第45話・かいへん
アルプが出ていくのを見送って、ヴィエーディアは薄いワインを飲み干してグイっと口を袖で拭った。
「それをお洗いするのは誰でしょうね?」
「おっと、失礼失礼。つい癖で」
「本当に大魔法使い様は手癖の悪い……」
「おいおい、それってあたしがなんかかっぱらってるみたいじゃないかィ」
「あら、そう聞こえたなら失礼?」
ヴィエーディアは笑い飛ばし、セルヴァントはやれやれと肩を竦める。
「ディアお姉ちゃん」
「なんだィ?」
「なんか、変な感じ、する」
「変?」
ヴィエーディアはベッドに半身を起こしたジレフールのところまで行く。
「うん、なんか……」
「大丈夫だヨ」
女性にしては大きな
「何も変なことはないサ。お嬢ちゃんはここで体を治す。男二人は冒険者として生きていけるよう自分を鍛える。フィーリアお嬢様は魔法薬作りの勘を取り戻すためしばらくこもり、セルヴァントさんはあたしらの面倒を見てくれる。なーんにも変わらない」
じっと目を見て言うヴィエーディアに、ジレフールはうん、と頷いた。
「そうだね」
「そうだヨ。お嬢ちゃんの体が治るのと、エルアミル様が駆け出しの冒険者になれるのと、どっちが早いか競争サ」
「競争?」
「そう、競争。兄さまとお嬢ちゃんと、勝つのはどっちかネ?」
「わたし、頑張って、治す! ドアのところに立って、兄さま、お帰りっていう!」
「よーし頑張れ頑張れ」
ジレフールの髪をぐしゃぐしゃにして、セルヴァントがせっかく整えたのにと文句を言いながらブラシを持ってやってくるのに笑って謝りながら、ヴィエーディアは内心ほっとしていた。
(さすがはお子様。記憶操作が効きにくい)
大人は覚える。子供は焼き付ける。それが、記憶方法だ。
大人は必要に応じて覚えることと覚えないことを区別する。子供はすべてのありのままに心に焼き付ける。
だから、大人の記憶は改変しやすいが、子供の記憶を書き換えるのは非常に難しい。ただ消すだけならまだ楽だが、それを都合のいいように……というのはかなりの難題だ。アルプによって能力を引き出されたヴィエーディアとアルプの共同魔法でも難しく、油断すると今のように疑問が浮かび上がってくる。
(しばらくはお嬢ちゃんの傍を離れらんないねェ。アルプ、ちゃあんと男共を見張っておくんだヨ?)
一方、森。
「これは、げんきぐさっていって、たいりょくをとりもどすくさなんだよ」
アルプの指した先には、先端が黄色っぽくなっている草がある。
「こどものぼうけんしゃって、こういうのあつめて、もっていくんだよ。とるのもむずかしくないし、もりのいりぐちあたりにもいっぱいあるから、あんしんなんだよ」
ピッと草を取り、アルプは口に入れる。
「おいしいんだよ」
手に取ろうとするエルアミルを抑えて、まずプロムスが口に入れる。
「ふむ、ほう、これは……」
プロムスのオーケーが出て、エルアミルも草を噛む。
「これは……野菜の甘みのようだな。これをフィーリア様に持っていけば、魔法薬を作ってくれるのかな?」
「うん。ただ、ありふれたくさだから、たぶんちょうごうしつにもいっぱいあるとおもう」
「子供の冒険者でも集められる草だと言いますからね……」
「でも、今の僕たちがこなせる依頼は、この程度なのだろうな」
「ここからだよ」
アルプはにっこりと笑う。
「ヴィエーディアおししょうさまも、このくさをあるめるところからはじめたんだって。だから、エルアミルさまも、プロムスさんも、ここからだよ」
「そうだね。アルプくんの言う通りだ」
「長い道のりも一歩から。我々もここから、というわけですな」
「そういうこと。おししょうさまがいってた。しらないのははずかしいことじゃない、ほんとうにはずかしいのは、しっているふりをしてしらないままでいることだって」
「ヴィエーディア殿が……」
「冒険者の先輩がそう言ってくださったのですから、頑張らないとなりませんね」
ぴく、とアルプの鼻が動いた。
「きをつけて」
「え?」
「まもののにお……けはい、するよ」
「!」
匂い、と言いかけたが、エルアミルとプロムスはそんなことを気にせず、それぞれ武器を構えていた。
「うん。ぼくはなにもしないから、じぶんでなんとかしてね」
「分かっている、気配を教えてくれえてありがとう」
「ここは我々で何とか致します故」
「がんばってね」
すたっとバックステップで場所を移動し、アルプは琥珀色の瞳で見守った。
飛びかかってきた角ウサギを、エルアミルは横に薙ぎ払う。プロムスが陰から突剣で突き刺す。
その様子を見ながら、魔法を使いそうになるのを我慢する。
(がんばってね、エルアミルさま。プロムスさん)
魔法猫が人間に魔法を使うと、それは人間の向上心を奪うことになるから。
(ぼくは、おうえんしかできないけど)
アルプは角ウサギと必死で戦う二人を見ながら、祈った。
(それでも、そばでみてたいから)
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