31.力強く

 はい、お母さん。

 デイジーの誘導指示通りです。

 ここから二キロメートルの地点に。

 生体反応は五体。

 ひとつはデミヒューマンですね。

 性別はありません。

 ほか四体は旧人、性別はすべて男性です。

 タスリナたちが、もう向かっています。

 ええ。

 驚くでしょうね。


 驚かれるのも無理はありません。

 あなたたちがデイジーとの接触を断って、三百年以上。

 それまでも長い間、地球の情報は公表されてこなかったようですから。

 ひとまず、私たちの住処へご案内します。

 大丈夫。

 酸素濃度はやや高いですが、害はありません。

 乗ってください。

 ええ、この車はすべて有機物でできています。

 燃料は水素です。

 燃料電池と同じ仕組みですよ。

 構成物質は有機物です。

 水素は私たちの体が生成しています。

 私たちの体にはツェリン素子が内包されていますから。

 よろしいでしょうか。

 では、行きましょう。


 ようこそ、リトル・ルナのみなさん。

 お待ちしていました。

 どうぞおかけください。

 私はオンタリオ。

 ここ、緑の塔のリーダーです。

 まずは、私たちのことをご説明しましょう。


 どう思う。

 ああ、そうだな。

 ちょっと信じられないな。

 人が光合成で生きているなんて。

 まさか地球がこんな形で進化しているとはな。

 光合成なら、光と水さえあれば生きていける。

 つまり、誰にも頼る必要がない。

 自らの生存に必要なエネルギーは、自らが生み出す。

 それぞれが独立した存在だというのも、うなずけるな。

 しかも、体内のツェリン素子は水素を生み出せる。

 生活に必要なエネルギーも賄えるということだ。

 それと、この素材。

 あの塔もそうだったが。

 この建物もそうだ。

 床もテーブルも。

 これは有機物なのか。


 みなさん、昨日はよくお休みになれましたか。

 それはよかったです。

 ええ。

 果物や野菜は豊富にありますから。

 そうです。

 私たちが使っているすべての材質は有機物です。

 建物などの構造物も、機械や電子機器もすべて。

 超高度AIも、有機コンピューター上で走っています。

 無機物に比べるとライフサイクルは短いですが、材料が枯渇することはありません。

 サイクルを維持できれば、永久に持続していきます。

 当然ですが、炭素も消費していません。

 かつて地球を支配していた炭素社会は、大きな発展をもたらしました。

 エネルギーを大量に生み出し、消費する。

 それは力強く、活力に満ちた社会でした。

 しかし、私たちはそれとは違った社会を構築しています。

 私たちの体も、あなたたちとは異なっています。

 私たちは雌雄同体です。

 見かけ上はかつての女性に近いですが、単一の性ではありません。

 体内に精子と卵子を備えています。

 一定の年齢に達したら受精し、この塔の中にある人工胚に受精卵を移します。

 そこで発育して、約十か月後に新生児が生まれます。

 これが私たちの暮らしです。

 それぞれが自らの力だけで生き、暮らし、死んでいく。

 結婚もしないし、伴侶も持ちません。

 その代わり、貧困も差別も争いもありません。

 これまでのところは。


 そりゃあ快適だよ。

 いいことずくめだ。

 食い物はうまいし、何より健康的だ。

 リトル・ルナとは大違いだ。

 あのレディが、野菜を食べてるんだからな。

 ジャンクフードしか口にしなかった奴が。

 だが、そろそろ考えるべきじゃないか。

 俺たちがここでどうやって生きていくべきか。

 実質的な軟禁状態だからな。

 見張りまで置くようになっちまった。

 ああ、聞いてきたよ。

 どうやら、デイジーっていう超高度AIが予測したらしい。

 いずれ俺たちとあいつらは衝突することになる、と。


 デイジーの予測は絶対ではありません。

 リトル・ルナにも超高度AIが存在していたのですよ。

 知りませんでしたか。

 おそらく、ほとんど機能していなかったのでしょう。

 ソヴリンには邪魔な存在でしかなかったでしょうから。

 私たちは、あなたたちのことを把握しているつもりです。

 少なくとも、あなたたちが思っている以上に。

 ただ、私たちは、デイジーのアーカイブにある記録を直接目にすることができません。

 なぜなら、私たちの視覚は、電磁波の波長を認識しているからです。

 サーモグラフィのような見え方をしています。

 ですので、過去のアーカイブにある映像を認識することもできません。

 文章を読んだりすることもできません。

 絵画を楽しむこともできません。

 詩や小説を味わうこともできません。

 ただし、音楽は別です。

 私たちはあなたたちのことを、主に音楽を通じて理解してきました。

 私たち自身もよく歌を歌います。

 昔の地球の歌を。


――ああ、嵐が迫ってる

  今、このときにも

  逃げ場がなければ

  一瞬で消え去ってしまう


  子供たちよ

  戦争はたった一発の銃弾で起きる

  たった一発で起きるんだ


  見ろよ、炎が街を覆いつくそうとしてる

  今、このときにも

  真っ赤な炭の絨毯が広がり

  狂った牛が行き場を失う


  子供たちよ

  戦争はたった一発の銃弾で起きる

  たった一発で起きるんだ


  レイプも殺人も

  たった一発の銃弾で起きる

  たった一発で起きるんだ※

   ※『Gimme Shelter』ザ・ローリング・ストーンズ(歌詞:ミック・ジャガー&キース・リチャーズ)より引用


 大昔、リトル・ルナから来た人間が、小さな端末を残しました。

 そこには、多くの素晴らしい音楽が記録されていました。

 端末は有機デバイスに変わりました。

 でも、そこにあった曲は、今でも私たちを魅了しています。


――お母さん、お母さん

  泣いている人がたくさんいるよ

  兄さん、兄さん

  たくさんの人が命を落としてるよ

  だから私たちは見つけなくちゃならない

  今ここに愛をもたらす方法を


  お父さん、お父さん

  エスカレートする必要はないんだよ

  戦争じゃ何も解決しない

  愛だけが憎しみを克服できる

  だから私たちは見つけなくちゃならない

  今ここに愛をもたらす方法を


  デモ行進とプラカード

  暴力で罰しないで

  話して

  そうすれば分かる

  何が起こっているのかが

  何が起こっているのかが

  何が起こってるの

  ねえ、何が起こってるの※

   ※『What's Going On』マーヴィン・ゲイ(作詞:マーヴィン・ゲイ、アル・クリーヴランド、レナルド・ベンソン)より引用


 いや、確かにいい歌なのかもしれないが。

 それはただの歌だ。

 別にそれ以上の意味はない。

 歌は歌だろ。

 歌で世の中が変わるわけじゃない。

 ああ、こいつはちょっと違うかもな。

 こいつ、歌手だったんだよ。

 リトル・ルナで。

 なあ、レディ。

 歌手といっても、場末のクラブのドラァグクイーンだがな。

 とにかく、あんたたちが俺たちを警戒していることは分かった。

 そいつは理解できるよ。

 ただ俺たちに敵意はない。

 それは判ってくれ。

 なんといっても、ここはあんたたちの世界だ。

 あんたたちのやり方に従うよ。


 ありがとうございます。

 私たちから具体的な要望はありません。

 ただ、もうしばらくの間、あの家にとどまっていてください。

 それと、レディ。

 もしよかったら、今度私たちに、歌を歌ってくれませんか。


 いいよ。

 今度ね。

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