第6話 始まりの場所へ

 食事が終わってから少年とは別れ、交番へと戻った。


 お巡りさんはわたしにアタッシュケースを返すと、バイバイと手を振って送り出そうとする。


「え……? 困る……」


 こんなわけのわからない場所に放り出されてたまるかと、わたしはお巡りさんの前から一歩も動かなかった。


 お巡りさんは人の良さそうな笑顔を少しだけ困らせると、小さくため息をつき、手招きして外へと出かけた。


(え、また出かけるの?)


 正直わたしは休みたかったけれど、一人で人の家にいれるほど肝は据わっていない。後ろをついていくと、歩いたことのある道だと気づいた。


 少年の家に向かう道とは方向が違う。つまり――


(女の子が殺された小屋……)


 森に入ったあたりでそれは確信へと変わった。


 登山道を思わせる一人分の道。ここを十分も登ればあの小屋だ。


 短い距離だけれど、運動不足のわたしが荷物を持って歩くとどうなるか。


 半分くらい歩いただけで足が重くなり、お巡りさんの背中が離れ始める。


「ま、待って……!」


 森の中で一人になるのが、とても怖かった。昨日は夜でも、一人でも歩けたのに。


(女の子が殺されたのを見たせいかもしれないし、牛が殺されるところを見たせいかもしれない。どちらにせよ気持ちのいいものじゃなかったな)


 お巡りさんは振り向いて待っていてくれた。


 そこから少し進むと道が広がり、傾斜が緩くなって視界が開けてきた。小屋は視線を左にずらしたところにある。


 相変わらず簡素な小屋だけれど、窓が小さいからか、集落に並ぶ家よりも頑丈そうに見えた。


 お巡りさんがドアの近くでかがんだ。地面に残る足跡を見ているようだ。


「たくさん人が集まってたから、調べても意味ないと思うけど……」


 ドアが開いたときのことを、思い出してみる。


 開けた瞬間にお医者さんと、女の子のお父さんとお母さん……と思われる人が飛び込んできた。その後に入ってきたのがお巡りさんだ。


 外で中をうかがっていたのは少年と、木こり風の大男。あと黒ずくめの美人さんだ。


(記憶違いでなければ全部で七人。ってことは、ここに七種類の足跡があるってことだよね)


 踏み固められていない土は、乾いていても十分に靴底の形を残していた。


 最も特徴的だったのがハイヒールの足跡だ。かまぼこ状の小さな穴がいくつも残っている。


(黒ずくめの美人さんの足跡かな)


 大きな厚揚げみたいな足跡は、木こり風の大男。小さいのは少年のだろう。


 踵とつま先が綺麗に分かれているのがお巡りさんの革靴。扉の前で地面を蹴った跡を残しているのがお医者さんので、その後ろで寄り添うように並んでいる、足先にスパイクのような跡があるのが、女の子のお父さんとお母さんだと睨んだ。


(あれ? これ……)


 もう一つ足跡があった。お巡りさんの足跡と同じで、つま先と踵がはっきりと分かれていて、少し小さくて足先の丸みが強い。


 もしかしたら黒ずくめの美人さんの足跡はこっちかもしれない。でも大事なのはそこじゃなかった。


(足跡が八つある)


 朝にいた七人以外の足跡があるということだ。


「ね、ねぇ……」


 震える手で、お巡りさんの背中に触った。


 足跡を見ながら考え込むようにしているお巡りさんは、顔を上げると、両手を肩のあたりで上に向けて『さっぱりだ』とでもいうように首を横に振った。


「いや、は、八……」


 わたしは指の本数を7から8に変えるのを何回もやって、それを伝えようとした。でもお巡りさんは足跡にちらちらと視線を向けるだけで、よくわかっていないようだ。


「あ、のね……このハイヒールの足跡が黒い女の人ので、この大きなのが、こう……大きな男の人の。これがさっきの少年ので……」


 と一つ一つ身振りを使って、説明していった。どこまで伝わったのかはわからない。でも説明し終わるときには、お巡りさんは八つ目の足跡の存在に、やっと気づいたようだった。


 お巡りさんが八つ目の足跡をたどり始めたのだ。するとその一つだけ、別の方向から来ていた。


(この一つだけ集落じゃない方向から来ている? ということは……)


 犯人は外部から来た。そして同じ方向に足跡が戻っていないところを見ると、集落に向かったのかもしれない。集落とここを結ぶ道は踏み固められてしまっているのか、足跡は一つも残っていなかった。


 お巡りさんが足跡の来ている方向を指さす。山を登るハイキングコースといった様子で、人が歩くために作られた道のように思える。


(え? まさか――)


 お巡りさんはその道へと入っていった。


(ど、どんだけ体力あんの……!)


 出遅れたわたしは駆け足になった。上り坂に入ったとたんに、体重が足にのしかかる。


 駆け足は一瞬にして牛歩へと変わり、お巡りさんの背中は離れていく。鉛の足を引きずるようなこの感覚に、なんだか覚えがあった。


(ああそうだ。昨日このアタッシュケースを処分するために、山を登ったんだった)


 だからこの次に、何が起こるのかも分かっている。


(アタッシュケース重い……)


 わたしを邪魔するために、ダンベルに生まれ変わったのではないだろうか。そう思えるくらい、両手に負荷をかけてくる。


 小屋に置いてくればよかったと、今更ながら思う。そこらへんに置いてもいいような気はするけれど、大事な物ではあるので気が引けた。


(この世界に置いて、元の世界に帰れれば完全な処分になるかな?)


 そもそも元の世界に帰る方法がわからなければ、そんなことを考えても意味はない。


「――」


「うぃっ!」


 突然話しかけられて変な声が出た。目の前にお巡りさんが立っている。


「なっ……え?」


 体がこわばる。お巡りさんはお構いなしにこちらに手を伸ばし、アタッシュケースを奪った。そしてそのまま道を登っていく。


「あ、ありがと……」


 足が軽くなり、お巡りさんの後ろをついていけるようになった。


(もしかしたら、わたしがあまりにも遅いから、まどろっこしくなっただけかもしれないけど)


 とりあえずアタッシュケースを持ってくれたことには感謝して、追いかけていく。


 足跡を追って進むこと、十五分くらいだろうか。荷物無しでも足がだるくなってきた頃に、坂が緩くなってきた。


 横にずれてお巡りさんの前を確認すると、ちょっと行った先で道が広くなって、広場のようになっている。


(何の広場だろ?)


 そう思ったところで、お巡りさんがわたしの前に手を伸ばして立ち止まらせた。


「なに? どうしたの?」


「――――」


 お巡りさんが足元を指さした。こちらに向かってきている足跡の下に、四角い何かが置かれた跡があった。二十インチのディスプレイほどの大きさで、なんだか見慣れた雰囲気を感じる。


(工具箱かな?)


 犯人は閂のかかった小屋に入らないと女の子を殺せなかったわけだから、どうにかして扉を開けたはずだ。そして出るときに閂をかけ直している。きっと何かしらの工具を使って、閂を外したり戻したりしたのだろう。


(でも閂って工具で簡単に外せるのかな? あれ結構重かったし。でも工具箱じゃなかったら何の跡だろう?)


 お巡りさんが何か思いついたように息を吸うと、わたしのアタッシュケースを四角い跡に上に置いた。


 なんと横幅はぴったり。寝かせると縦幅もぴったりだった。


(ああ、だから見慣れた感じがしたんだ)


 そういえば最近。こうやって土の上に置いた覚えがある。その場所もこんな森の中で、広場の手前の道だった。


 お巡りさんがわたしの足元を指さす。足跡を踏んでしまっていたのだ。


「あ、ごめっ……」


 脇によけると、その場所だけ足跡がわたしのに置き換わって――


(……ない?)


 その場所だけ足跡の向きが変わっただけで、同じ跡がついていた。


(あ、もしかして……)


 気まずさを感じつつ、ゆっくりと後ろを振り返った。道には追ってきた足跡のほかに、わたしとお巡りさんが残してきた足跡がある。


 そのうちの一つ。お巡りさんのじゃない足跡は、道を下っていく足跡とまったく同じだった。つまりこれは――


(わたしの足跡だ)


 足をどけると、間違いなく同じ足跡が残っていた。お巡りさんもそれを確認する。


 お巡りさんは怒ったりする様子はなく、道の先を指さして何か言った。


(こっちから来たのか……的な?)


 昨日の今日のことなのだから、思い出せないわけがない。


「えっと……うん。ここから、ね。下りたら女の子が優しくて……」


 そうだ。疲れ切って、不安でいっぱいだったあのとき、女の子の優しさがすごくうれしかった。


 何を言ってるかわからなかったけれど、たくさんお話ししてくれて、お医者さんを説得して、わたしを小屋で休ませてくれた。


「なんで、殺されなきゃならなかったんだろう……」


 ぼそっと口からこぼれた。


(そうだ。ここがあの道なら)


 アタッシュケースを拾い、さほど広くない広場へと入る。わたしの足跡は広場の中央あたりから、まるで車から人が降りたかのように始まっていた。


(ここが、わたしが異世界に降り立った場所)


 わたしが寝ていたような跡も、よく見れば確認できる。


 でもそれだけだ。何か特別なアイテムが落ちていたり、祠があったりするわけでもない。


 わたしがなぜここに来たのか。帰るためにはどうすればいいのか。そういった手掛かりが一切無いのだ。


(何もわからないんじゃ、帰らなくたって、誰も文句言わないよね)


 なんだかワクワクしてきた。不安に慣れてきたせいだろうか。帰らなくていい遊園地に来たような気分だ。


 お巡りさんがわたしの肩に手を置いた。


「なに……?」


 振り向くと、お巡りさんは目を大きく見開いた。わたしが笑っていたから驚いているのかと思ったけれど、すぐに捨て猫を見るような悲しい顔に変わって、わたしが驚かされた。


 お巡りさんがポケットからハンカチを取り出して、こっちに突き出した。


「え?」


 じっとそれを見ていると、お巡りさんはハンカチをわたしの右頬に押し当てる。


「そんな……?」


 左頬に触れると濡れていた。


「どうして…………?」


 帰りたい場所なんてなかった。家に帰ったって、部屋に閉じこもるだけ。世間体を気にする親にどやされ、妹に汚点扱いされる。そんな場所に帰ったって、嫌な思いをするだけだ。


(そうだ。途中のゲームがあったっけ。それのせいだ)


 そんなわけない。確かにゲームもアニメも好きだったけれど、取り上げられて泣くほどじゃなかった。わたしにはそんなものにしがみつけるほどの、モチベーションすらなかったのだから。


 じゃあなぜ、今わたしは泣いているのか。


 簡単だ。わたしは帰りたかったのだ。そこが帰りたい場所でなくても――だ。


(だから、これを捨てに来た)


 手元のアタッシュケースを見る。これさえ無くなれば、わたしは胸を張って家に帰れるのではないか。そう思っていたのだ。


(世界は、わたしのことが嫌いなのかな?)


 わたしにとっては一大決心だった。それをこんな形で踏みにじるなんて。


 涙がドリンクバーのごとく流れ出るのが悔しかった。わたしをこんなに大泣きさせられて、さぞかし世界は喜んでいるのだろう。


 わたしに親切にした女の子が殺されたのも、きっと世界の意向だ。世界がわたしに嫌がらせをするために、殺人事件を起こした。


 意地悪な神様が転生の担当だったところまでは、ギリギリだけど許せる。でも女の子を殺したことは、絶対に許せない。


(次のターゲットは、あたふたしながら涙を拭いてくれてるお巡りさん?)


 その思いつきで、一気に目が覚めた。


「そんなこと……させない」


 お巡りさんからハンカチを奪って、目を思いっきりこする。涙は止まった。


「小屋を……調べよう! 犯人を捕まえるんだ!」


 ハンカチを突き返されたお巡りさんはさっきよりも大きく目を見開いたあと、人の良さそうな笑顔でうなずいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る