第18話 わがままな胃袋と坊っちゃん
晴れてナースメイドという職を手に入れたわたしは、お屋敷の二階に立派な部屋をあてがわれた。
教室の半分ほどの広さのその部屋には、わたしが二人寝れそうなベッドと、光沢のある机がある。アタッシュケースとお金の入った袋はそこに置いてあった。
あともう一つある家具が木製のロッカーで、中に苔色のワンピースが二着掛けてある。
小さなバルコニー付きの窓からは花畑とトゲトゲの町が一望できて、それだけでお姫様になった気分だ。
問題があるとすれば、先ほどの男の子の部屋と、ドア一枚でつながっているということだけだろう。
(わたしがお世話する坊ちゃんなわけだから、仕方ないけど)
男の子改め坊ちゃんの部屋は、出入口がわたしの部屋とつながるドア一つだけだ。どこに行くにも、わたしの部屋を通らなければならない造りになっている。
子供が勝手にどこかに行けないようにするための造りなのだろうけど、自分のテリトリーを勝手に行き来されるのは落ち着かない。
おまけに部屋をつなぐドアも、廊下に出るドアも、建てつけが悪いのか、開け閉めをするたびに猫の悲鳴みたいな音が鳴り響く。
(贅沢言っちゃいけないんだろうけど、なんとかならないかな?)
今のところおとなしく部屋に閉じこもってくれているけれど、またいつ元気を取り戻してしまうかわからない。
鍵でもあればいいのだけれど、渡されたのは木製ロッカーの鍵だけだった。
(よく考えたら、廊下側からは誰が入ってきてもおかしくないんじゃん。プライバシーだけでいえば、昨日の小屋に劣るのか。強盗とかは入ってこないだろうから、安全なのはいいけど)
文句をつけていたらキリがなさそうなのでやめた。こんないい部屋に住めるだけで贅沢なのだ。
(とりあえず、お金だけロッカーにしまっておこう)
わたしが唯一持っている貴重品だ。スマホはバッテリーが切れて、ただの重たい板になっているけれど、一緒にロッカーに入れておく。この世界にきて無価値になってしまった財布も一緒だ。
アタッシュケースは大きすぎて、ロッカーには入らなかったので、そのまま鍵をかける。ロッカーの鍵は思った以上に固かったけれど、両手を使ったら何とか回せた。
(とりあえず、これでよし)
ベッドに横になる。
(仕事、楽だといいなぁ)
明日からのことを思い描いていると、さっき起きたばかりとは思えないくらい、あっさりと意識が落ちた。
~~~~~~~~~~~~~~~
窓から差し込む絹のような陽光に、無理やりまぶたを開かされたわたしは、三十分ほどボーっとしていた。
(そうだ。坊っちゃん……)
自分の仕事を思い出し、坊ちゃんの扉をノックする。
反応がなかったので、お寝坊っちゃんかと思い――
(最初の仕事をしてやりますか)
と意気込んで戸を引くと、猫の悲鳴のような音とともに扉は開いた。その向こうには、わたしの部屋とほぼ同じ構造の部屋が広がっていた。
中は静まり返っている。寝息すら聞こえない。
(まさか……)
ベッドに近づき、そっと布団をめくってみると、坊っちゃんの姿はなかった。
「いない!?」
わたしは部屋の外へと飛び出した。自重で閉まる扉が、後ろで怒るように鳴いている。
(こんなにうるさい扉なのに、出ていったのに気づかなかったの!?)
どうして? とか考えてる暇はない。任された坊っちゃんをいきなり見失ったとなると、クビなんてこともありえる。
(せっかく柔らかいベッドで寝れる生活を手に入れたのに!)
簡単に手放してなるものかと、坊っちゃんを探して屋敷の中を駆けまわった。
とはいえ、入っていい扉と、ダメな扉の区別がつかないわたしが動ける範囲は、意外と狭い。
二階の外周廊下と、バルコニーと、ロビーだけだ。そのどこにも坊っちゃんはおろか、人の姿一つすら見当たらない。
明らかに人の気配がある扉もあったので、皆が出払っているというわけではなさそうだ。
(どうしよう。片っ端から扉を開けて回るわけにもいかないし、だからといって行けるところはもう――)
わたしの思考を遮ったのは香りだった。カレー粉を入れる前のカレー鍋のような香りが、鼻をくすぐったのだ。とろけるまで煮込んだ玉ねぎの甘さが、口の中で再現される。
そんな場合ではないのに、胃袋はしっかり縮んで子犬のように甘えてきた。
(お子様の坊っちゃんも、ご飯の匂いに誘われて来てるかもしれないし)
すべての扉が閉め切られているのに香ってきているのだから、そう遠くはないはずだ。
(この扉の向こうかな?)
ロビーの椅子や机が置かれている場所の、ちょうど反対側の扉から香っているようだ。耳を澄まして扉越しに様子をうかがってみると、金具がこすれるような音が時折聞こえる。
声は聞こえないので、中にいるのは一人なのだろう。
(音と匂いからして、コックが一人かな? じゃあ坊っちゃんはいない?)
頭ではそう思っていても、お腹は扉の向こうに行けと言ってきかない。けれど、扉の向こうには、間違いなく知らない人がいる。
(どうせ中に入ったって、怒られるだけで食べ物にはありつけないよ)
そう言い聞かせて落ち着かせようとしても、わたしのお腹はグルグルと鳴いた。昨日は色々あったせいで、ろくに食べれてないのだ。
(ちゃんとお願いしたら、パンの一個くらい貰えるかも……ちゃんとお願いできたらの話だけ――)
猫の断末魔のような音を響かせながら、目の前の扉がゆっくりと開いた。
「ご、ごめっ……」
反射的に謝るも、扉を開けた人の姿は見えない。
「―――――」
よく通る子供の声に、目線を下げると、白目が印象的な男の子が、扉の隙間から顔をのぞかせていた。
(あ、坊ちゃん見つけた)
そう思うと同時に、扉が閉じられる。
「ま、待って……」
扉を開いて、飛び込んだ。
入って一番に目に入ったのは、小料理屋さんのようなカウンターテーブルだった。教室を半分にしたくらいのスペースの奥にあって、椅子が四つ置いてある。
坊ちゃんは一番左の席に向かっていた。わたしが部屋に入ったのはわかっているはずなのに、見向きもしない。
(料理していたのは坊ちゃん……なわけないよね)
カウンターの向こうにも同じくらいのスペースがあって、調理場になっているようだった。そこに小太りのおばちゃんがいる。
エプロンが革製のようで少し汚く見えるけれど、優しそうな目元とかは、いかにも学食にいそうなおばちゃんといった感じだ。
「ども……」
目が合ったので会釈だけしておく。
その間に、坊ちゃんは椅子によじ登って、座面に立っていた。
(え? 行儀悪い)
坊ちゃんはそのまま、調理場をじっと見つめていた。まるでおばちゃんを睨みつけているようだ。
おばちゃんはそれを気にする様子もなく、手際よく野菜や肉を切り、鍋へと流し込んでいく。
「ね、ねぇ……危ないよ?」
わたしが近寄って、なけなしの声をかけても、調理場を睨むのをやめない。
(そんなに集中するほど面白いの? それともコックさんにあこがれてるとか?)
それだったら、邪魔をするのはかわいそうだ。でも坊っちゃんの目は、嫌いな人を睨みつけているような感じで、あこがれの人に向けられるようなものではない。
(あれ? もしかして、嫌いな野菜とかを入れられないように見張ってる?)
気持ちはわかる。わたしだって、ピーナッツは極力料理に入れないでほしい。おやつでも駄目だ。
でも、わたしは一度も文句を言ったことはない。
(わたしの場合は、ただ文句を言う勇気がなかっただけだけど)
でも、それを『いい子』だと捉えられる場面は多かった。
(実際、好き嫌いはよくないよね。こういうしつけも、わたしがやらないといけないのかな?)
ちゃんと注意しなかったからクビ――なんてことになったら困る。それに、椅子から転げ落ちてケガなんかされたら、クビじゃ済まないかもしれない。
(やめさせよう)
そう心に決めて、坊ちゃんの両脇に手を差し込んだ。
「き、嫌いなものも……食べないとダメ」
そう言いながら抱き上げる。
(重たっ……!)
ボーリングの玉くらいを想像していたら、教科書がたくさん詰まった机くらいの重さがあった。これくらいの子供を抱っこしているお母さんは、アニメとかではよく見る。母は強しという言葉は、物理的にも適応されるらしい。
「――――!」
持ち上げたときはおとなしかった坊ちゃんが、思い出したかのように暴れ始めた。
「ちょ……無理っ……!」
半ば落とすように床に下ろすと、坊ちゃんはわたしを部屋の端へと押し込んでいく。
「ご、ごめんて……」
わたしはされるがままに下がった。そこで罵声でも浴びせられるのかと思ったけれど、坊ちゃんはすぐにわたしから離れて、さっきの椅子に戻った。
当然のように椅子に立って、調理場を覗き込んでいる。
(そんなに食べたくないものがあるのかな?)
わたしは坊ちゃんのすぐ横に立って、一緒におばちゃんの作業を見ることにした。横にいれば、もし坊ちゃんがバランスを崩しても、すぐに支えられるのでケガをされる心配もない。
(それにしてもこのおばちゃん、すごい集中力だよね。わたしと坊っちゃんがこんな騒いでたのに黙々と作業してるんだもん)
すでに具材は入れ切ったのか、ぐつぐつ音を立てる鍋を混ぜていた。鍋から出ているのは音だけではない。わたしを導いた香りがより強く、より複雑になって鼻をくすぐった。
(あ、まずい……)
お腹の虫がうなり声を上げる。
あんなに集中していたおばちゃんが顔を上げてこっちを見た。コックだからお腹の音には敏感なのかもしれない。
(やばい。めっちゃ恥ずかしい)
おばちゃんは嬉しそうに表情をほころばせた。
そして何か一言だけ何かいうと、鍋に蓋をしてレバー式の留め具で固定する。そして厨房の奥の扉へと姿を消した。
扉は閉まりきる前にまた開き、戻ってきたおばちゃんの手には、テニスボールみたいにまん丸のパンが一つだけ握られていた。
おばちゃんはパンを握った手をわたしに向かって突き出した。
「え? いいの……?」
わたしが自分を指さすと、おばちゃんはこくこくとうなずく。
「あ、ありがとう……」
とわたしが手を伸ばそうとすると、その手首が横からつかまれた。
「ぼ、坊っちゃん!?」
その手はとても熱かった。
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