第17話 怠け者のナースメイド
夢を見ていた。それがどんな夢だったのかは思い出せない。覚えているのは、ものすごく怖い夢だということだけだ。
確かに残る恐怖は思い出すことを拒む。そして思い出せないという事実が、恐怖を無限に増幅させる。
(せっかく忘れたのに、思いださないといけないの?)
ふと浮かんだ疑問とともに、目を開いた。部屋は明るいけれど、寝起きの目でも眩しくは感じない。
目の端に見えた黒い人影にも、なぜか驚いたりしなかった。
「誰……?」
まだ夢見心地だった目が、声を出したことで冴えてくる。起き上がる前に背中をぐっと伸ばすと、人影の顔がちょうど見えた。
「く、黒ドレスさん……?」
その名前を口にしたことで、完全に頭が現実に引き戻された。それでも今の状況が、すぐには飲み込めない。
(どうしてわたし寝てたの? それにここって……)
お屋敷に入って、謁見の間みたいなところに通されたのは覚えている。
でもここは、ちょっと広いビジネスホテルの一室といった感じだ。部屋にあるのは大きな窓と、わたしが寝ているベッド。その傍らで黒ドレスさんが椅子に座っている。奥の壁際にはタンスが見えた。
「――」
「うぇ!?」
黒ドレスさんのものでない声が聞こえて、心臓が飛び出そうになった。
視線を落とすと、黒ドレスさんの椅子の横で、男の子が正座をしている。白目が広くて印象的な目は、記憶にしっかりと残っていた。
(ロビーにいた子だ)
この世界でも正座は反省とか、そういうときにさせられるものなのだろうか。少年の印象的な目は涙で濡れていた。そういえば声も少し震えている。
(何かイタズラでもしたのかな? そういえばロビーでも黒ドレスさんに反抗的な態度をとっていた気がするし……。いや、ちょっと待って。正座させられるにしても、どうしてこんなとこで?)
廊下とかで正座させられるならともかく、外部の人間であるわたしが寝るベッドの横でなんて、まるでわたしに見えるように座らされてるみたいだ。
(ん? もしかして、本当にわたしに見えるように座らされているんじゃ?)
わたしがここで寝ているのと何か関係があるのだろうか。
(ダメだ。思い出せない。そもそも関係ない可能性もあるわけだし)
よくわからないけれど、男の子の今にも泣きだしそうな顔を見ていると、わたしが悪いことをしている気分になってくる。
(もしかして、わたしが何も言わないと、ずっと座らされたままなのかな?)
とはいえ、何をどうやって伝えたらいいのだろう。
「も、もう大丈夫だから……」
自信も勢いもない言葉は、口先でこねるだけで終わった。
二人の視線をひきつけるくらいのことはできた気はするけれど、そもそもわたしの言葉では何も伝えられない。
(言葉が通じたとしても、上手くやれる自信ないのに)
だからといって、推理ショーのときのように、アニメを作って何とかなる状況でもない。
(でも、このままだと気まずいし、放っておくと可哀そう。わたしが怒ってない……っていうか、許してるって伝わればいいんだよね?)
わたしはベッドから降りて、少年のほっぺたを両手でつねり上げた。
「ご、ごめんね……」
「――!」
少年の悲鳴は、頬をつままれている人特有の、こもった感じになっていた。
黒ドレスさんは立ち上がってこちらに手を伸ばしたけれど、わたしと目が合うと見開いていた目を細めて、微笑みへと変えた。
(もう大丈夫かな?)
わたしは男の子から手を離し、頭をポンポンと撫でた。
「痛かった……?」
「――!」
男の子はわたしの手を振り払い、扉へと駆けていって、転びなが出ていった。
(足、痺れてたのかな? 一回怒ってからの頭ポンポンで許したアピールできるかと思ったんだけど)
無事に男の子は解放されたので、結果オーライだ。
黒ドレスさんは大きな声を出して笑っていた。
わたしは立膝の状態から立ち上がって、何となくスカートの埃をはたいた。
「ん? スカート?」
わたしは黒ジャージを着ていたはずだ。そもそもわたしはスカートなんて、学校の制服くらいでしか身に着けない。
(スカートを一着も持っていないわけじゃないけど……)
わたしが困惑しているのを感じ取ったのか、黒ドレスさんはタンスの横にある、木製のロッカーみたいなものの戸を開けた。
戸の内側は姿見になっていて、わたしの全身を映している。いつの間にか着ていた深緑色のワンピースは、後ろにある窓が逆光を作り出しているせいか、苔むした水槽のような色に見えた。
わたしの艶のない黒い髪と悪い意味でマッチしていて、中途半端な海外ホラーに出てくる幽霊のようになっている。
(ポルターガイストとかで戦うタイプだ)
黒ジャージから、幽霊少女へとクラスチェンジしてしまった。
(この服って、門に入ったところの庭にいた女の人たちが着てたのと同じやつかな?)
それをいつの間にか着せられていた。何か理由があるのだろうか。
(わたしもここの学校に入ることになったとか? いや、そもそもみんな同じ服を来てたから学校みたいって思っただけで、ここが学校とは限らないんたよね。というか、学校じゃない気がする)
学校にメイドさんがいるわけないし、謁見の間があったりもしないはずだ。
(やっぱり王様か、お金持ちのお屋敷なのかな? じゃあこの服を着た女の人たちは使用人? 外にいたのは休憩中だったから? でも子供と一緒にいたよね)
あの子供は誰の子供なのか。思いついたのは三つだった。
(一つはあの女の人たちの子供。これは休憩中だったってことになる。二つ目はお屋敷のご主人の子供。これの場合は、女の人たちは子供の世話をするナースメイドで、仕事中だった)
そして三つめは――
(ご主人がお父さんで、あの女の人たちがお母さん)
自分で思いついておきながら、人体模型を見たときみたいな、怖いような気持ち悪いような、とにかく嫌な気分になった。
(でもいずれにせよ、さっきの男の子にも、メイドさんがついていないとおかしいような……)
黒ドレスさんは一人で遠出していたし、違う気がする。ナースメイドかお母さんだったら、あの歳の子供を残して遠出はしないだろう。
(ナースメイドは女の子にしかつけないとか? もしくはまだ会っていない、怠け者のナースメイドがどこかにいるとか)
正面の姿見を見ると、ナースメイドと同じ苔色のワンピースを着たわたしがいた。
(あ、怠け者のナースメイド発見)
わたしの反応をじっと見ていた黒ドレスさんが、にっこりと笑ってうなずいた。
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