⑦
「椿!おい、この血……」
椿に駆け寄り、先に勇気を彼から離す。
「勇気くんだね?」
「うん……」
「怪我は?」
「してないよ……ちょっとこわかっただけ……」
そう話す勇気の肩を軽くたたき、古谷に預ける。
「由衣ちゃん、危ないから外に出てて」
「でも、椿さんが……」
「大丈夫だから。君が怪我する方が、椿も嫌がる。だから外に……」
多田に彼女を連れて行かせ、椿に視線を戻す。
「椿、それ放せ。もう良いから」
椿は右手のひらから出血していた。何があったのかは分からないが、恐らくナイフを手にした永野から勇気や由衣ちゃんを守るために、素手でそれを取り押さえたんだろう……無茶なやつだ。鷹斗はそう想像できた。
「椿、手当てするからとりあえず……」
「ダメだ。先に永野を何とかしろ。放っておいたら死ぬぞ……」
椿の視線を辿ると、腹部から出血し倒れこむ彼女の姿が目に入る。
「一体何がどうなってるんだ」
「死のうとしてたんだ。勇気と一緒に。だから俺は、勇気を奪ってナイフを止めた。でも、まさかもう一本持ってるとは……すまない」
鷹斗は永野の手当てをする。と同時に、大元らが到着し、応援の警察官と救急隊員も駆けつけた。
「永野さん、あなたがしたことは立派な犯罪ですよ。娘さんを亡くして、辛い思いをしたことには同情します。けど、あんたが勇気くんを傷つけたら、真壁さんだってあんたと同じ思いするんだ!自分と同じ気持ちを、あの人にも味わわせる気なのか!?」
鷹斗はそう怒りをあらわにした。
「松風、落ち着け……。永野さん、あなたからはしっかりと話を聞かせていただきます。だから今は、病院に行って手当てをしてもらってください。話はそれからです」
大元は、鷹斗を彼女から引き離しながら、あとを救急隊員と警察官に任せた。
鷹斗は大元の腕をはねのけ、椿の手当てに戻った。
「俺がもう少し早く来てたら……ごめん、怪我させて……」
消毒し、ガーゼを貼りつけ、包帯を丁寧に巻く。
「いや、別にお前のせいじゃ……とっさに出たのが素手だったんだよ」
「それはどうかと思うけど、お前の性格だったら……出るわな。でも、俺がいれば怪我させずに済んだ……」
巻き終わりをテープで留め、椿を立たせる。
「お前さ、なんでこんなの持ってんの?」
床に置かれたままの救急セットを見つめ、椿はそう聞いた。
「怪我したとき用に持ち歩いてるだけだけど……?」
小さな救急ポーチには圧縮された包帯とガーゼ、使いきりの消毒綿、軟膏、ハサミ、サージカルテープと、一通り揃えられていた。
「椿君、怪我は大丈夫かね?」
大元はそう尋ねる。
「ええ、問題ないですよ。ただの切り傷ですから。それよりも……」
そう口にしたとたん、椿は突然黙り込み、一点を見つめていた。
「椿さん……?遅いから心配で来ちゃいま……どうしたんです!?」
「いや、分からない……急に……」
由衣は椿に触れる。
「……そっか……椿さん、多分今この家の思念を感じてるんだと思います……自分が意図してなくても、急に思念が流れ込んでくることがあるって言ってました。たぶんそれかと……」
思念、それは残留思念ともいい、人間が強く何かを想った時、その場所に残留するとされる思考や感情のこと。
「由衣ちゃん、椿は今何を視てるか分かる……?」
「そこまではちょっと……でも、この家での生活の記憶や起きたことを椿さんは感じています。私も椿さんと同じものが視えればいいんですが……そこまでは……」
美空が生まれ、この家に帰ってきたときからの思念がここには残っていた。
昼夜問わず泣き、そのたびに抱いてあやす永野の姿。
離乳食を食べ始め、辺りを汚しながらも楽しそうに食べる娘の姿。
両親の愛を一身に受け、すくすく成長する娘。それをいとおしそうに見つめる永野ら夫婦の姿。
椿は突然目を見開き、何かに釘付けになっていた。
彼が今何を視ているのか、鷹斗らには分かるはずもなく、彼が戻ってくるのをひたすら待つしかなかった。
そして椿が立ち続けて二十分。ようやく彼は戻ってきた。
「椿、お前……何を視たんだ?」
「この家で、事件があったんだ……十年前、この家で永野の娘が殺された―――。今回の事の発端は、それが関係してたんだ……永野も、被害者だ……」
椿の話を聞くべく、一旦本庁へと戻った一同。
少しの休憩を挟み、大元は目の前に椿を座らせ、話に耳を傾けていた。
「椿君、ゆっくりでいいから全て話してくれ。まずは、永野が犯人だとそう思った理由は?」
短く息を吐きだし、椿は説明した。
「正直に言うと、直感です。俺は初めから、彼女が怪しいって言ってましたよね?何か気になって、ずっと彼女を見ていたら犯人だろうな……と。で、真壁勇気に侵入して、彼から永野の元にいるって聞いたんで、彼女を調べろと鷹斗に……すみません、特に根拠がなくて」
「じゃあ、次。彼女の娘って言うのは?」
「伏せられた写真立てを視たら、娘とともに写った永野の姿があって、家に行ったときに確信しました。で、名前や楽譜に書かれているのからもう一つの自宅も見つけて……ですけど……」
「どうしてもう一つの自宅があそこにあると?」
「彼女は娘の美空を溺愛してた。多分、どんな親でもそうなんだと思います。けど、彼女の場合、それが人一倍強かった。それは彼女が写真を思い浮かべた際に感じた感覚です。で、彼女は娘の名前を音階に変え、楽譜に書いていた。これは音楽の先生だからこその……って感じでしょう。それが、偶然なのか必然なのか……江賀市と美空と掛け合わされていた。まさかと思って、娘の生年月日の場所に向かったら自宅が見つかり、中に入ったら本人と勇気くんがいて、今に至るって感じです」
椿はそう説明する。
「……報告書に書けんよ……術とその推理力で解決しましたとは……なかなか書けんんじゃないか……」
大元はこめかみを掻く。
「まあいい。で、ここからが本題だ。君はあの家で何を視た?」
「残留思念……のことですよね?」
「そうだ。君はあの家で娘が殺されたと言ったね。それは一体どういう……」
「そのままの意味です。娘の美空は、あの家で殺されてます。と言っても事件に巻き込まれたわけじゃない。不慮の事故だ。だが、永野はそうとは思ってない。だから、復讐のために今回の事件を思いついた。事故に見せかけて勇気くんを殺してやろうと……」
そう椿が話す。大元は「なぜ自分の娘が亡くなった復讐に、勇気くんを……?どう関係が?」と首をかしげる。
「……永野の娘さんを間接的に殺してしまったのは……真壁だったんだ……」
椿の衝撃的な発言のせいで、異捜ルームは凍り付いた。
「間接的に……って……一体……」
「あの家は改装されてた。多分、家を建てた人物と改装した人物は同じ人間だ。家を建てた際に防音にしたんだろう。防音にしてあるから外に音が漏れなかったんだ。だから勇気くんを匿えた。防音にしたのは、永野の娘である美空が生まれたころだろうな。近所に泣き声で迷惑を掛けないようにと思っての配慮だと想像できる。そして娘が小学生に上がってしばらくしたころだと思う……。建築を依頼した人間が家に来た。今度は自宅の改装のために……。それが真壁だったんだ。真壁は改装の理由と内容を聞き取り、工具やら建築資材やらを自宅内に運び入れる。その時に事故が起きた。娘の美空が真壁の工具類に興味を持っていたんだ。これはなに?と何回も聞いていた。真壁もそれにちゃんと答えていた。もちろん危ないから離れるようにとも注意を促していた。だが、美空は……真壁が使っている工具を手に取り、作動させてしまった。それを止めようと脚立に上っていた真壁は降りたが、美空はその工具を自分に向けてしまっていた。そして運悪く作動した工具が美空の胸に……永野は一部始終を知らない。だから、真壁が殺したと思っている……。病院に連れて行った際もこれは人から受けた傷ではないと医師が言ったそうだ。だが……永野はそれを信じていない。だから今回の事件を起こし、勇気を人質に真壁と話そうとしていたんだ。だが、勇気は永野に懐いている。怖がることもせず、永野と遊び、食事を摂り、一緒に暮らした。永野は、いつの間にか……自分の子どもと暮らしている感覚に陥り、勇気と死のうと……」
椿は自分が視た残留思念の内容を話していた。
「……それが、君が視たものなんだね?」
大元にそう聞かれ、彼はうなずいた。
「分かった。ありがとう……後の捜査は我々が行う。君はここまでで構わない。また何かあれば声を掛けるが……」
「ええ。いつでも声かけてください」
そう言うと、椿は由衣とともに自宅へと帰っていった。
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