第35話 チョコミント味の悲劇
手を伸ばしたわたしは、完全に体勢を崩してた。体が宙に浮くような感覚がして、坊ちゃんの顔が目の前に迫る。
体の小さな坊ちゃんが、わたしを受け止めれるわけがない。
わたしと坊ちゃんは、一緒になって床へと倒れ込んだ。
安っぽい金属音が響く。痛みはほとんど感じなかった。
体を起こすと、下敷きになった坊ちゃんが顔をゆがめていた。
「ご、ごめん……大丈夫?」
わたしが手を伸ばすと、坊ちゃんはそれを掴まずに顔を横に向けた。その先にあったのは銀色のお皿だ。穴が開いたように、中央部分だけ黒く染まっている。
「――――!」
坊ちゃんは勢いよく起き上がって、わたしの口に手を突っ込んできた。
「ふぁ、ふぁふぇ……!」
怒っているのかと思ったけれど、そうではなかった。坊ちゃんは化け物に追われながら探し物をしているような、そんな顔をしている。
(なにをそんなに怯えてるの? 坊ちゃんはスープを食べなかったから大丈夫なはずなのに)
坊ちゃんがわたしの背中をさすり始めて、それでやっと気づいた。
(そうだ。わたし、スープ食べちゃったんだ……)
頭の中が闇で押しつぶされるような、強いめまいを感じた。
(やばい…………吐き出さないと……!)
気を抜いたら意識を失ってしまいそうだ。それをこらえていると、自然と吐き気がこみあげてきた。
坊っちゃんを押しのけ、冷たい床に顔を向けて口を開く。すると蛇口を開いたように胃の中の物が逆流した。床に広がった薄緑の液体は、わたしの感覚に反して少なかった。おちょこ一杯分もない。
(もっと吐かないと……)
そう思っても、もう吐き気は込み上げてこなかった。乗り物酔いのときに、一度吐いたら楽になったことがある。それに似ていた。
気分もそんなに悪くない。視界は晴れて、顔を上げれば泣きそうな坊ちゃんの顔が見える。
わたしは思わず笑ってしまった。
「はは……大丈夫っぽい」
わたしが笑っても、坊ちゃんの表情は晴れない。それは他の人たちも同じだ。
猫目メイドさんは印象的な目を大きく見開いていた。そして姫ちゃんの肩を掴んでそっぽを向かせている。
眠気メイドさんは日常の光景をみているような、静かな目をこちらに向けていた。それでも今にも飛び出しそうな姉御ちゃんを脇に抱えるようにして押さえていた。
一番わかりやすいのがお人形ちゃんで、大きな声で泣いている。
(あれ? 無垢なメイドさんは?)
お人形ちゃんは一人で泣いていた。
無垢なメイドさんはその横で、座り込んでいる。わたしと同じで毒入りのスープにやられてしまったのかと思ったけれど、そうではないようだ。両手を頭に載せて、祈っている。
(わたしが倒れたから、祈ってくれたのかな?)
優しい無垢なメイドさんならありえそうだ。それでも、泣いているお人形ちゃんを放っているのは違和感がある。
無垢なメイドさんの頬に涙が見えた。
(あれ? 無垢なメイドさんも泣いてる?)
無垢なメイドさんは怯えるように震えていて、何かにとりつかれたように祈っている。
(どうしたんだろう? 怖かったのかな?)
部屋に猫の断末魔が響き渡った。自然と扉に視線が集まる。
「黒ドレスさん……?」
普段は食事中に姿を見せることはないけれど、お皿の落ちた音か何かを聞きつけてやってきたのだろう。
黒ドレスさんが扉の外に向かって大きな声を上げた。そして黒ドレスさんはまっすぐお人形ちゃんたちの方へと向かっていく。わたしたちの方に来なかったのは、なんだか意外だ。
黒ドレスさんが何か訊ねると、無垢なメイドさんはこくこくと頷いた。すると黒ドレスさんは無垢なメイドさんの腕を掴み――
ひねって組み伏せた。
(え? なにしてるの?)
わたしが立ち上がるのよりも、食堂の扉が開く方が早かった。入ってきたのは革の鎧を来た兵隊さんだ。
兵隊さんは黒ドレスさんと入れ替わる形で無垢なメイドさんの腕を掴み、引き起こした。そして拘束したまま、扉に向かって歩き始める。無垢なメイドさんは全く抵抗しない。
まるで犯罪者を連行しているみたいだ。
(そ、そんなわけないじゃない)
きっと無垢なメイドさんが毒を入れたと勘違いされてる。
お人形ちゃんが椅子から降りて、無垢なメイドさんに向かって走り出した。けれどその手が無垢なメイドさんに届くことはない。黒ドレスさんが襟首を掴んで止めたのだ。
お人形ちゃんは大きな声をだして暴れたけれど、黒ドレスさんが手を離すことはなかった。
(そんな、かわいそうじゃん!)
思わず一歩出たけれど、坊ちゃんに手を掴まれて止められた。他のメイドさんも動く気配はない。二人とも自分の担当する子供から決して手を離さずに、成り行きを見守っている。
無垢なメイドさんは扉の外に出されるとき、泣き出す前の子供のような目でわたしを見た。
扉が閉まると、黒ドレスさんが眠気メイドさんに目配せをする。すると眠気メイドさんが右手で姉御ちゃんを掴んだまま、人形ちゃんにもう一方の手を差し伸べた。
黒ドレスさんは、お人形ちゃんを眠気メイドさんに押し出すように手を離す。しかしお人形ちゃんは眠気メイドさんの手を避けた。そしてそのま、まこっちに走ってくる。
「――――――――!」
お人形ちゃんはわたしのスカートにしがみつき、何かを訴えかけるように見上げてきた。何を言っているかはわからないけれど、何をしてほしいのかはわかる。
(大丈夫。無垢なメイドさんの無実はわたしが証明してあげる)
頭を撫でてあげると、少し落ち着いたみたいでちょっとだけ笑みを見せてくれた。
(でもどうやって無実を証明すれば――)
わたしが考えこむのを止めるように、手が引っ張られた。坊っちゃんが突然走り出したのだ。身構えていなかったわたしは、引かれるがままにされるしかなかった。
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