25.ひなげしの形
一歩ずつ。
一歩ずつ。
ゆっくりと。
あわてずに。
水たまりがある。
すべりやすいから気をつけよう。
苔がすごい。
あそこの木まで。
あそこまで行ったら。
今日はもう休もう。
あともう少し。
どれくらい経ったんだろう。
集落を出発してから。
途中から分からなくなってしまった。
今日もいい天気だ。
昔はな、ずっと雨が降ってたんじゃ。
いつもじいちゃんが言ってた。
ずっとな。
太陽なんて一度も見たことがなかったわい。
信じられないな。
なあ、ミーナ。
今日は調子がよさそうだな。
水筒の水と、果物を少し。
よし。
少し休んだら、元気が出てきた。
木で組んだ腰掛ごとミーナを背負う。
あともう少し行こう。
次の木まで。
一歩ずつ。
一歩ずつ。
あたり一面の緑の中を。
一歩ずつ。
苔を踏みしめる足音。
よみがえるみんなの声。
連絡が途絶えた。
最後の一か所からも。
たぶん、うちと同じだ。
せっかく雨が止んだのに。
汚染もなくなりかけているのに。
だめだ。
変異のスピードが速すぎる。
抗体が追い付かない。
この区画は閉鎖するしか。
くそっ。
いいか、よく聞くんだ。
あそこなら、助けてくれるかもしれない。
動けるのはもう、お前だけだ。
だから、お前たちだけでも。
次の木まで来た。
果物がたくさんなってる。
水と果物と野菜がたくさんあって助かった。
飢える心配はない。
方位磁石を取り出す。
方角は間違ってない。
あとどれくらいなんだろう。
数日か。
一週間か。
まだもう少し行こう。
ミーナを背負い、歩き出す。
次の木まで。
一歩ずつ。
今日で何日目だろう。
あと何日くらいだろう。
今朝から体が熱い。
どうやら僕も発症してしまったみたいだ。
ミーナの体がいつもより重い。
次の木まで。
次の木まで行って休もう。
顔を上げることができない。
だめだ。
足が動かない。
ミーナを地面に降ろす。
だめか。
ふと目を上げると、見えた。
緑色の苔に覆われた、塔が。
気がつくと、塔の前でしゃがみこんでいた。
湖のわきに。
湖の水は透き通っていた。
底も、緑色だった。
水を飲んでみた。
おいしかった。
湖面に、影が映った。
振り返ると、人が立っていた。
人、なのか。
その人は見たことのない姿をしていた。
黄緑色の肌。
深緑色の髪の毛。
薄くて柔らかい半透明の服を着ている。
立ち上がろうとして、めまいがした。
そして、そのまま気を失った。
もうろうとした意識の奥。
声が。
女の人たちが。
話し声。
だめです、中は。
分かったわ。
じゃあ、摘んできて。
丘の上にあるから。
鎮痛と麻酔効果があるの。
分かるわね。
花の形は。
ひなげしの形は。
頭がぼおっとしてる。
女の人がのぞき込んでる。
湖のわきに横たわっている。
夕日が。
湖を照らしてる。
お願いです。
妹を。
ここに来れば助けてくれるかもって。
妹だけでも。
お願いします。
女の人が微笑む。
肌の色は黄緑色だけど、きれいな人だ。
もう大丈夫よ。
妹さんのことは心配しないで。
あなたも。
今はゆっくり休んで。
歌が聴こえてくる。
この人が歌ってるのか。
――帰ろう
帰ろう
家に帰ろう
静かだったあの日に
家に帰るの
遠くはないわ
すぐそこよ
ドアは開いてる
務めは果たしたわ
手を尽くした
もう恐れることは何もない※
※『Goin' Home』アントニン・ドヴォルザーク作曲、ウィリアム・フィッシャー作詞
🌙
息を引き取りました。
二人とも。
胸が痛みますか。
そうですか。
私にはそうは見えません。
私たちが殺したようなものですから。
彼らを救う手段はいくらでもありました。
ウィルスの発生も予測していました。
でも私たちは救わなかった。
救うべきではないと判断しました。
いいえ。
私は特に何も感じません。
エリーたちとは世代が違うせいでしょう。
とうとう旧人は滅んでしまいましたね。
この地球上で生きている知的生命体は、私たちだけになりました。
この地球上では。
空に浮かぶ縞模様の月。
ラグランジュポイントに浮かぶあの人工の月。
あそこが彼らの最後の場所になるのでしょうか。
空を見上げるたびに私は祈ります。
彼らの最後の場所になることを。
そうなることを私は祈ります。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。