんです。文句が言いたいならお兄さんに直接申し上げればよいのでは? あの子があんな風に育ったのは父親のせいですよ」

「あ、あなた……兄さんのことをそんな風に……!」

「私達は今後一切あの子に関わるつもりはありませんし、あの子がやったことを私達の責任にされるのも筋違いです。二度と私達の前であの子の名前を口にしないでくださる?」

 ミランダは言い淀むことなくそれだけ一気に言い切った。はっきりと言い返されることに慣れていないエスメラルダは面食らった。

「調子に乗るのもいい加減にしなさいよ!」

 口では勝てないと思ったのかエスメラルダはミランダに向かって拳を振り上げた。

「母さん!」

 ミランダをかばったビアンカにエスメラルダの拳が当たった。大した威力ではないが華奢なビアンカには十分な打撃だった。ビアンカの小さい悲鳴を聞き、怒ったミランダがエスメラルダを突き飛ばした。

「私の大事な娘に手を上げるんじゃないわよ!」

 エスメラルダは尻餅をついたがすぐに立ち上がってミランダの両腕を掴んだ。ミランダもエスメラルダの腕を掴み返して取っ組み合いになる。

「ちょっと、危ないでしょ!」

「落ち着きなさい! アンタ達!」

「井戸の前でケンカなんかやめなさい!」

 主婦達が仲裁に入るが2人は聞く耳など持たなかった。髪を引っ張ったり服を破いたりの乱闘になり、もう誰も2人を止めることはできなかった。

 そこへようやくアトラスが到着した。主婦達がもみ合いになってケンカしているのを見てアトラスは面食らう。

「わあわあ、こんなになって! おばさんもミランダさんもやめて! やめやめ! ほら、離れて!」

 愛馬プリマドンナに乗って走ってきたアトラスは長い脚を振り上げて颯爽と馬を降り2人の間に割って入る。

 髪を振り乱して服の袖が破けて肌が露出した状態のエスメラルダとミランダはアトラスの長い腕で引き離されてもなお睨み合っている。

「何してるの? こんな朝からケンカなんかして」

 アトラスはなるべく穏やかでフレンドリーに接するが、エスメラルダは噛みつくように言い返した。

「アンタも何か私に言う事があるでしょうよ、アトラス」

「何の話さ?」

「アマンダのことよ。アンタがあの子を甘やかすからあの子がつけあがるのよ。私の息子に一生ものの傷を負わせて、今度は報復部隊ともやり合って! あの子達、私の話なんか全く聞かずに毎日どこかへ行ってしまうし……!」

 エスメラルダは今度はシクシクと泣き出した。ミランダはハナからどうでもいいと言いたげにアトラスの腕を振りほどいて井戸の列に戻って行く。

「大丈夫なの、母さん。無理しないで」

 列に戻ったミランダをビアンカが気遣う。

「平気よ。今朝は天気がいいから調子がいいの。あなたこそ体を大事にしなさい」

「うん……」

 ミランダは深いため息をついた。本当は立っているだけでもやっとなのだ。少し前から病気がちになり、外出も最小限にしている。ビアンカも興奮しすぎたのでお腹に手を当てて深呼吸をし、気分を落ち着けようとした。

アトラスはエスメラルダの両肩に手を置いて泣いている叔母を軽く抱きしめた。

「落ち着いておばさん。僕はたしかにアマンダの能力を買っているけど、ケンカさせようとしたことはないよ。デモ隊と報復部隊の件はスエックとトマスが悪い。嘘をついてデモ隊を怒らせて乱闘騒ぎにしたんだからこれは正当な罰だよ。大丈夫さ。あの2人は強いからどこぞをほっつき歩いていてもケロッとしてそのうち帰ってくるから」

「ああ、アトラス。あなただけよ。私の話を聞いてくれるのは」

「そりゃ、僕にとっておばさんは大事な親戚だからね」

「ユリーカが羨ましいわ。あなたのような立派な息子がいて。成長を見守ることができなくてさぞ残念でしょう」

「それは言わないで。きっと母さんはどこかで僕のこと見ててくれるって思ってるんだ」

「そうね。きっとそうよ。あなたのことを見捨てるような人じゃなかったわ」

「僕のことを他所に預けて仕事に行っちゃう人だったけどね」

「この町のためだもの。あの頃は皆が必死だった」

「そうだね。だからこれからは僕らが必死に頑張る番だ」

「あの子達のこと、お願いね」

「もちろんだよ。スエックとトマスは僕の大事な従弟達だ」

「ありがとう」

 ひとしきり泣いたエスメラルダは気持ちが楽になったようで、アトラスと一緒に井戸の最後尾に並んだ。アトラスと一緒にいる間はエスメラルダは大人しくした。エスメラルダの分と自分で使う分の水を汲んでアトラスは宿舎へ帰った。


*     *     *


 空腹と疲労で正午前だというのにアトラスはへとへとだった。早く残りのパンを食べないとカビが生えちゃう、とおぼろげに考えながら部屋に戻った。部屋では次女アミリアの息子ローディが1人で事務作業をしていた。

「ああ、ごめん。それ、明日までに出さないといけないんだった」

 アトラスは水瓶に井戸から汲んできた水を入れながらローディに声をかける。ちらと窓際のテーブルを見ると、パンと紅茶の缶とマグカップがそのまま放置されていた。アトラスは長い腕で向こう側の端にあるパンを掴んでむさぼり食った。さすがに紅茶は淹れ直さないと腹を壊しかねない。

「いいんですよ。俺、こういうの好きですから」

 ローディは事務用の机に座って書類に書かれた情報に間違いがないかじっくり確認しながら返事をする。書類は出生届や死亡届など、住民に関するものだ。バークヒルズの近隣の町の役所に提出しに行くのはアトラスの仕事だった。アトラスはこの仕事の時だけバークヒルズの外に出ることを許可されていた。だが、1人だけで行くことと決まっていた。バークヒルズの近隣の町との中継地点にバークヒルズの支援団体の支部があり、そこまでは部下の誰かと一緒に馬で行く。そこからは支援団体の車を借りて役所まで行く。帰りは部下に支部まで馬を連れてきてもらい、一緒にバークヒルズまで帰る。丸一日かかる大仕事だった。

「気が滅入るだろ? 死亡届の書類チェックなんて」

「近頃は出生届の3倍近くありますからね」

「報復だろうが病死だろうが書類上は全て同じだ。皆同じように事務的に処理される。どんな人が生きてたかなんて誰も気にしない」

「仮に死因を書く欄があっても、報復で死にましたなんて書けませんけどね」

「書類を提出してここに帰ってくる時にいつも思うんだ。僕達は何のためにここで暮らしてるんだろうって」

「父さん達が取り戻した土地で暮らすのが嫌になったんですか?」

「いいや、そうじゃない」

「外の世界はここより魅力的ということですか?」

「別に。どこで暮らしていようが苦労することに変わりはない。でも、そうじゃないんだ」

「じゃあ何ですか?」

「まるで僕達は父さんにここに閉じ込められている奴隷のようじゃないか」

 ローディは出来上がった書類をまとめて書類箱に収めた。アトラスがやったら夜までかかりそうな作業をローディはわずか1時間で終わらせてしまった。そして立ち上がってアトラスに会釈をした。

「飯食ってきます」

 ローディはアトラスを残して食堂へと出て行った。アトラスは自室に1人取り残された。

 アトラスは返事が返ってこなかった自分の最後の言葉について自問自答する。父のことは尊敬している。戦って土地を取り戻し、30年近く町を治めてきた実績がある。だが、土地を取り戻すためにしたことも暴力であったし、町を維持するために今も暴力に訴え続けている。それがなければこうして自分達がバークヒルズで暮らしていける現在はなかったかもしれない。しかし、それならば尚更、自分達は何故ここで生かされていなければならないのかという疑問が湧く。

 ウェイストランドから出て安全地域で第二の生活を始めた人達は今もリヴォルタから支援をされながら生活の立て直しを図っている。知り合いの伝手を借りて無事に生活が安定し豊かに暮らしている人もいるだろうが、就職難やウェイストランド出身者への差別などの問題を抱えて必死に生きている人もいるだろう。コピアによる健康被害を抱えている人もいるはずだ。ウェイストランドの避難民はどこで暮らしても苦労が付き物だ。それでもバークヒルズよりマシだと思えてしまうのは、アトラスだけがこの町の外を知っているからなのだろうか。

 アトラスは紅茶を飲んで気分を変えようと思った。” Patients” と書かれた紅茶の缶を手に取り蓋を開けてティーバッグを取り出す。リヴォルタはどうして自社ブランドの紅茶にこんな名前をつけたのだろう。「忍耐」という言葉はリヴォルタにとって何を意味するのだろうか。

 ティーバッグをお湯に浸すとたちまち芳醇な香りが立つ。温かい紅茶で気持ちを和らげて、この苦悩に再び耐えなければならないとアトラスは思った。


*     *     *


 夕方の3時頃、学校ではハーディ、ローディ、コーディの3人が学校の低学年の子供達を集めて落ち葉拾いの説明をしていた。

「ほうきでここに集めたらこの大きな袋に入れるんだよ!」

 大きな声で子供達に呼びかけているのはコーディだった。2日違いで生まれたハーディとローディより半年遅れて産まれた三女ケイトの息子コーディは末っ子のような扱いだった。明るくて子供受けがいい面白い性格のコーディの言う事を子供達はよく聞いて指示に従った。

10本しかないほうきを子供達が交替で使って落ち葉を1ヶ所に集め、その他の子供達が落ち葉を袋に入れていく。コーディは子供達1人1人に声をかけながら一緒に作業を手伝った。

 ハーディとローディは最初の説明だけ一緒にやると、パトロールに行くと言ってその場をコーディに任せた。

 アトラスは半分ほど作業が終わったくらいのところで現れた。

「コーディ!」

「あ、兄さん。お疲れ様です」

「捗ってる?」

「バッチリですよ! 子供達が一生懸命やってくれてるので!」

 コーディの周りには7、8歳くらいの子供達が集まってきていた。女の子と男の子がアトラスに気付き、走ってきて、自分が落ち葉を入れた袋を指さした。

「エレーナがこの袋いっぱいにしたの!」

「よく頑張ったね、エレーナ」

 アトラスはエレーナと名乗った女の子の頭を軽く撫でてやる。すると、一緒に来た男の子が競うように袋を掲げてアトラスに見せた。

「僕の方がすごいよ! エレーナより黄色い葉っぱが多いでしょ?」

「ケビン! やめて! 今は私が褒められる番なの!」

 エレーナはケビンの肩を軽く小突いた。ケビンはエレーナをからかって面白がっているらしく、ヘラヘラと笑いながら袋を見せつけた。

「もう! 何なのよ!」

エレーナが顔を真っ赤にしてケビンに殴りかかろうとして、ケビンは慌てて逃げて行った。

「鬼女が来るぞ!」

「ケビンったら!」

 アトラスとコーディはその様子を見て思わず口元が緩んだ。

「子供達は元気いっぱいだね」

「素直でいい子達なのは今だけなんでしょうね」

「もう少し大きくなったらギャングの悪口とか言い始めるよね」

「そうですよ。俺なんかもう、母さんの家に帰ると隣の家の兄弟から敵を見るような目で見られてますから」

「こればっかりは仕方ないよね」

「でも、俺はギャングの仕事が好きですよ。町の役に立ってる実感が湧くので」

「そう?」

「アトラス兄さんに直属の部下になってくれって言われて、俺達3人飛び上がるほど嬉しかったんですから」

「そんな大袈裟な」

「大袈裟なんかじゃないですよ。俺達はアトラス兄さんのこと最高の兄貴だと思ってるんですから。俺達3人はアトラス兄さんと最後までずっとお供するつもりなんですからね!」

「そんなに熱く語られるほどの人間じゃないよ、僕は」

「何言ってるんですか! アトラス兄さんがいなかったら今頃この町はグレイブ兄さんの狩場かジェシーの強制労働施設ですよ!」

「うん、それは怖い」

「ですよね!!」

 コーディ達の和気あいあいとした落ち葉拾いを最後まで見届けて、アトラスは校庭を出た。日暮れ前の涼しい風が吹き抜けて、ざわざわと木々をざわめかした。日中は少し暖かかったが、日に日に気温が下がっているのがわかった。

アトラスは空を見上げる。空は澄み渡っていて、ここが汚染されたウェイストランドの端っこだとはとても信じられなかった。


*     *     *


 夜、アトラスは遅めの夕食を食べに食堂に行った。

 食堂の手伝いの当番だった新人達は一通りの仕事を終えて帰った後で、ドロシーが1人で残りの食器を片付けていた。ドロシーはアトラスが来たとわかるとリヴォルタの略奪品の赤ワインを出した。

「あのさ、ドロシー、これは誰にも言わないでほしいんだけど」

 アトラスは味気ないスープをパンに染み込ませて食べながら話す。ドロシーは片付けを終えたので厨房のカウンターを挟んで向かい側に座り、アトラスの話を聞いてやっている。

「僕はやっぱりこの仕事には向いてないと思うんだ。屈強な男じゃないし、危険な仕事をできるわけじゃないし。それに僕は武器庫番がしたかっただけなんだ。銃を磨いている時が一番安心する。母さんのことをよく思い出すんだ。母さんは銃の名人だったから。ハンターだったおじいちゃんの影響で子供の頃から害獣駆除の仕事を手伝って山に入っていたんだって。今はその山も昔とは違う動物が住みついている。母さんが守りたかった山の秩序は壊されたままなんだ」

 酔っているアトラスの話は支離滅裂だったが、ドロシーはうんうんと頷いて聞いてくれた。アトラスはワインボトルを乱暴に振ってグラスに注ぐ。残り少ないワインは零れそうになりながらもグラスの中に収まり、その後すぐにアトラスに飲み干される。

「ドロシー、ごめんね。君は皆のお気に入りだからこの仕事を続けてくれないと皆が困る。でも、本当はギャングのために食事を用意するのなんてやりたくないだろ?」

「そんなことありませんよ」

 ドロシーは即答した。

「気を遣わなくていいんだよ。僕は誰にも言わないから」

 アトラスは人の気持ちを察するのが得意だ。口で言っていないことでもなんとなくわかってしまうから、時々気味悪がられることがある。ドロシーが心の底から食堂の仕事を楽しんでいることくらいアトラスは酔っていたってわかり切っているのに、それでもドロシーにはっきり言ってほしかった。

「いいえ、嘘じゃありません。私はこの仕事が好きなんです」

「本当かい?」

「だって、ギャングの皆はいつも大変な仕事をしてからここに来るんです。大した食事は出せないのに、おいしいおいしいって食べてくれるんですよ。皆が私の作った料理で元気になって、町のために頑張ってくれるのが私は嬉しいんです」

 ドロシーの目はとても優し気だ。いつもニコニコしていて、物腰が柔らかい。その雰囲気とは裏腹に体力のあるドロシーは365日ほぼ休まずおよそ40人分の朝昼晩の食事を提供している。食材の入った重たい袋も1人で担いで運べるし、野菜を目にも止まらぬ速さで手頃な大きさに切り揃える。頼りがいがあって癒される最高の厨房係だ。

「そうなんだ。君は優しいね」

 アトラスは食べかけのパンを見つめたまま動かずにいた。気付けばアトラスのワイングラスは空だった。

「パンの残りはお部屋に持って行かれるんですよね?」

 アトラスがワインをボトル1本飲み干したらそれが終わりの合図だった。スープが残っていようとパンが残っていようとアトラスはそれ以上食べない。おそらく食べたら吐く。酒に強いわけでもないのに飲まずにはいられない何かがあるとわかっているからドロシーは何も言わずにスープの残りを捨て、アトラスが残したパンを紙で包んで持たせる。

「きちんとベッドで寝てくださいね」

 ドロシーはどうせアトラスはそんな事を言ってやっても武器庫で寝るとわかっていながら優しく声をかける。酔いつぶれ寸前のアトラスは目を細めてうーんと唸りながら返事をする。

「わかってるよ。大丈夫。今夜はちゃんと寝る」

 アトラスはふらつきながら食堂の扉へ歩いて行き、もたれかかるようにして扉を開けると自室のある方へと消えていった。ドロシーはランタンを持って食堂を出て鍵をかけ、自分の家に帰った。もう午前1時を回っていた。


*     *     *


 翌朝、アトラスはまた武器庫で目を覚ます。その日は早く町を出て役所に書類を提出しなければならないのでハーディ達が叩き起こしに来た。住民達はいつも通りに働き、子供達は学校で勉強する。ウェイストランドの端っこのコピア汚染が懸念されるバークヒルズでも人々は当たり前の1日を精一杯生きている。アトラス隊はそんな日常を守るために今日も働いている。


*     *     *


 ギャング病院の病室は常に満床で、長く病気を患っている患者や怪我をした略奪部隊のメンバーでごった返していた。癖のある長い金髪をポニーテールにした男が1人1人の患者に声をかけ、励ましている。

「この薬は病状を良くする最低限の薬なんだ。しっかり飲んでください」

「わかってるよ、ジェシー。でも薬なんか飲んだって俺はもうダメだ」

 患者の男は金髪ポニーテールの男に弱音を吐く。この男こそがギャングの幹部の最後の1人、ジェシー・ローズだ。患者の男のやせ細った腕を取り、水の入ったコップを握らせ、ジェシーは薬を飲ませる。

「そんなことない。大丈夫。また仕事に戻れるから。しっかり飲んで」

 水と一緒に薬をごくんと飲み込んだ患者の男は弱々しい握力でジェシーの手を握る。

「ありがとう。ジェシー。俺達の最後の希望はお前だよ」

 夕日が窓から差し込み、ジェシーの白い肌と金髪をオレンジ色に染めた。温かな光に包まれたジェシーはこの世の者とは思えない美しさを放っていた。ジェシーが微笑むとそれだけで世界が救われそうであった。

「ジェシー兄さん! 事件です!」

「何だ?」

 飛び込んできたギャングの新人の弟の一言でジェシーの表情は一変した。新人をギロッと睨んだその顔には先程の患者に接していた時のものとは正反対の禍々しさが宿っていた。

「グレイブ兄さんがアマンダに負けました!」

「アマンダが……!?」

 ジェシーは一瞬にして天と地がひっくり返ったかのような衝撃を受けた。アマンダの快進撃は病院に缶詰状態のジェシーの耳にも時折入ってきている。いずれはジェシーの計画の邪魔になることも懸念していた。だが、こうも早くに幹部が2人ともアマンダの手に落ちるとは思っていなかった。

 ジェシーはクククッと小さく肩を震わせて笑った。

「あいつ、グレイブ兄さんまで……」

 病院内にはしばらくジェシーの不気味な笑い声が響き渡っていた。

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